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国際人権ひろば No.78(2008年03月発行号)

人権さまざま

人権と民主主義

白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪所長

民主主義、発展、および人権と基本的自由の尊重は、相互に依存し、互いに補強しあうものである。民主主義は、自分たちの政治的、経済的、社会的そして文化的制度を定めるために人々が自由に表明する意思と、生活のあらゆる面での人々の全面的参加とに基づいている。ここにおいて、人権と基本的自由は、国内で、また国際的次元で、普遍的かつ無条件に促進保護されなければならない。国際社会は世界中どこでも、民主主義、発展そして人権と基本的自由の尊重を強化し促進するための支援をすべきである。
(ウィーン宣言および行動計画、Ⅰ- 8)

 最近、韓国のソウルで開かれた若者のための人権研修に招かれた。そこで、人権保護促進と民主主義が互いに支えあう関係にあるということについて話す機会を得た。海峡を隔てた隣国の若者たちの人権への関心と意欲に触れ、予期した以上の刺激を受けた。そこで受けた印象は今も私の中に残る。植民地支配、戦争、独裁政治を経てきた韓国で、人権と民主主義への特別の思い入れを持つ人が多いことを改めて感じた。

 民主主義といえば、エイブラハム・リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」ということばが、よく知られている。「ゲティスバーグの演説」にあることばである。統治権限が人民(市民、国民ともいえるであろうか)に由来し、統治は、人民が選ぶ代表によって、人民の幸せのために行われるというものである。

 理想はともあれ、現実には、これを実現することは大変に難しい。民主主義の失敗、堕落は、衆愚政治となる。第二次世界大戦前のドイツで、先進的な民主主義を定めた憲法のもと、ナチスが政権を取ったのは、扇動による巧みな世論形成で国民の圧倒的支持を受けたことによる。権力を手に入れたナチスは、憲法を骨抜きにし、そこに謳われていた人権保障を反古にした。強権を発動して、同調しない人々やユダヤ人をはじめとする少数者の抹殺に突き進んだ。徹底的な破壊に終わった戦争のあと60年以上が過ぎたが、ナチスドイツによってもたらされた傷跡は、人々の心と記憶に深く残っている。

 民主主義は、すべての人の尊厳と人権を尊重することから始まる。多数の力を頼んで、個人のまた少数者の人権を奪うようなことは許されない。社会を構成する人々のそれぞれのちがいを認め尊重すること、自由に考え、意見を述べ、行動すること、すべての人が法の下に平等であること、それぞれの人が、それぞれの能力や特性を生かして社会に貢献できることなど、民主主義が機能するためになくてはならない条件がある。そして、一人ひとりが、自分の人権を知り、社会の一員として他人の権利と自由を尊重することが大切であるといわれる。このような市民を育てるための教育が欠かせない。

 歴史的にみても人権と民主主義は同じ思想的、政治的土壌から生まれたものである。現代の民主主義は、すべての人の尊厳と平等、人権尊重のうえに成り立つ。また、民主主義体制のもとでこそ、人の尊厳、平等は尊重され、人権はまもられる。これは、人権と民主主義の相互依存性といわれる。

 ここでまた昔の話である。もう50年も前のこと、私は私立の中学校に入学した。この学校は規律と勉学に厳しいと親には大変評判がよかった。校長先生が級長を任命した。始業式で生徒の名前が呼ばれ、校長先生が「級長に命ず」と辞令を授けた。学業成績一番の者が級長になった。これには、子どもながらに奇異な感じを持って、その夜親に話したところ、これは戦前の中学校で行われていたことだという。そのとき、「級長になれるよう励め」というようなことを聞いた覚えがある。数年たって、この制度は生徒会に取って代わられ、今度は「クラス委員」がクラス全員の選挙で選ばれることになった。この学校にも民主主義原理が導入されたのである。「何の得にもならない」クラス委員である。大抵、誰も立候補しない。そこでクラスの者から推薦される複数の候補者から投票でクラス委員が選ばれた。

 あるとき、クラス委員の選出のために推薦があったが、一人として推薦を受けるものがいない。「勉強の役に立たないことはやりたくない」というものまで出る始末であった。日を改めて、一人の生徒がクラス委員に推薦された。気が弱く目立たないその生徒の名前が出たとき、まさかと思った生徒が多かったが、一番驚いたのはその生徒本人であったようだ。あれよあれよという間に挙手の票決でその生徒がクラス委員に選ばれてしまった。その生徒は、クラスの幾人かが謀って「この余計な役目」を自分に負わせようと票を取りまとめたことを担任の先生に訴えた。先生がクラスで事情を尋ねたとき、一人の生徒が答えた。「多数決で決まりました。民主主義です」。このときほど怒りに燃えた先生の顔を見たのは後にも先にもその時だけであった。「多数決で何でも決められるというものではない。君たちのやったことは民主主義に対する冒とくだ」。叱られた私はそれ以来この先生に深い尊敬の念を抱いた。

 人権も民主主義も、人を育てるなかで身につくものである。一夜漬けは効かない。