鈴木 暁子
朝日新聞GLOBE副編集長(休職中)、国立フィリピン大学第三世界研究所客員研究員
フィリピン大統領選挙が5月9日に投開票され、愛称ボンボンでしられるフェルディナンド・マルコス氏(64)が、3,110万票以上(約98%開票現在)と、次点でライバルのレニ・ロブレド氏の2倍をこえる得票で大勝を果たした。
世界のメディアは驚きをもって「マルコス次期大統領」の誕生を報じている。というのも、ボンボンの父は20年以上にわたってフィリピン大統領の座につき、「独裁者」としてしられたフェルディナンド・マルコス氏だからだ。
1965年に大統領についた父マルコスは社会基盤の整備や経済振興を進めたが、共産勢力の台頭などを理由に1972年に戒厳令を宣言。議会や憲法が停止されるなか、政権に反対する人が暴行されたり、行方不明になったり、殺害された。少なくとも1万人以上が人権侵害をうけたと認定されている。
汚職によるマルコス家の不正蓄財も問題になった。現地報道によると、国の財産の私物化とみて、これまでフィリピン政府が没収したお金は1,740億ペソ(現在のレートで約4,290億円)で、いまも1,259億ペソ(同3,110億円)を回収すべく係争が続いている。
1983年に反マルコスで知られた政治家のベニグノ(ニノイ)・アキノ氏が空港で何者かに暗殺され、マルコスへの不満や批判が高まるなか、1986年に「ピープルパワー革命(エドサ革命)」が起き、マルコスはハワイに追放された。
この「エドサ革命」は翌1987年の韓国の民主化など世界に影響を与えたといわれ、フィリピンは「独裁から民主主義をとりもどしたフロントランナー」と見なされてきた。
エドサ革命が起きた2月25日は国民の休日になっている。すべてのフィリピン人が誇りにしている記念日だと私は思っていた。
でも、そうではなかった。
2022年1月、私は朝日新聞GLOBEの記者として日本からフィリピンに電話取材をかさねていた。フィリピン大統領選挙を前にした世論調査では、すでにボンボンの高い人気が浮かび上がっていた。現地で話を聞きたいが、コロナ禍でフィリピンに渡航できずにいた。
「ラジオで追放を知って涙が出ましたよ。マルコスは最高の大統領だったのに」。マニラから約470キロ離れた北部カガヤン州に住むロザリンダ・パスクアさん(74)はこう話し、1時間半にわたって、いかにマルコスがよい大統領だったかを私に話してくれた。
涙まで?と驚いたが、北部は学生や活動家らによる反マルコス運動が盛んだったマニラから遠く、マルコスの地盤でもある。それもありうるのだろうと思った。
38歳の不動産業の男性は「なぜマルコスを支持するのか」という問いにこう返した。「マルコス元大統領の時代、フィリピンは世界で最も豊かな国だったんです。そのレガシー(遺産)があるから私は息子のボンボンを支持します」。
戒厳令などについて「リサーチ」したという彼は、参考にしたYouTubeのリンクを送ってくれた。80万人が登録するそのサイトで動画を見ると、高速道路や病院、稼働直前だった原子力発電所などの公共事業を進めたマルコスを礼賛していた。マルコスの国づくりの「青写真」が引き継がれなかったために、フィリピンはシンガポールや韓国のようになれず、貧しいのだと説明していた(https://www.youtube.com/c/SangkayJanjanTV)。
男性はさらにこう言った。「戒厳令は規律をもたせるためのもので、人々をコントロールするよい政策だったのです」
なるほど。
もともと、フィリピンにはマルコスの追放をよしとしない「マルコス・ロイヤリスト」と呼ばれる熱烈な支持者たちがいた。ボンボンの母イメルダは、夫マルコスの死後に帰国を認められると、翌1992年にフィリピン大統領選に出馬して230万以上の票を得た。「革命」の記憶がなまなましい時期に、それだけマルコス支持者がいたということだ。
さらに38歳の男性の話からわかるように、いまはフェイスブックやYouTube、TikTok
などを通してうそや誇張された情報が拡散されている。マルコスは「国のことを考えたよきリーダーだった」という内容がすり込まれ、国民への弾圧や汚職についてはすっぽり抜け落ちた形で理解している人が、フィリピンでかなり増えているようだった。
私は朝日新聞を休職し、渡航可能な頃合いをみて、4月にフィリピンにやってきた。フィリピンではお祭り騒ぎのように、連日どこかで、大統領選挙の候補者の集会が開かれていた。まるでコンサートのように、歌手やダンサーを招いた音楽ショーが数時間にわたって開かれ、支持者は無料で歌ったり、踊ったりして楽しむ。
歌い手は「ボンボン・マルコス! ドゥテルテ!」と、副大統領候補のサラ・ドゥテルテ氏の名前と一緒に連呼し、「BBM(ボンボンの略名)は7、サラは4」というふうに、投票の際にマルをつける候補者番号を覚えさせていた。
私は南部ミンダナオ島のタグム市や首都マニラなど5カ所のボンボン・マルコスの選挙集会へ行った。衝撃をうけたのは、複数の集会で、舞台でスピーチをした人のこんな発言を耳にしたときだった。
「エドサ革命ははったりだ!」。元下院副議長のロダンテ・マルコレータ氏はステージの上でこう言い、戒厳令下で起きた国による人々へのむごい行為は「うそ」だと話した。
さらに「1983年にニノイ・アキノを殺したのは誰か、その後2人もアキノ(ニノイの妻コリーと息子ノイノイ)が大統領になっても明らかにしなかった。全部マルコスのせいにするためだ」とまくしたてた。
また、弁護士で上院議員に立候補したラリー・ガドン氏はマルコスを支持しない人について、「エドサ、エドサと言いやがって、ばかやろうが!」とまで言った。
ここまで堂々と、ののしるような口調でマルコスを追い出した「革命」が語られているとは。歴史を否定する「見方」がこれほど受容されていることにびっくりした。
ボンボンを推す人がふくれあがった理由はいくつか考えられる。戒厳令当時の記憶が社会から失われていることは大きいだろう。フィリピン国民の平均年齢は24.3歳(2020年)。人口の半分はエドサ革命を覚えていないか、知らないといわれる。
そして格差だ。フィリピンでは高級なモールやコンドミニアムが次々と建ち、世帯で4万7千円~28万円ほどの月収がある「中間層」は2017年時点で人口の40%を占めるまでになった。だがそのすぐ隣で、豊かさを目の当たりにしながら暮らす貧しい人たちがいる。その大衆の不満、不公平感を、「貧しい民を思った国父」のイメージですくい上げたのがマルコス陣営といえる。恐らく一度も貧しかったことがないボンボンが、その象徴となったのは皮肉だ。
いま次期内閣の陣容が検討され、「エドサ革命ははったり」と繰り返したマルコレータの司法長官就任などが取りざたされている。副大統領に就くサラ・ドゥテルテが教育大臣に任命され、マルコスの黒い歴史を書き換えるのではないかと不安視する人もいる。
ボンボンが訴えてきた「統合・融和」「新しい社会」は本当に明るいものなのか。不穏な空気が漂い始めていると感じている。
(2022年5月17日)
(2022年05月17日 掲載)