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韓国の「ナヌムの家」を訪ねて(2019年9月)

「表現の不自由展・その後」の中止と再開
開幕から3日間で中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展のひとつ「表現の不自由展・その後」が、10月14日閉会間近の10月8日に再開した。
テロ予告や脅迫電話を含む「企画展を中止せよ」という抗議が殺到し、応対するスタッフの疲弊と来場客の安全確保が困難となったことが中止の理由であった。今回の再開にあたり、来場者の安全確保と電話攻撃への対策を整えているという。
「表現の不自由展・その後」は、「慰安婦」問題を表現した「平和の少女像」や、元「慰安婦」の写真、在日コリアンの高校生が描いた「慰安婦」の絵画、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品、憲法9条をテーマにした俳句など、過去に各地の美術館や文化施設で展示不許可になった16組の作家による作品が展示されている。
この企画展への抗議のおもな「標的」となったのは「平和の少女像」であった。影響力のある政治家たちが、「デマの象徴である慰安婦像を行政が展示すべきではない」などと発言し、それらの言葉を鵜呑みにし、同調する人たちが集中的に非難・抗議をしたようだ。
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                       ナヌムの家にある「少女像」のミニチュア
「ナヌムの家」のハルモニと話して
 私は、9月に韓国旅行を計画していたのだが、当初の予定を変更して元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)が共同生活する、ソウル市の郊外にある「ナヌムの家」を訪ねることにした。
 出発日の9月7日の早朝、関西空港に着くと、韓国行きのフライトの多くがちょうど韓国を通過する台風の影響で欠航か遅延という掲示がすでに並んでいた。私の予定便は、空港で8時間も待機を余儀なくされたものの何とか飛んでくれた。
9月8日、ソウルから地下鉄を乗り継ぎ、京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪ねた。現在、92歳から98歳までの6人のハルモニが暮らしている。かつて約20人が暮らしていたという。
「ナヌムの家」には歴史館があり、文書や証言をもとに作成された「日本軍慰安所」の分布図や、被害者のハルモニたちの証言映像、「慰安所」を再現した部屋、「慰安所」の運営形態などに関する数々の資料が展示されていた。いずれの資料にも日本語表示があった。
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                  「慰安所」の運営に関する資料                 
 
「ナヌムの家」に住み始めて約10年という93歳のイ・オクソン(李玉先)さんに話をうかがうことができた。イさんは、「満15歳のときに日本人に『ついて来い』と言われ、慶尚北道のテグから27人の女性たちとともに、事情もわからないまま中国に連れていかれ、日本軍の『慰安婦』にされたのです」と振り返った。
「銃弾が飛び交っていました。3年後に日本軍に置き去りにされたとき、地元の中国人から助けられ、なんとか私だけテグに生きて戻りました。でも、なぜ私だけ戻ってこられたのか、と女性たちの親から責められ続けました」。
20歳になったイさんは、追われるように故郷を出て、少し離れた場所に移ったという。そこで恋人ができたけれども、「慰安婦」であったことを告げられないまま、彼は亡くなった。結局、彼とは結婚せず、子どもを産むこともなかった。
 イさんは、日本で「少女像」の展示が中止に追い込まれたというニュースを知っていた。「自分たちがさんざんひどいことをしておきながら、少女像を展示するなというのは本当に正しいことでしょうか」と問いかけた。
 イさんは、日本人を憎んでいるわけではないと語る。「私たちは、日本政府にきちんと事実を認めてほしい。そのうえで、謝罪と賠償を求めているのです。もちろん、日本と争わないで仲良くしたいです」と語った。
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           チャングをたたくイ・オクソンさん
「平和の少女像」が問いかけること
「平和の少女像」は、正式には「平和の碑」と呼ばれる。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が「慰安婦」の人権と名誉回復を目的にソウルの日本大使館前で20年間続けてきた「水曜デモ」1000回の記念に、元「慰安婦」のハルモニたちを称える碑として韓国の彫刻家キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん夫妻が制作したものだ。
 平和を願うシンボルであるのに、その碑文に旧日本軍による「強制連行」や「性奴隷」といった記述があることに承服できない政治家たちが、少女像は「反日の象徴」だといった主張している。過去の深刻な人権侵害をみつめようとしないばかりか、ハルモニたちの生きた証言をも歪曲し、被害者を公然と冒とくする人たちがいる。そのような歴史修正主義が日本社会にはびこっていくならば「表現の自由」も蝕まれてしまう。
1990年代以来、「慰安婦」問題の解決を議論し、日本に解決策を求める国連をはじめとする国際社会の勧告や期待に真摯に応えようとしない政治家や行政が存在する。
そうしたなか、「少女像」を、日本を非難する政治的プロパガンダだと拒絶するのではなく、戦争時の性暴力として「慰安婦」にされた人たちがいるということをしっかりと受け止め、女性の権利と尊厳の回復に関してあらためて議論するきっかけにしてはどうだろうか。「少女像」は、現在そして未来におけるジェンダー平等について、日本の市民に問いかけているのではなかろうか。
 
「ナヌムの家」を訪問した際に少し話すことのできたもうひとりのハルモニは認知症が進行しているという。ハルモニたちにとって、尊厳を回復するために残された時間は少ない。
(藤本伸樹)
 
<参考>
※「ナヌムの家」で偶然遭遇したジャーナリストの安田菜津紀さんと佐藤慧さんのレポートです。
http://aftermode.com/d4p/news/1288/
【取材レポート】韓国、「ナヌムの家」を訪ねて 安田 菜津紀
http://aftermode.com/d4p/news/1207/
【取材レポート】国という枠を越えて(韓国) 佐藤 慧

(2019年10月10日 掲載)