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国際人権ひろば No.98(2011年07月発行号)

特集 東日本大震災と人権

国がどう人権を守るのか

後藤 弘子(ごとう ひろこ)
特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ副理事長、千葉大学教授

「国内避難民」としての人権

 東日本大震災が起きてから、3ヶ月が経過した。毎月11日は、3・11からこれまでをどのように過ごしたのかを振り返る「祥月命日」として、私たちの生活に新たに加わった。そのことだけでも私たちの生活は3・11以前とはまったく別のものになった。
 3・11後、新たに加わったのはそれだけではない。毎日自分が住んでいる地域や福島の放射線量をメディアで確認するという習慣もこれまでにはなかったものである。東京に住んでいる私も何回か線量計を買うためにネットを検索した。未だ手に入れていないが、欲しいと言う気持ちはまだ残っている。
 今回の一連の出来事に対して、私たちは様々な視点で分析を行うということを日々繰り返している。その分析の視点としてとても重要なのが、今回の大震災の避難民を「国内避難民」としてとらえる視点である。
 1998年、国連は人権委員会において、「国内避難民に関する指導原則」(以下、指導原則)を採択した(注参照)。
 指導原則は、今回のような自然災害によって、住まいから移動することを余儀なくされた人たちについて、人権を保障することが国の義務であることを定めている。そこでは、国内避難民は、被災者でない人たちと同一の権利・自由を享受すること(第1原則)、人間の尊厳ならびに身体的、精神的および道徳的に健康である権利を有すること(第11原則)、また、自らの家族生活を尊重される権利を有すること(第17原則)などが定められている。さらに、指導原則では、「vulnerable」な存在である子どもや母親などに対して、特別な配慮が必要だとしている(第4原則2項)。
 これまで、国内避難民として主に念頭に置かれていたのは、武力紛争において、居住地を追われる人たちであった(たとえば、島田征夫編著『国内避難民と国際法』信山社、2005)。そして、日本で、ここまで大規模な国内避難民が発生するということは「想定外」だったことから、国の当初の施策に国内避難民という視点はあまりなかったように思う。
 もちろん、災害救助法やそれに基づく「災害救助法による救助の程度、方法及び期間並びに実費弁償の基準」(以下、基準)などの国内法がとりあえず整備されていたという事情も、被災者を国内避難民として改めて評価する必要性を感じることができなかった要因の一つであったといえる。
 そのため、第27原則では「国際的な人道的組織およびその他の適切な主体」が活動できるように国が配慮することになっていても、例えば、医療者の資格等の問題で、人道的支援を当初適切に行うことがかなり困難な状況であった。特に、福島の場合、空間放射線量との関係で、現在でも問題が解決されていない。6月末にトレーニングのために来日した国連人権高等弁官事務所の担当官も、福島でのトレーニング実施を希望しているが、80㎞制限のために、それが実現しないと話していた。
 それでもなお、被災者を国内避難民としてとらえ、国が人権を守ることの必要性を繰り返し指摘することは、国が行っている施策が現場ではきちんと実行されていない状況にある今、とても重要なことであると言える。
 

国の施策と実際とのギャップ

 ヒューマンライツ・ナウでは、4月末と5月始め、2回にわたって福島県(郡山市、飯舘村、南相馬市)と宮城県(仙台市、石巻市、多賀城市、塩竃市)を訪れ、主に避難所で人権状況の事実調査を行った。詳しくは、HPにある報告書を参照していただきたいが、調査に参加して一番に感じたのは、「国の施策はどこに?」ということだった。
 内閣府男女共同参画局は、3月16日に「女性や子育てのニーズを踏まえた災害対応について」(以下、対応)という通知を出し、援助物資や避難所の運営について、女性や母親のニーズを踏まえるように要請している。このような国の対応を東京で見ていた私たちは、当然、国の要請どおりの対応が行われていることを期待していた。
 しかし、実際はかなり異なっていた。訪問した避難所では、いろいろな仕切りが利用されていたが、その多くが、プライバシーを守るため、というよりは、領域を確保するために仕切りが利用されているように見えることも少なくなかった。また、一部の避難所では、管理の必要上配布されたパーティションを利用していないところもあった。対応では「プライバシーを確保できる仕切りの工夫」を求めているが、プライバシーより管理の必要性が優先されているようであった。
 「男性の目線が気にならない更衣室・授乳室」は、いくつかの避難所でやっと作られ出していたが、更衣室がない避難所もあり、そういうところでは、ふとんをかぶって着替えをするということで、自衛せざるを得ない状況にあった。
 また、「各避難所の運営体制への女性の参画」は、地域の自治組織がそのまま避難所の自治組織になったこともあって、運営に女性が関わるところはほとんど見られなかった。
 食事についても同様である。震災から2ヶ月近く経とうとしていたにもかかわらず、多くの避難所での食事は、おにぎりと菓子パンが主流であり、お弁当が支給されていたのは、南相馬市や仙台市の避難所だけであった。たとえば、石巻のある避難所では、次の日の配給分として、おにぎり1個、シーチキン1個、牛乳1本が予定されていた。ボランティアや自衛隊の炊き出しがあることを考慮にいれても、十分な食事であるとはとてもいえない。さらに、避難所が多いこともあって、毎日炊き出しがあるわけではない。石巻で1食でもお弁当が配布されるようになったのは5月の末だと聞いている。
 基準では、食事代として1日1010円(当時)が予定されており、また、それ以外にボランティアの炊き出しもあることから、温かい食事が十分に提供されていると思っていた。
 法律が存在し、それに基づいた通達がいくら出されても、実際には地方自治体が適切な実施をしなければ「絵に描いた餅」にしかならない。今回は、地方自治体も被災していることも関係しているが、そうであればなおさら、国が国民の生存権を保障する必要が生じてくる。「地方分権」を理由として、実効性をフォローしない国。現地からは国がとても遠く感じられた。
 さらに、特に今回は、避難所の自治に地方自治体も手をつけられない状況になっている。既に自治ができているところに、後から地方自治体が避難所を見つけ出し、対応する。ジェンダーの視点が希薄な自治組織が、女性たちの声を「非常時」を理由に押さえつけ、そして、女性たちも「非常時」を理由に声をあげない。脆弱な人々の声を聞けと国はいう。しかし、その声を届けるのは、NGOという制度的に脆弱な人たちだけ。「弱者」が「弱者」の声を聞いているだけでは、その声は政策に反映されない。
 国の明らかな原則違反や災害救助法違反を指摘するためにも、国内避難民という視点は不可欠である。
 

支援者の人権

 3ヶ月が過ぎた頃から、関係する会合に出席すると、怒鳴る人に出会うようになった。今回の震災の特徴として、専門家以外の多くの人が「何かしたい」という思いから現地に入ったということがあるように思う。そして、そこで体験したトラウマティックな出来事を抱えて、それをうまく処理できないまま、感情を爆発させる。感情を爆発させることで、少しは回復につながればいいけれど、ケアが必要だということに気づいていない場合も少なくない。
 「いのちの電話」には、遺体捜索等を行った自衛隊員や警察官からの電話が増えているという。友人の精神科医は、消防庁からの依頼で福島の原発近くの消防署職員へのワークショップを実施した。その際、「消防団員は?」と聞いたところ、そこまでは手がまだ回っていないという答えだった。
 今回、国はボランティアをかなり推奨していた。文部科学省は学生が行うボランティアの単位として認定することを大学に推奨している。けれども、ボランティアに行く人への教育やフォローアップについて、あまり問題としていないのがとても気になる。
 どれだけの人権教育を行って学生や市民を現地に派遣しているのか。原則について知っているボランティアがどこまでいるのか。帰ってきた彼らに対する精神的なサポートはどうするのか。何も施策がないまま、ただ、行くことを推奨する。人権の視点を欠いた支援が広く行われることは、原則のいう支援を実現したことにはならない。それに、支援者の人権も保障されないことになる。最近では、ボランティアツアーもあるという。その場合に、原則のレクチャーや周知、もしくは、適切な団体が出している注意事項を参加者に周知することを義務づけるということがあってもいい。
 支援者の人権を守るということも国の義務である。そして現地で被災しながら役職をこなしている人たちの人権も保障しなければならない。対人援助職にある人たちのケアをしなければ、結局は脆弱な人たちの人権が侵害される。頑張ることは美談ではない。無理矢理休暇を取らせる、精神的ケアのワークショップやカウンセリングを受けることを強制するなどの施策こそ、今重要である。
 

注:
Guiding Principles on Internal Displacement,E/CN.4/1998/53/Add.2,1998
なお、日本語訳がある。
http://www2.ohchr.org/english/issues/idp/docs/GuidingPrinciplesIDP_Japanese.pdf