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国際人権ひろば No.79(2008年05月発行号)

特集・世界の人権教育のいま Part 3

東南アジアからの外国人看護・介護労働者の参入をめぐって - 政策と現場の乖離について

小川 玲子(おがわ れいこ) 九州大学アジア総合政策センター准教授

 グローバル化によるヒト・モノ・情報の移動がますます活発になる中、東南アジアとの経済連携協定(EPA)の締結により、外国人の看護師・介護士が日本の医療・福祉の現場で働くための受け入れ態勢の整備が進められている。協定1が批准されれば、日本の病院や高齢者施設にフィリピンやインドネシアから看護師や介護士が入ってくるのである。両国とのEPAの看護師・介護福祉士に関する条項では当初2年間で看護師候補者400名、介護福祉士候補者600名を上限とする受け入れ枠が設定されており、6ヶ月間の日本語や看護・介護の研修を受けた後、一定期間内に国家資格を取得することが義務付けられている。
 しかし、EPAそのものは自由貿易促進の原則から推し進められたものであり、日本の高齢化社会への対応として生まれたものではない。厚生労働省も国内の看護師・介護士の労働力不足を解消するために、外国人労働者の受け入れを進めるという立場は取っていない2。そのため政策と現場との間に齟齬があり、さまざまなアクターが同床異夢のまま動いているというのが現状である。
 九州大学アジア総合政策センターでは2008年3月8日に各国の行政と現場の担当者を招いて「グローバル化する看護と介護?医療福祉分野への外国人労働者参入をめぐって」と題する国際シンポジウムを主催した。EPA交渉にあたった厚生労働省、フィリピン、インドネシア及び現在16万人の外国人介護労働者を受け入れている台湾の行政官、在日フィリピン人ホームヘルパーの養成関係者などの実務家、国際移住機関(IOM)の駐日代表などを招いて活発な議論が行われた。本稿ではシンポジウムでの議論を交えながら、政策としてのEPAと現場との乖離について3つの視点から考えてみたい。

日本の現実と乖離している協定


 まず第1に高齢化社会を迎える日本国内の現状とEPAとの乖離があげられる。シンポジウムでは厚労省経済連携協定受入対策室長である秋山伸一氏に、日本側の受け入れ態勢に関する具体的な質問が集中した。例えば、在留資格や社会保障、賃金、国家試験に落ちたり失踪した場合の対応等についての質問の多さはこの問題に対する関心の高さと、それに反比例する情報量の少なさを物語っている。
 厚労省では高齢化に伴い、今後10年間で介護福祉士やホームヘルパーなど約40~60万人の介護職が必要になると推計している。しかし、介護職の離職率は約20%と他の職種に比べて高い上に、資格を持ちながら介護職に従事しない人も多い3。本来であれば国内の有資格者が働けるような待遇改善をすることが先決であり、そこに外国人労働者を受け入れても問題は解決するどころか複雑化する。しかし、EPAの議論の中では国内の少子化とケア労働者の不足については触れられておらず、外国人ケア労働者の受け入れをどのように進めるのかという正面からの国民的な議論はなされてこなかった。シンポジウムでも、在日外国人のホームへルーパー養成講座を運営するインターアジアの中村政弘氏から人手不足や人件費が安いからという理由で外国人を雇用するのではなく、少子高齢化を支えるパートナーとして迎えるべきである、との指摘があった。
 1960年には生産年齢人口(15~64歳)約11人で1人の高齢者を支えていた。2015年には2,3人で支えなければならない4。この劇的な人口動態の変化を前に、私たちは看護や介護の質を低下させることなく、外国人労働者及び国内の医療・福祉関係者双方の待遇と人権を保障する形で受け入れを進めなければならないという隘路に立たされている。

「魅力」に欠ける日本のケア労働市場


 第2に、ケア労働の国際労働市場の潮流とEPAとの乖離があげられる。OECD諸国では高齢化社会への対応と国内の労働力不足を補うために外国籍の医療従事者の人数は増加の一途にある。例えば、外国籍の医師の比率はニュージーランドでは46.9%、オーストラリアでは42.9%、カナダでは35.1%にのぼり、外国籍の看護師の比率はスイスでは28.6%、オーストラリアでは24.8%を占める5。これらの先進国で働く外国籍の医療従事者の主要な送り出し国はアジア地域であり、アジア出身の医師や看護師は既に先進国の医療・福祉システムの中核を担っているのである。
 フィリピンは、アメリカ植民地時代に導入された看護教育のカリキュラムと英語が出来る強みを生かして毎年7千名以上の看護師を海外に送り出している。フィリピン人看護師は「世界クラスの輸出品」としてケアの国際労働市場では需要が高い。シンポジウムで報告をしたフィリピンのEPA交渉責任者の前労働次官D.クルス氏は、「フィリピンでは毎年4万~5万人の看護師が誕生しており、国家試験の合格率が50%だとしても2万~2万5千人の看護師を輩出している。試験に合格しなかった者は介護士として日本に来ることが出来る」と送り出し国としての自信を見せる。
 しかし、このように即戦力として海外で働けるフィリピン人看護師たちにとって、EPA協定の条件である日本語の取得や日本の国家試験は時間がかかりすぎる上に、国家試験に合格するまでは補助的な役割と賃金しか得られないというのはハードルが高い上にインセンティヴが働かない6
 これまで累計で11万人の看護師を海外に送り出してきた実績のあるフィリピンに比べると、シンポジウムで報告をしたインドネシア労働移民省のF.パンチャウォダ氏によれば、インドネシアの看護師の送り出しの実績は1987年から2007年の間に僅か5,566人と少ない。しかし、現在、オーストラリアの大学の協力により看護師の送り出しが始まっており、「もっと条件が良いところがあればそちらに送り出すことを考える」と日本以外への送り出しについても積極的である。シンポジウムでもEPAのようなインセンティヴが低い条件で果たして日本は優秀な人材を確保できるのか、という医療・福祉関係者からの声が伝えられた。フィリピンやインドネシアにとって見れば、日本は数多くある送り出し先の選択肢の1つに過ぎず、EPAもグローバルなケア労働の国際市場の需給関係の力学を無視することは出来ない。

資格認定、移住プロセス、受け入れ条件の課題


 第3に国家間における資格認定上の齟齬があげられよう。EPAでは看護師・介護士と一括して議論されてきたが、この2つは抱えている課題が異なる。看護師はフィリピン及びインドネシアでは資格制度が確立しているのに対して、介護士は先進国やアジアNIESにおけるケア労働の外部化が生み出した比較的新しい職種である。フィリピンでは2002年に国家資格が定められ、技術教育技能開発庁(TESDA)が認定した6ヶ月の介護士養成学校を卒業すると介護士として認定され、海外移住が可能となる。ただし、フィリピンの介護士養成のカリキュラムには高齢者のみならず、幼児や児童、障害者の介護や家事全般が含まれており、日本の介護福祉士の業務とは必ずしも一致しない。
 一方、インドネシアにはそのような資格認定の制度がない。それでもインドネシアは1989年から2007年の間に香港、台湾、シンガポールなどに約130万人の介護関連労働者を送り出してきた。その養成や送り出しのシステムについては今後の研究課題であるが、シンポジウムで報告した台湾行政院労工委員会の蔡孟良氏によれば、台湾の移民受け入れには人材斡旋業者が介在しており、高額な斡旋料がかかる上、休暇がないという労働条件で働く外国人労働者は51%にのぼるという。そのため、外国人労働者の失踪が後をたたず、失踪外国人の50%は介護関連労働者であるという。EPAでは(社)国際厚生事業団が一元的に受け入れを行い、病院や施設での就労となるが、資格制度が確立していないために看護師に比べてあいまいさが残る介護関連労働者は、ブローカーや雇用主からの人権侵害の対象となりやすいということを台湾の事例は教えてくれる。

 交渉や駆け引きあるいは妥協の産物として誕生したEPAであるが、マクロな立場から見ると経済のグローバル化による移住労働の女性化、福祉国家政策の転換と高齢化社会への対応、介護保険制度の導入に伴うケア労働の社会化などの時代的な潮流と合致しており、ケアのグローバルチェーンと呼べるような再生産労働の国際分業体制が構築されつつある。外国人看護師・介護士の受け入れはこれまで国民国家の内部で完結していた医療・福祉制度がグローバル化のもとで溶解し、新たな再編成が行われることを意味する。今回のシンポジウムでは政策担当者と実務関係者が初めて一堂に会し、一般市民を交えて討論をしたが、現在の医療・福祉制度や移民政策の問題について国内外の関係者によるさらなる議論が必要である。先送りできない高齢社会を前にして、私たちは外国人労働者に対して定住を含めた共存のための知恵を絞ることが切に求められている。

1. フィリピンとの経済連携協定は2006年に締結されたが、現在に至るまでフィリピンの上院で批准されていない。インドネシアとの経済連携協定は2007年に締結され、2008年4月17日に衆議院で承認された。
2. 「厚労省『今後も限定』」朝日新聞2008年2月11日
3. 「介護福祉士の現場離れ」読売新聞2007年8月24日
4. 平成19年版『高齢社会白書』
5. International Migration Outlook, OECD, 2007
6. 平野裕子「私の視点 外国人看護師受け入れ方法の再検討を」朝日新聞2008年1月11日