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フィリピン人75人の成田空港からの集団送還(7月6日)に関する実態調査-人権・人道上の問題が浮き彫り
日本から実態調査団を派遣
法務省入国管理局は7月6日、超過滞在などの理由で牛久(茨城県)や品川、横浜などの入管施設に収容されていたフィリピン人合計75人(男性54人、女性13人、子ども8人)を成田空港からチャーター機で一斉に強制送還しました。外国人の退去強制には通常の定期航空便が使われていますが、外国人が送還に抗議して飛行機の搭乗を航空会社から拒否されるケースがあったり、1人の送還に数人の警備が必要でコスト高となったりしていたことから、集団送還がはじめて導入されました。
送還直後、複数の被送還者から日本の支援者に対して、送還方法が突然で強引であったことや過剰な警備態勢、家族の離散などについて情報が寄せられていました。
そのような事態を受けて、「日本カトリック難民移住移動委員会」(JCaRM)と「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」(移住連)は共同で、送還プロセスや被送還者の帰国後の実態を明らかにすることを目的に8人で構成する実態調査団をフィリピンに派遣し、8月20日〜26日にかけて、被送還者25人(うち女性4人)と面談して聞き取りを行いました。最終日の8月27日、「フィリピンカトリック司教協議会」(CBCP)の協力を得て、外務省、労働雇用省、社会福祉・開発省、海外雇用庁(POEA)、海外労働者福祉庁(OWWA)、海外フィリピン人委員会(CFO)などフィリピンの関係省庁の担当者を招いて、調査団および数人の被送還者たちによる対話と要請を行うとともに、記者会見を開催しました。ヒューライツ大阪の藤本伸樹が調査団メンバーとして参加しました。
送還前に家族や弁護士への連絡も断たれる
調査団は、マニラ首都圏、および近郊のカビテ州、パンパンガ州、ヌエバ・エシーハ州に被送還者と面談しました。
その結果、判明したことは、被送還者それぞれに異なった背景があるものの、全員に共通していたのは、送還日7月6日(土)の前日の午後から夜中、6日の未明にかけて送還を言い渡されたこと、家族や弁護士などに電話連絡したいとどれだけ要求・懇願しても全く聞き入れられなかったことです。
入管で収容されている部屋から別室に移される際に、強く拒んだ結果、大勢の職員から暴力的に連れだされて、1カ月半たってもコブが残るほどの打撲をした男性もいます。また、スタンガンで電気ショックを受けて制圧されたと証言する男性が1人いました。(入管側はスタンガン使用を否定しています)。
男性たちは各入管施設を連れだされるときから、マニラ空港に到着するしばらく前まで約8~9時間にわたり、食事中もトイレに行くときも手錠をされていました。トイレ使用時は個室のドアを完全に閉めることは許されませんでした。一方、女性と子どもは手錠をされていなかったと13人送還されたうち会うことのできた4人の女性たちから聞きました。
日本に、妻あるいは夫(一方あるいは双方が前の婚姻の無効手続き中などのため事実婚状態)だけでなく、実子からも引き離されて送還された男性が数人いました。「退去強制令書発付処分取消等の訴訟」の手続き中の人たちも送還されています。
収容中に怪我や病気で入管内の医師や外部の病院の治療を受けていた人たちがいますが、送還時にフィリピンの病院への紹介状を受け取れた人はだれもいません。
被送還者の心身の健康状況は、入管施設での収容中に悪化したとみられます。20年以上にわたって長期に日本で暮らしていた被送還者が多く、仕事も身近な親族もないことから、母国をまるで異郷の地に感じている人もいました。新しい環境に再適応するためのフィリピン政府による支援が必要であることも判明しました。
送還に至るまで、送還プロセスにおいて、入管の強制送還の選定基準の不鮮明さ、送還時の暴力、過剰な防備(多数の職員の導入と手錠など)、裁判中の送還といった司法へのアクセスの否定、実子を日本に残しての送還といった家族の離散など、人権・人道的見地から、大きな問題のある強制送還であったことが浮き彫りになりました。
今回の送還を一言で語るならば、「送還プロセスにおける数々の人権侵害と非人道的な扱いという強制送還の持つ『暴力性』が凝縮された出来事」だったといった印象を持ちました。
「日本カトリック難民移住移動委員会」と「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」は今後、さまざまな関係者の協力を得て、報告書を作成するとともに、提言をまとめていく計画です。
<参考>
入管がフィリピン人75人をチャーター機で強制送還(7月6日) ヒューライツ大阪ニュース・イン・ブリーフ