アジア・太平洋の窓 Part 2
写真提供:仏教救援会提供
写真:INBR提供
5月2日~3日にビルマ(ミャンマー)を襲ったサイクロン「ナルギス」は、同国随一の穀倉地帯であるイラワジ・デルタ地域に上陸した後、最大都市ヤンゴン(ラングーン)を直撃した。死者・行方不明者は13万人以上、被災者は約240万人(被災地住民の半数)に上ると推計される。農業や漁業への被害は、とくにエーヤワディー(イラワジ)管区で甚大である。同管区の被災地域全体では水田の3分の2が浸水し、耕作用家畜の70%が失われた。今年のモンスーン期に作付け可能な水田は、以前のたった3分の1強という深刻な事態だ。1また被災者のうち約100万人には、6月26日の時点で、国際NGO・赤十字・国連機関からの支援が届いていない。2
効果的な援助の実施を阻んでいるのは、ビルマ軍事政権=国家平和発展評議会(SPDC)の硬直的な態度である。軍政は災害救援よりも国内の治安維持と政治日程を優先し、二次被害を拡大させている。じっさい国連機関や国際社会からの援助の申し入れに消極的な姿勢をとり続けていたため、支援が本格化したのは、新憲法制定のための国民投票が完了した後の5月末になってからだった。3
軍隊や警察は、救援活動のためではなく、市民や外国人を監視するために配備されている。ビルマでは現在、民間セクターによる草の根支援が盛んに行われている。軍政は表面的には、自由な支援を「許可する」としている。だが市民が被災地に赴けば、途中で何度も検問に遭う。軍政は被災地や被災者の様子が国内外に広まることを警戒しているからだ。当局に政治的だと疑われて、身柄を拘束されたボランティアもいる。4なお外国人が許可なく被災地に入れば、国外追放の可能性もある。
他方で軍政は、民族勢力や民主化運動にこれまで通りの強硬姿勢で臨んでいる。2005年後半に始まったカレン人居住地域への軍事作戦はいまだ止まず、15万人の国内避難民(IDP)を発生させている。5また6月19日にヤンゴンの国民民主連盟(NLD)本部前で行われたアウンサンスーチー氏の誕生日を記念する集会には、暴漢を差し向けて、参加者に激しい暴行を加え、複数の活動家の身柄を拘束している。
私たちビルマ情報ネットワークでは、記者・議員向けブリーフィングやウェブサイトなどを通じて、サイクロン後の政治社会問題を積極的に取り上げてきた。また同時に、被災者を支援する募金活動を行う団体からの呼びかけや、現地支援先からの報告も紹介している。
以下、日本ビルマ救援センター、ビルマ市民フォーラム、ビルマ救援のための国際ネットワークがそれぞれ呼びかけ、資金援助を行っている現地での取り組みを紹介したい。なお日本語による総合案内はビルマ情報ネットワークのウェブサイトのサイクロン特集ページを参照されたい。 http://www.burmainfo.org/CycloneNargis.html(日本語)
仏教救援協会(Buddhist Relief Mission)は、ケン&ヴィサカ・カワサキ夫妻が1988年に、世界各地の仏教徒を支援するために創設した。また両氏は、日本ビルマ救援センターを1988年に奈良県で設立し、2001年まで代表を務めた。現在はスリランカを拠点とし、長年にわたる献身的な活動によって培った広範なネットワークを通して様々な活動を手がける。最近では、2007年9月のビルマ民主化蜂起後の弾圧を逃れ、インドに亡命した僧侶への支援を行っている。
サイクロン被災者支援については、日頃から関係のある青年仏教学生識字協会(インド・コルカタ)をカウンター・パートナーとしている。同協会はイラワジ・デルタ地域の仏教僧院を通じ、救援資金の他、浄水用錠剤、必須医薬品、テント地などを被災者に届けている。
なお今回のサイクロンでは、現地の僧院が被災住民のシェルターとして重要な役割を果たしている。また出家者には当局も容易に手出しできないので、信頼できる僧侶を通じた支援はたいへん効果的である。イラワジ・デルタ地域は水路が入り組んだ地形で、低速のボートしか交通手段がない地域が多く、移動に多大な時間を要する奥地には援助がほとんど届いていない。しかしこうした地域にまで僧侶が出向き、被災者への支援活動にたずさわっていることがたびたび伝えられている。
http://www.brelief.org(英語)
緊急援助チーム(Emergency Assistance Team: EAT-BURMA)は、ビルマ・タイ国境の街メーソットにあるメータオ・クリニックが中心となって組織され、タイ側とビルマ側双方の個人や組織と連携し、サイクロン被災者への救援活動を行っている。
同クリニックはビルマ出身者に無料医療を提供するとともに、ビルマ側に医療チームを派遣して行う、国内避難民への直接支援や、若手医療従事者の育成も手がける。ディレクターのシンシア・マウン医師は2002年にマグサイサイ賞を受賞するなど、国際的にもよく知られた存在である。
5月末の時点で12?15万人を対象として、保健衛生、食料、生活支援を中心とした支援を行った。今後は3ヵ月単位でのプロジェクトを策定して活動を継続する予定である。
http://www.maetaoclinic.org/cyclone.html(英語)
ビルマ救援のための国際ネットワーク(International Network for Burma Relief: INBR)は、1988年の民主化運動を日本から支援した名古屋大の留学生グループが母体となり、運動の弾圧を逃れてタイ・ビルマ国境に亡命した学生活動家らを支援する組織として、名古屋で結成された。
1990年代半ばまで活動を続けていたが、支援先の環境の変化や、代表者チョーティン博士の米国移住などもあり、組織としては休止状態にあった。しかしこのたび、サイクロン「ナルギス」の被災者を支援するため、2008年5月に米国・カリフォルニア州で組織が再結成された。
現在は、ヤンゴン管区チャウタン郡で救援活動を行い、被災者に必需品を提供する一方、被災者のシェルターとなっている村の僧院2棟を再建した。INBRはビルマ国内のボランティアと連携しながら、今後も同郡内などでの支援を拡充していく予定だ。
http://www.burmainfo.org/relief/inbr-help200805.html(日本語)
1Food and Agriculture Organization of the United Nations (FAO),'Needs assessment for the Cyclone Nargis affected areas - Agriculture (crops, livestock, fisheries, forestry),'June 22, 2008
2United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs (OCHA),'Myanmar: Cyclone Nargis OCHA Situation Report,'No. 35, June 26, 2008.
3 この新憲法のねらいは、軍政支配の恒久化にある。一連の経緯は、次を参照。根本敬「ビルマ新憲法:サイクロン被災無視の国民投票」、『毎日新聞』、2008年6月2日、http://www.burmainfo.org/analyse/nemoto20080602.html。箱田徹「サイクロン後のビルマ:草の根支援活動を恐れる軍政」、『オルタ』、2008年7月号。
4Saw Yan Naing,'Regime Steps Up Crackdown on Private Cyclone Relief Efforts,'in Irrawaddy, June 18, 2008.
5Amnesty International, Myanmar: Ethnic Group Faces Crimes Against Humanity, June 2008.