フィリピンのアロヨ大統領は2006年2月24日に、国軍によるクーデター計画が発覚したことを受けて、全土に「非常事態宣言」出し、軍・警察に暴力行為 の鎮圧などを命じ、反乱などに関与した容疑者の身柄を令状なしで拘束したり、集会許可をすべて取り消すなどの強権体制を敷きました。これに対し、国内外の 人権団体から強い抗議の声があがりましたが、3月3日に国内の治安情勢の回復が図られたと判断した同大統領はこれを解除しました。
「非常事態宣言」は、多くの民衆と国軍の一部とが立ち上がりマルコス独裁政権を倒しアキノ大統領が就任した「エドサ政変」の20周年記念行事が2月25日まで行われている最中に発令されたものです。
宣言の発令以降、政府に批判的な報道をしているとみなされた一部の新聞社が捜索されるとともに、政権転覆を企てたとみなされた国軍関係者のみならず、進歩 派政党に属する下院議員を含む50人以上の人々を起訴するなどの手続きをとりました。なかでも、「5月1日運動」という急進的労働組合連合の元議長のベル トラン下院議員は、マルコス政権時代である1985年に反乱を扇動したという容疑で発行された逮捕状を根拠に逮捕されました。
「非常事態宣言」は1週間で解除されたものの、大統領選挙時の不正疑惑や親族への便宜供与の疑惑などから、国軍や市民社会において退陣への声が強いことか ら、政権の安定について不安材料が多く残っています。集会の自由が保障されたり、不当に逮捕されないなど市民的自由の回復が早急に望まれます。
出所:
INQ7, "Arroyo lifts stateof emergency",(March 3 2006) (英語)
ABS-CBN News ",GMA lifts state of emergency"(March 3, 2006) (英語)
(2006年03月02日 掲載)