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日本への渡航をめざすフィリピンのJFC母子~JFC宅を訪問(part 2)
父親と連絡の途絶えたJFC
JFCネットワークが企画した7月31日から8月5日のフィリピン・スタディツアーのプログラムの一環で、8月2日から3日にかけて、ダバオ市内とその近郊に暮らすJFC(ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン)母子宅の訪問とホームステイをしました。日本から参加した16人はグループに分かれ、母親たちの案内で各家庭に向かいました。訪問先の母子はいずれもダバオ海外労働者センター(COW)への相談者で、JFCネットワークが日本各地に住む父親に子どもの認知や養育費を求めるために連絡をとっています。要請に応じないため、弁護士に依頼して家庭裁判所への調停申立て、あるいは訴訟、親子関係を確認するDNA鑑定などに至っているケースもあります。
ダバオのJFC母子宅を訪問
筆者はダバオ市内とその郊外に住む母子を訪ねました。いずれも大家族のフィリピンならではの家族構成で、親や複数のきょうだいたち、それ以外の親族などと同居していました。母子の状況について比較的詳しく話を聞くことができたのですが、関係者が読めば個人が特定されてしまう可能性があるため、詳述は控えます。日本で父親とのあいだで調停が始まっているなど、母子たちは微妙なタイミングに置かれているからです。
筆者が聞いたことと、ツアーのメンバーがそれぞれ訪問したJFC母子宅の情報とをあわせると、以下のことがうかがい知れます。
まず共通点は、女性たちはかつて「エンターテイナー」(歌手やダンサー)として日本のフィリピンパブで働いていたこと、一回の滞在期間は最長で6ヵ月間であるため、何度か来日を繰り返していたことです。そして、店の客である日本人男性とのあいだに子どもを身ごもり、フィリピンで出産したといういきさつです。
そこで重要なポイントは、子どもが生まれても両親が婚姻していないことに加えて、父親はどういう理由からか認知もしていないのです。ただ、出産後に子どもに会うために幾度かフィリピンを訪問したり、養育費の送金をしていたという父親はいます。一方で、日本で妻子がすでにおり、最初からほぼ顧みることなく遺棄した父親もいます。
COWそして、JFCネットワークは、何年も前に音信不通となり切れてしまった父親とのあいだの糸をいわばつなぎ合わせることを通じて、子どもたちの生活や教育の権利、尊厳を回復する取り組みをしているといえます。
連絡を絶った父親たちのなかには、たとえば事業に失敗し破産状態となり、心身ともに追い詰められるなど深刻な事情を背負った人もいます。実際、それが理由で自殺したという父親もいるようです。そうかと思えば、「金がない」などといった「事情」を盾にして逃げ切ろうとしているだけではないかという無責任な男性も見受けられます。
日本のパブが1980年代から積極的に受け入れたフィリピンからの「エンターテイナー」はどんどん増えて、2004年にピークを迎えました。その前後に生まれ、2015年のいま10代になった多くの子どもたちが、自分のアイデンティティの拠りどころを求め、父親に会いたいという声をあげています。(藤本伸樹)