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国際人権ひろば No.77(2008年01月発行号)
人権さまざま
生きがい
白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪所長
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(日本国憲法 第13条)
すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。
(世界人権宣言 第1条)
ある集まりで学生と話す機会があった。「どうしたら生きがいを見つけられるのでしょう」ときかれた。また、別の会合で配られた資料に「お年寄りが生きがいを持てる社会を」とあった。日長一日声をかけられることもなくひとりで過ごす老人がいるという。人生のたそがれを孤独のうちに迎える姿である。さらに、仕事のストレスから「生きがいを感じない」という中堅社員の悩みをインターネットの生活相談で読んだ。「生きがい」が気になる。
「今の若者は無気力、無感動、無関心で日々を過ごしている」というようなことを聞く。「やる気がない、心躍らない、どうでもいい」。生きる目標がない、あるいは見失ったということなのであろうか。何かをしようをいう積極的な意欲がおこらないのか。私が若いときにも同じようなことを聞いたのを思い出す。「今の若いもんは」というのは、いつの時代にもある愚痴の枕詞である。心配することはない。私が見るかぎり、「生きがい」は老若男女を問わずどの時代でも気になることなのである。生きがい論は今もさかんである。
「生きがい」とは生きる甲斐(かい)、生きるだけの価値があることをいう。自分の人生に意味があると信じる、考えることでもある。「生きがい」は、あってもなくてもいいというものではない。幸せに生きるためには「生きがい」は、なくてはならないものである。
人にとって幸せとは、本来自分に備わっている資質や才能を生かせて、満ち足りた状態、目標を達成しようと打ち込む生きざまとでもいえようか。人は一人一人顔かたちが異なり、性格も異なる。そのように、幸せも生きがいも一人一人異なって当然である。同じ生きがいを持ち、同じように幸せになることなどありえない。人が「個人として尊重される」とき、その人は、自分の幸せ、自分の生きがいを「自由」に見つけることができるはずである。お仕着せの幸せや生きがいが自分に合うとは限らない。
最近、定年退職後初めて生きがいを持ったという学生時代の同級生に会った。仕事や生活の心配もなく、日本全国を旅しながら、バードワッチングに夢中になっている。同じ趣味を持つ仲間との交わりが楽しいという。環境保護活動や有機農業に精を出す人もいる。このように、それぞれ社会活動、趣味や娯楽に老後の生きがいを見出そうとしている人は多い。家族が生きがいという人、人のため、社会のために役立つことを生きがいとする人もいる。人を「生き生き」とさせる、様々の生き方がある。
ある大学の先生からきいたことである。今の学生は、自分が目指す模範となるような先達をもたない人が多いそうである。この先生は、伝記などを読んで自分の目標となる人生の先輩を探したという。先生は、こうして自分の「生きがい」を見つけたと思った。けれども、偉人伝にあるような昔の人物ばかりが模範となるのではなかろう。自分の親のようになりたいという若者もいる。日常生活で身近に接する人の中に自分の目指すような模範が見つかることもあろう。「生きがい」のきっかけは、身近にもある。
若いころから、目標を定めて職を選び、生き方を選んだ人がいる。一貫した生き方である。職に自分をかけられるというのは、その人の天性にあった職という意味で「天職」といわれる。険しい道かもしれないが、幸せな生き方である。「生きがい」がある。そんなとき、困難を乗り越える力は内からおこる。洋の東西を問わず、昔から、社会で特別な役目を担う人がいた。使命と責任の重さから、また そこにいたるまでの努力が求められることから、これらの職にある人びとはプロフェショナルと呼ばれ、誇りを持ち、社会でふさわしい尊敬を受けた。そこには日本で「プロ」と言われる人たちと共通するものがある。
立身出世が幸せへの道という人がいる。地位と力を持ち、富を手に入れることによって、自分の幸せをつかむ。そのような目標に向かっていく努力に生きがいを覚える人がいる。それはそれで、「公共の福祉に反しない限り」また「互いに同胞の精神を持って行動」するかぎり、それぞれの人の自由である。しかし、自分はこれとは別の生き方をしたいと考える人に、何がなんでも、出世のために「いい学校」へ、「いい就職」を、と迫ることは、その人が自分の生きがい、自分の幸せを見出そうとする努力のじゃまをすることにならないか。
人は、一人一人がかけがえなく、尊い。それぞれの人生は、挫折も、つらさも、悲しみも含めて、生きる価値がある。それぞれに「生きがい」があるはず。例外はない。一人一人を大切にし、個人として尊ぶことを求める人権の視点を、社会で「生きがい」を見出し、幸せに生きるために、役立てたい。