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8.14日本軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日にー大阪で集会
「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」は8月14日、フィリピンでかつて慰安婦にされた女性、および被害者(サバイバー)の闘いを支援しているNGOの代表、沖縄における旧日本軍の慰安所と米軍の性暴力の問題に取り組んでいる市民活動家を報告者に招いて、大阪市内で集会を開催しました。
この集会は、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動が提起している、「8.14日本軍『慰安婦』メモリアル・デーを国連記念日にしよう!」キャンペーンの全国同時行動のひとつとして開催されました。
8月14日は、1991年に韓国の金学順さんが日本軍「慰安婦」被害者として初めて名乗り出た日で、この勇気ある告発がきっかけとなって、アジア各地の被害女性たちも半世紀の沈黙を破り、日本政府の責任を問い始めました。2012年12月に台湾で開かれた第11回アジア連帯会議において、この日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とすること決議しました。そこで、紛争下の性暴力を国際的に問うきっかけになった8月14日を国連の公式記念日にするためのキャンペーンが始まったといういきさつがあります。
集会では、フィリピンから来日中のエステリータ・B.・ディーさん(83)が、日本軍による性暴力を受けた体験を証言しました。太平洋戦争末期の1944年、ネグロス島に駐留していた日本兵に無理やり日本軍の駐屯地に連行された後、来る日も来る日もレイプされたと語りました。14歳のときでした。米軍の反撃で日本軍が撤退し、置き去りにされたことで「解放」されたいいます。その数年後、被害を忘れるためにマニラに出て、家族をもった一方、被害については誰にも話せませんでした。同様に被害を受けた「慰安婦」についてラジオで聞いたのがきっかけで、1993年に支援組織に名乗り出たそうです。
彼女は、日本政府が公式に謝罪することを通じての正義を求めています。当初、もう一人の被害者の来日が計画されていたものの、体調不良のため実現しませんでした。
また、「沖縄で基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表で、「強姦救援センター・沖縄」(REICO)代表の高里鈴代さんは、沖縄に日本軍慰安所が144ヵ所も設置されていたこと、戦後68年間にわたる米軍による女性や子どもに対する性犯罪の状況と背景について報告しました。
<参考>
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
「8月14日を国連記念日にしよう!」キャンペーン
(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動)
女たちの戦争と平和資料館(WAM)