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2.国内人権機関Q&A

(2)国内人権機関は人を差別するような言動も案件として扱うのですか?

 日本では、差別的な言動であっても表現の自由で守られるべきものだ、と主張する人やメディアが多くあります。ですが、確認しておくべきことは、たとえ表現の自由があっても、他者を差別するような発言や言動は「差別」であり、暴力になるということです。

 昨今報道されているような、とくに在日コリアンに対する排外主義的な言動を間近で浴びせられ、精神的なダメージを受けたり、そうした経験がトラウマになってしまう人は少なくありません。なかには自殺を考えたり、実際に自殺をしてしまう人もいます。そうした現実を受け止めれば、表現の自由だからといって誰かを差別するような言動が無制限に許されることは、民主主義社会において認められるべきではありません。

 表現の自由は民主主義社会における重要な価値観の一つですが、個人の尊厳を守り、維持することも重要な価値観です。そのバランスをとりながら表現の自由を守ることは不可能ではありません。実際、他国の国内人権機関でも、表現の自由で守られるべき表現であるのか、守るに値しない差別言動であるのかの判断基準を厳格に定めたり、差別言動に対して警告や注意ですませるのか、民事規制をする言動なのか、刑事規制にすべき言動なのかを細かく分けて対応している国もあります。

 そうした国際社会の取り組みをみれば、日本だけが、表現の自由一辺倒で、規制は一切受け入れられないという姿勢を取り続けることは、もはや世界に通用しないといってよいでしょう。とすれば、差別的なものであれば、その言動は表現の自由で守られるべきものではなく、国内人権機関が取り扱うべき問題であると考えます。