言語に対する権利は、世界では、マイノリティに関わる重要な課題の一つとして捉えられています。2019年は国際先住民族言語年でもありました。2011年から2017年までマイノリティ問題に関する国連特別報告者を務めたリタ・イザック・ンジャエ氏(ハンガリー)は、任期中に言語的マイノリティの権利と課題について調査をおこない、2017年に、言語的マイノリティの人々が言語に対する権利を実現するための実践的指針をまとめました。指針は、政策立案者や権利保持者が活用することを念頭において作成されています。
指針は、言語に対する権利についての具体的な説明や、言語に対する権利を実現するにあたっての実践的な方法について述べています。言語に対する権利は、日本では大きく取り上げられることが少ない問題ですが、この問題についての皆様の理解の一助になればと思い、実践的指針から「指針の目的及び適用範囲」「言語に対する権利とは?」「なぜ言語に対する権利の実現が特に重要であるのか」の各章を日本語に訳しました。
同指針の全文(英語)は、以下のサイトからダウンロードが可能です。
Language Rights of Linguistic Minorities : A Practical Guide for Implementation
http://www.ohchr.org/EN/Issues/Minorities/SRMinorities/Pages/SRminorityissuesIndex.aspx
この指針の目的及び適用範囲
2013年、マイノリティ問題に関する国連特別報告者(当時の独立専門家)であるリタ・イザック・ンジャエ氏より、言語的マイノリティの課題と権利に焦点を当てた年次報告書が、国連人権理事会に提出された (A/HRC/22/49) 。同氏は報告書の中で、言語的マイノリティの権利享受に関する課題はあらゆる地域において存在している、という懸念を表明した。その課題には、言語的マイノリティの子どもたちにとって自分たちの言語を用いた学びの場や教育を受ける機会が制限されていることや、公共生活の場やメディアにおける少数言語の使用が制限されていること、が含まれる。その国の国語や国際語が優勢となっていることや、民族同化の進行、また少数言語を使用する人口が減少する等の要因により、多くの少数言語が地球規模で著しい衰退や消滅の危機に瀕している、と同氏は警告しており、懸念がある分野を以下の通り特定している。すなわち、(1)少数言語と言語的マイノリティの存続に対する脅威、(2)少数言語と言語に対する権利の認識、(3)公共生活における少数言語の使用、(4)教育における少数言語、(5)メディアにおける少数言語、(6)行政や司法の場における少数言語、(7)名前、地名、及び公共表示物における少数言語の使用、(8)経済的及び政治的な生活と活動への参加、そして(9)少数言語における情報及びサービスの提供、の9つの分野である。
本指針は、政策立案者や権利保持者が実践的に行動を起こすにあたり、言語的マイノリティの言語に対する権利の適用範囲について彼/彼女らが充分に理解を深めるための一助となることを、その目的とする。一国家がその一つまたは複数の公用語と言語的マイノリティの言語を使用する義務、あるいは言語的マイノリティの言語選択に対して敬意を払うという義務との間で、必要なバランスを実現するための努力に役立てられることを、目標としている。また、言葉に対する権利の保護と促進は、世界の言語多様性を保つ助けともなる。この指針が目指す点は、以下の通りである。
“言葉に対する権利 (language rights)”及び“言語に対する権利 (linguistic rights)”は国家機関、個人、及び他の諸団体の言語選択や言語の使用に影響を与える人権である。言葉に対する権利は通常、言語に対する権利よりも広義に捉えられており、言語的マイノリティの権利を効果的に実現するために取り得る必要最低限の方法、あるいは更に取り得る方法の双方について論ずるため、本指針では両方の用語が用いられている。言葉は人間の本性や文化の真髄を成すものであり、アイデンティティの最も大切な表現方法の一つである。それ故に、時には周縁化、排除、差別といった状況下で固有のグループ性や文化的アイデンティティを維持しようと模索する言語的マイノリティの社会にとって、言葉にまつわる問題は特に感情が表れるものであり重大な問題である。
言語に対する権利は、国家機関が一定の場合にいくつかの言語を使用し、あるいは私人や民間団体による言語の選択や表現には干渉しないという一連の義務である、ということができる。こうした権利は、マイノリティや先住民族による言語の使用について認め、そのための支援を行なうという義務にまで拡大されることがある。言葉にまつわる人権とは、国際人権条約に基づく法的要件、言葉やマイノリティ問題に対する対処方法についての基準、ならびにその国における言語多様性の組み合わせである。言葉に対する権利は、国際人権法の多数の条項の中に含まれており、例えば、差別の禁止、表現の自由、私生活や教育に対する権利、及び言語的マイノリティが同じグループに属する者同士の間で彼/彼女らの固有の言語を使用する権利等がある。また、例えば1992国連民族的または種族的、宗教的および言語的マイノリティに属する人々の権利に関する宣言、UNESCOの言語と教育における三原則、といった多様な文書や国際基準、また民族的または種族的、宗教的および言語的マイノリティに属する人々の権利に関する宣言の実施におけるマイノリティ問題に関する国連フォーラムにて出された多数の勧告、枠組条約に基づく民族的マイノリティに属する人々の言葉に対する権利における欧州評議会テーマ別解説3、さらには欧州安全保障協力機構(OSCE)による民族的マイノリティの言語に対する権利についてのオスロ勧告にも、詳しく述べられている。多少の違いはあるものの、これらは全て国家機関が言葉にまつわる人権義務を果たすための基本的なアプローチを述べたものであり、それには以下の取り組みが挙げられている。
こうした言葉に対する権利についての原則に沿う方策を推進し明確にするためのプロセスやツール、公的文書が、多くの国際機関によって作成されている。マイノリティ問題に関する国連フォーラム、UNESCOの言語及び多言語主義担当部門、欧州評議会の国内マイノリティ保護枠組条約に関する諮問委員会、欧州安全保障協力機構(OSCE)の少数民族高等弁務官事務所においては、継続して建設的な知識の交換・共有の場や機会を与え、また支援を行ない、専門知識を提供している。これにより言葉に対する権利を実現する際には、人権に関わるプロセスやツール、あるいは公的文書が絶えず改善されることが可能になる。国家機関がこのような権利を実現する政策を効果的に準備、適用し、評価することができるよう、また諸機関の活動や取り組みを必要に応じて改善することができるよう、信頼性のある、詳細に分類されたデータが入手できるということが、こうした活動における重要な特徴である。
このような条約や法制、また指針といった文書に述べられている言葉に対する権利の核となるものは、以下の主要な4点に焦点を当てている。
1.尊厳:世界人権宣言の第一条では、すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である、と宣言している。これは国際法における根本的な原理原則であり、マイノリティのアイデンティティ保護と促進にまつわる問題にとっては特に重要である。
2.自由:個人の活動において言語選択は、表現の自由や私生活の権利、マイノリティの人々が彼/彼女ら自身の言語を使用する権利、あるいは差別の禁止、といった基本的人権により守られている。私的活動は、商業、芸術、宗教あるいは政治などに関わる、どのようなものであろうとも保護を受けることができる。
3.平等と被差別:差別の禁止は、国家が行なういかなる事業、公共サービス、支援や減免措置の提供においても、国家が言語選択を通じて不当に個人に不利益を与えたり、排斥したりすることを許さない。
4.アイデンティティ:個人であれ、社会共同体あるいは国家自体であれ、言語的なアイデンティティの形態は、多くの者にとって根本的なものである。これらも、表現の自由の権利、私生活の権利、マイノリティの人々が彼/彼女ら自身の言語を使用する権利、あるいは差別の禁止によって、護られ得る。
言語に対する権利の問題は、(i) 国家機関と言語選択が関連するいかなる活動においても考慮されるべきであり、(ii) 国家、集団、及び個人のアイデンティティの問題と密接に関係しており、(iii) マイノリティの参加や包摂に影響があり、(iv) 偏らず理に適った方法で適切に対応されなければ、疎外や周縁化の感情を引き起こし、また不安定な状態や紛争に至る可能性がある。また (v) 非常に多様な環境や条件下において発生する。世界のあらゆる国の極めて多様な状況のもとで、言葉に対する権利を実現する「全てに対処できる万能な」取り組み方は存在しない。
このガイドでは、言語に対する権利の独特な特性に焦点を当てている。国が効果的に国際義務を遂行できるように、言葉に関する事柄において尊厳、自由、平等、またアイデンティティに着目して行動し、言語に対して基本的人権に基づいたアプローチを使い、また実行するための枠組を提供する。
言葉に対する権利の重要性は、おのずから明確である。人権を尊重する義務に加え、マイノリティが含まれる社会において、包摂そして参加ということの本質に迫るという点で、言葉の使用は重要な意味を持つ。
1) マイノリティの子どもたちの教育へのアクセスを促し、質を高めるから
世界のマイノリティの子どもたちは概して、正規教育を受ける機会が少ないか、あるいは全く受けていない。
世界銀行によれば、“世界の非就学児童の50%は、学校で使われる言語が家庭内ではほとんど使用されていないコミュニティに住んでいる。これは学習レベルの低迷につながり、高い割合の落伍者の発生や授業の受け直しを生む、非生産的な慣習の名残であり、万人のための教育の達成に対する大きな課題を明確に示している。”少なくとも6歳から8歳の間で母語を教育言語として使用すると、素晴らしい結果を生む。:自信や自尊感情が高まり、クラスにおけるマイノリティの子どもたちの授業への参加が向上し、落伍者の比率が下がり、学習成果のレベルが高まり、学校に通う年数が長くなり、またテスト結果の水準が上がり、マイノリティ(そして先住民族)の子どもたちは母語と公用語または主要言語をより流暢に話し、また識字率も高くなる。
マリでは、自分たち自身の言語による指導を受けた子どもたちの初等教育終了時の試験合格率は、公用語(フランス語)のみによる指導を受けた子どもたちと比べ、32%高い
(初等教育終了時の試験合格率比較 1994 – 2000)
統計の出典:World Bank, In Their Language: Education for All (World Bank: Washington, DC, 2005) より
2) マイノリティの女性の平等とエンパワメントを促進するから
マイノリティの女性は世界で最も周縁化されている人々の一部である。ジェンダーまたは民族、部族、種族に基づく差別、あるいはその両方により、学校教育の機会、あるいは主要言語や公用語を学ぶ機会が少ない。研究によると、自分自身の言語によって教えられると彼女らは特によい成果を出すとされ、このようにして更なる学習を追求したり、孤立と貧困のサイクルを打破したりする可能性が高まる。
マイノリティの女性にとって必要不可欠な、例えば保健健康管理といった公的サービスにおいては、彼女ら自身の言語を効果的に使用することにより、しばしばコミュニケーションの改善が見られる。彼女らの参加やエンパワメントを強化するためには、マイノリティの言語を使用して女性に働きかけることが特に効果的であると、様々な取り組みが示している。
『ベトナム: 助産師と患者が一つの言語を共に使用すると、より良い結果につながる
ある研究によると、母体の安全性を確実にするための大切な関わり方は、いずれの出産にも助産師の技能を持つ訓練された医療従事者が立ち会うようにすることである、とされる。ベトナムでは妊娠時や出産時の併発症により、5名から7名の女性が毎日命を落としている。遠隔の山岳地帯に住むエスニック・マイノリティの地域では死亡者数が最も多いが、その理由の一部として熟練した技能を持つ産科また医療従事者の不足が挙げられる。また、こうした地域における文化的な壁により、多くの女性がリプロダクティブヘルスに関わる医療サービスを受けられない状態にある。
この問題に対処するため政府及び海外の開発パートナーは、地元の女性がその村落を拠点とする助産師となるための研修指導を行なっている。患者の言語、文化、及び信念体系を新たな助産師たちが理解することは、信頼を得ることにつながり、また適切な保健健康管理サービスを受けるよう女性たちに奨励するための鍵ともなる。「女性の皆さんは私の仕事に満足してくれています。」と、新しく研修指導を受けた助産師のテさんは言う。「皆さんはいくつかの理由で私を信頼してくれています。私はこの村に生まれ育ちましたので、私のことを知っています・・・また私たちは同じエスニック・マイノリティのグループに属しており、同じ言語を話します。」そのような信頼があることで、テさんは女性たちに働きかけて多様な保健健康管理サービスを提供しやすくなり、また過去に母親たちが妊産婦保健サービスを受けることを躊躇させた(森林での出産を含む)慣習を、彼女たちが乗り越えるきっかけともなっている。』
引用文献:UNESCO “Why Language Matters for the Millennium Development Goals(Bangkok: UNESCO, 2012) P. 29 より
3) 資源のよりよい使用につながるから
公教育やその他の分野におけるマイノリティの言語の使用は、財政的に見てより効率的で費用効果が高い。公用語のみの公教育プログラムでは、「母語による学校教育と比べると年間で約8%費用が抑えられるが、6年間の初等教育サイクルを通して生徒一人の教育にかかる合計費用は約27%高くなる。これは概して、授業の受け直しや落伍者の割合の違いによる。」また、全人口によって充分に理解されているわけではない言語を用いた公報キャンペーンや公共放送に資金や資源を費やしても、効率的でもなければ費用効果もない。このような場合にマイノリティの言語を使用することは、社会のあらゆる部分に働きかけるためのよりよい資源の使用である。
4) コミュニケーションと公的サービスを向上させるから
マイノリティの言語をサービスの提供やコミュニケーションの言語として使用することは、保健健康管理、社会福祉、教育、雇用に関する相談、司法及びその他の公的サービスの質を高め、またそのサービスが受けやすくなり、結果としてよりよい公共サービスの効率的な提供につながる。コミュニケーションは双方向のやり取りであるため、行政部局はいかなる状況においても一公用語のみの使用を全ての人に課そうとすべきではない。対象となる人口の中で別個の言語を共有する人々にも、コミュニケーションが行き届くようにするべきである。マイノリティの言語を用いた対応を行なわなかった場合は対象となる人の疎外感が増大し、一方でマイノリティの言語を使用するとより直接的に人々とのやり取りが進み、より効率的に彼/彼女らの参加を増やすことができる。また保健健康面のサースを受ける場合に言語は大きな障害となり得るため、彼/彼女らの言語の使用は命を救うことにもつながる。
『モンゴル:マイノリティの言語に着目することは、ヒューマン・セキュリティを構築する一助となる
モンゴルは急速な発展を遂げているが、部族言語的マイノリティ(ethno-linguistic minorities)は今も著しく不利益を被っている。このことを認めたモンゴル政府とUNESCO (国連教育科学文化機関)、WHO(世界保健機関)、UNDP(国連開発計画)、及びUNICEF(国連児童基金)を含む複数の国連機関は、遊牧社会を含む、影響を受けやすい辺境地や部族言語的マイノリティ(ethno-linguistic minorities)の社会共同体における長期的な住民の安全、生活の安定と自給自足を推進するべく、2009年にプロジェクトを立ち上げた。
現地語の重要性は、マイノリティの教育を受けたり、保健関連の情報を入手したり、あるいは技能訓練を受けたりする機会を向上させるための、様々な取り組みに共通した主要なテーマである。現地語によるラジオやテレビでは、主要な経済、保健、教育、またその他の情報を提供するための支援が行われている。子どもの教育や非正規成人教育、また技能訓練やビジネスの機会を特定することにおいて、マイノリティの言語に対する認知度が高まり支援も増加している。このプロジェクトは、全てのMDGs目標、とりわけMDG7「環境の持続可能性の確保」に賛同する形でモンゴルの現在及び将来の政策や慣行を強化するためのものであり、また現地語に着目することにより政策立案者にとって有益な学びになることが期待される。』
引用文献:UNESCO “Why Language Matters for the Millennium Development Goals(Bangkok: UNESCO, 2012) P. 41 より
5) 安定と紛争の防止に貢献するから
国内における民族・部族・種族間の緊張や紛争は、疎外、周縁化、及び排除の原因を直視し対処するために言葉に対する権利が実現されているところでは、回避される可能性が高い。少数言語の使用はマイノリティの参加レベルや国内における彼ら彼女らの存在及び可視性を高め、雇用の機会までも促進するため、結束や安定にも肯定的に貢献する可能性がある。反対に、ただ一つの公用語の使用によりマイノリティに対する差別が著しく行われている場合、暴力が発生する可能性が高い。これは、OSCEが国内のマイノリティの言語権に関するオスロ勧告を紛争解決のためのツールとして作成した理由の一つでもあった。
“マイノリティの権利が憲法に謳われており、また選挙制度、司法制度や、教育制度により紛争が悪化する前にその権利が実現されているのであれば、紛争が全く起きないということもありうる。”
引用文献:Baldwin, C., Chapman, C. and Gray, Z., Minority Rights: The Key to Conflict Prevention (Minority Rights International: London, 2007), P. 2 より
6) 多様性を推進するから
言語多様性の喪失は人類の遺産の喪失である。国家はただ一つの公用語や、ごく数種類の国際言語だけを優遇するべきではなく、言語価値を尊重し、できる限り少数言語のようなアイデンティティの本質的な要素を促進、維持及び発展させるために評価し、前向きな取り組みをするべきである。敬意を持って積極的に言語多様性を支えることは包摂社会の証であり、不寛容や人種主義に立ち向かうための主要手段の一つである。言葉に対する権利を大切にすることは、寛容と知的対話を促進する際の、また多様性の尊重を続けていくための、明確な一歩である。
“言語は包摂への鍵である。言語は人的活動、自己表現及びアイデンティティの
中枢にある。人々が自身の言語に置く最重要性を認めることは、持続する結果を
達成する開発への、本当の意味での参加を促進する。”
引用文献:UNESCO “Why Language Matters for the Millennium Development Goals(Bangkok: UNESCO, 2012) より
(加納 央子 訳)
(2019年12月05日 掲載)