現代国際人権考
二〇〇一年一二月一七日、世界中から一三六カ国の代表(五二カ国は内閣閣僚級が参加)、NGOの代表などあわせて三、〇五〇人が横浜に集まって「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」が開催された。主催したのは国連ではない。日本政府・ユニセフ・国際エクパット・子どもの権利条約NGOグループの共同開催である。外務省の担当者によれば、この会議は二〇〇一年に日本で開催された国際会議のなかで最大規模である。一九九六年にストックホルムで開催された第一回会議の成果文書は国連文書化されている。「子どもの権利条約」ということばを最終文書に入れることに抵抗してきたアメリカ政府も最終的には折れ、「横浜グローバルコミットメント二〇〇一」が採択された。ユニセフ事務局長のキャロル・ベラミーさんは「横浜会議は一〇〇%以上の成功だった」と語ったそうだ。
ニューヨークなどでのテロに端を発するアメリカの「報復攻撃」で世界中が揺れ動いているとき、日本がこのように大規模な世界会議を安全に成功させたことの意義はきわめて大きい。人権に関連するこの世界会議の成功自体がテロとの闘いであり、「報復攻撃」と異なる解決の方向を指し示す活動であった。
ところが、これほどの規模の人権関連の世界会議が開かれ、成功したことを、日本にいる人のどれほどが知っていただろうか。ましてや、この世界会議の意義を認識している人やそれが日本で開催されることに誇りを感じていた人の数となるとまことに心許ない。
大阪方面で言えば、残念ながら、新聞など活字マスメディアによる報道はわずかだった。北京女性会議・ウィーン世界人権会議のときなどは連載記事が各紙に掲載されたのに、である。テレビも、NHKを除いて報道はあまりなかった。日頃「人権・人権」といっているはずの関西方面の自治体も、世界会議を受け止めた動きはほとんどなかった。出張扱いで職員がこの世界会議に参加した自治体はいったいどれほどあったのだろうか。
第一回会議がストックホルムで開催されたときに私も参加していたが、会議のようすや関連情報が毎晩現地スウェーデンのテレビで報道され、市民の多くがこの世界会議をよく知っていた。この違いは何なのだろうか。
日本では、「子どもの権利」は相手にされていない。「子どもの商業的性的搾取」という問題は、人権を担当している人でさえ知らない。ましてや、この概念が国際的にはCSEC(シーセック)と呼ばれていることなど、知っている人はまだほんの一握りだろう。
けれども、国際社会では、「子どもの商業的性的搾取」という概念も問題もすでに広く認知され、取り組みが進んでいる。「子どもの商業的性的搾取」とは、「金品を介在させた子どもへの性的虐待」であり、おもに「子ども買春、子どもポルノ、性目的の子どもの売買」をさす。「子どもの商業的性的搾取」は英語ではCommercial Sexual Exploitation of Childrenであり、頭文字がCSECとなる。
国連が二〇〇〇年五月に採択した「子ども売買、子ども買春及び子どもポルノに関する《子どもの権利に関する条約》の選択議定書」が二〇〇二年一月一八日に発効した。この条約を含め、国連が採択した人権条約はすでに二六である。一方、国際労働機関(ILO)による「最悪の形態の児童労働の禁止および撤廃のための即時の行動に関する条約(第一八二号)」はすでに二〇〇〇年一一月一九日に発効している。この条約のなかでは、子ども買春や子どもポルノなどが「最悪の形態の児童労働」として禁止されている。日本政府は、ILO一八二号条約は批准したが、国連の《選択議定書》は批准していない。
子ども買春や子どもポルノという問題が、日本社会ではなかなか「子どもへの性的虐待である」ととらえられてこなかった。
援助交際が「最近の女子高校生はひどい」といった論調で語られ、子どもポルノは「ロリコンもの」と興味本位に論じられてきた。取り組んだとしても、子どもへの性的虐待というとらえ方を抜きに活動を進めるとおかしなことになってしまう。言論や出版の自由との関連が未整理なまま規制の話が先行しかねない。その一方で、子どもの側の被害が明確にとらえられず、ケアが進まない。
横浜会議はこの問題に、若者の参加を土台に取り組もうとした。メディアの人々も行政の人々も、もう少しこの問題への関心をもってよい。もう時期尚早とは言わせない。ストックホルム会議のフォローアップ会議は毎年東京で開かれてきた。横浜会議のフォローアップ会議を毎年大阪で開いてもなんら問題はない。知っているとは行動することだ。古いことわざに言う。行動は思想の真実である。