石井正子(いしい まさこ)
立教大学異文化コミュニケーション学部教授
2025年3月18日
3月11日、フィリピン南部のミンダナオ島コタバト市からマニラに到着すると、SNSを通じて「ドゥテルテ前大統領逮捕」のニュースが飛びこんできた。ホテルに到着し、最高学府のフィリピン大学から戻ってきたという日本人に様子を聞くと、大学構内では、逮捕の知らせでお祝いモードだったという。
ロドリゴ・ドゥテルテ前大統領は、その日の夜11時発の飛行機に搭乗させられ、ドバイ経由で国際刑事裁判所(ICC)があるハーグに移送された。深夜、フェルディナンド・マルコスJr. 現大統領の記者会見が行われた。
記者「(この逮捕は)2028年の(大統領)選挙にむけた政治的迫害ではないかと言われていますが...」
大統領「(前略)ああOK、そのようにいうでしょうね(失笑)。(中略)人びとが政治の色で見るのは当然です。ですが、インターポール(国際刑事警察機構)の協力要請に従っただけです。(後略)」
*( )は筆者加筆
マルコス家とドゥテルテ家の対立
しかし、大統領がどう言おうとも、今回の逮捕がマルコス家とドゥテルテ家の政治的対立に関係があることは、誰の目から見ても疑いようがない。
ドゥテルテ氏は、2016年6月30日から2022年6月30日まで大統領を務めた。フィリピン危険薬物機関は、2015年時点で180万人(全人口の約1.7%)もの麻薬使用者がいると発表し、中毒者による殺人事件が後を絶たない同国では、麻薬は深刻な問題になっていた。ドゥテルテ氏は就任直後から「麻薬戦争」と呼ばれる剛腕手法の対策に乗り出した。その結果、大統領就任時の2016年7月1日から2019年5月31日まで、警察の発表では6,600人、人権団体の報告では12,000~30,000人の麻薬関連容疑者が殺されたと言われている。
一方、麻薬に苦しめられていた国民は、ドゥテルテ氏が大統領になってから明らかに問題が減少し、地域が安全になったという実感を得ていた。また同氏は、庶民的な語りで、ローマ教皇やアメリカ大統領などの権威にも媚びない態度で、就任中高い人気を保った。
2022年5月の大統領選では、マルコスJr.氏はその人気にあやかり、ドゥテルテ前大統領の娘のサラ・ドゥテルテ氏を副大統領候補として、ユニチーム(Uniteam)と銘打って、大統領選を勝ち抜いた。しかし、蜜月は長くはつづかず、2024年には両家は激しく対立。今年に入っては、下院はサラ・ドゥテルテ副大統領を弾劾訴追するにいたっていた。
逮捕を非難するミンダナオの人々
ドゥテルテ氏は、初のミンダナオ島出身の大統領であった。逮捕の翌日、マニラでは民衆の自発的な参加による大集会は開かれなかった様子だが、ミンダナオ島では、各地でドゥテルテ支持の集会が開催された。
3月14日、私はミンダナオ島のコタバト市に戻った。空港に迎えに来てくれた友人は前大統領の逮捕に憤慨していた。
「ディゴン(ドゥテルテ前大統領の愛称)は治安の回復に貢献した。マルコスはどうだ。シャブ(覚せい剤)の値段を下げて、コメの値段を上げただけじゃないか。マルコスは誰のおかげで当選できたのか、忘れたのか」と。
お世話になっている滞在先の家族も、「ここコタバト市は、ディゴンが大統領になるまで、麻薬中毒者のうろつきが怖くて、夜8時以降は出歩くことができなかったのよ。いま家が建っている場所は、中毒者によって殺される人の死体置き場だったと聞いたこともあるわ。いとこたちも中毒になってたいへんだった」と逮捕が不当だと訴える。
正義を待ち望む「麻薬戦争」の犠牲者たち
3月11日の夜から、ニュースやSNSでは、逮捕の話題でもちきりとなった。超法規的な殺害を容認してきたはずのドゥテルテ氏の支持者が「こんな超法規的な手段で逮捕するとは許せない」と発すれば、マルコス派がそれに反発する。フェイクニュースの拡散にも煽られて、世論を分断している。
そうしたなか、麻薬戦争の犠牲者の家族や、彼らを支持してきた人権団体は、犠牲者の写真を掲げて各地で会見を開き、逮捕を契機とした正義の回復を訴えた。
3月11日フィリピン時間の午後9時、国際刑事裁判所(ICC)ではドゥテルテの初審理が行われた。点だけ見れば、多くの犠牲者を出したのにもかかわらず、不処罰のままであった元国家元首が裁かれることは望ましいことに違いない。ただ、現政権が政敵となったかつての「恩人」を打ちのめす契機として利用しているところに国民の一部は道義的に憤っている。一方そのことは、国際刑事裁判所(ICC)の知るところではない。現政権が前大統領の逮捕に対する人びとの憤懣(ふんまん)の背後にある貧困と麻薬の苦しみ、日常の安全を切望する思いに目を向けない限り、分断を避けることは難しいように思われる。
コタバト市で開催されたドゥテルテ前大統領を支持する集会(2025年3月17日、筆者撮影)
ドゥテルテ前大統領の就任期間にフィリピン政府と反政府イスラム勢力の和平合意にもとづいた暫定自治政府が設立されたことから、コタバト市のイスラム教徒たちは同大統領に感謝する声をあげた(2025年3月17日、筆者撮影)
集会が暴徒化しないように国軍や警察が出動して見守った(2025年3月17日、筆者撮影)
<参照>
https://www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section4/2025/03/icc315.html
フィリピンのドゥテルテ前大統領、「人道に対する罪」容疑で国際刑事裁判所(ICC)に移送され、オンラインで初出廷(3/15)
(ヒューライツ大阪ニュース・イン・ブリーフ)
(2025年03月19日 掲載)