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日本に難民認定申請したミャンマーのピエリアンアウン選手を支援する会発足(7/3)
サッカーのミャンマー代表選手として5月に来日後、日本戦の際にクーデター抗議の意思を示した後、最終的に帰国便への搭乗を拒否して日本に難民認定申請をしたピエリアンアウンさんを激励する集まりが7月3日に大阪で行われ、支援する会が発足しました。
ピエリアンアウン選手は、5月28日に千葉市で行われた日本戦でのミャンマー国歌斉唱の際、「3本指」を掲げてクーデターで権力を握った国軍への抗議を示したことで、ニュースは国際的に報道され、帰国後の安全が心配されていました。その後、ミャンマー代表チームとともに、6月11日のキルギス戦と、15日のタジキスタン戦のため大阪市内に移動していました。試合日程が終わったあと、ピエリアンアウンさんは幾度かホテルを抜け出そうと試みたものの、チームのスタッフなどの監視が厳しいため失敗していました。16日夜、帰国便に乗る直前、彼は関西空港の出国審査のときに帰国を拒否し、保護を求めました。
ピエリアンアウンさんは、6月22日、空野佳宏弁護士の支援を受けて大阪出入国在留管理局に難民認定を申請しました。
ピエリアンアウンさん(向かって右)とアウンミャッウィンさん
激励会は、今回の難民認定申請に向けて支援してきた在日ミャンマー人のアウンミャッウィンさんが大阪市内で営む東南アジア料理店「ミャンマービレッジ」で行われ、空野弁護士をはじめ、「日本ビルマ救援センター(BRC-J)」の中尾恵子代表など支援者が参加しました。
ピエリアンアウンさんは、「私を激励し助けてくれているすべての日本のみなさんに感謝しています」と述べました。3本指を掲げてクーデターに抗議した直後、ミャンマーの実家は家宅捜索されたといいます。「いまでもマンダレーの私の実家の周りでは、私服姿の不審な人たちが常に監視し、話をしているようにみせかけたり、誰かに電話をかけるふりをしています。ミャンマーでは夜に連行されることが多いので、兄と弟たちは、夜間は避難し父だけが留守番をしています」。
「私はいま安全ですが、家族のことがとても心配です」と家族を案じています。「日本でメディアが私のことをずっと報道してくれているためとても注目を浴びているので、国軍も私の家族にはへたに手を出せないのだと思います」。
ピエリアンアウンさんは、難民認定手続きを待つあいだ、7月2日に在留管理庁から得た在留資格「特定活動」により、6カ月間の在留および就労をすることができます。ミャンマーでもプロのサッカー選手であったことから、日本でもサッカーができればと話しています。
<追記>
7月23日、ピエリアンアウンさんは、Jリーグ3部(J3)のYSCC横浜(横浜市)の練習生になることが決まりました。29日、滞在している大阪から横浜に向かいました。
「ピエリアンアウン選手を支援する会」は、当面の生活費などを支援するための寄付を募っています。寄付は郵便振替で日本ビルマ救援センター(BRC-J)の口座。(空欄に「ピエ選手支援」と記してください)
口座番号:00930-0-146926
口座名義:BRCーJ