ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします
国際人権ひろば No.81(2008年09月発行号)
特集・世界人権宣言60周年によせて Part 7
今こそ先住民族の権利保障を
貝澤 耕一(かいざわ こういち)
NPO法人 ナショナルトラスト チコロナイ理事長
二風谷について
北海道庁の2006年の調査によると、アイヌを自認している人は約2万4千人。これは自ら名乗っている人の数であり、アイヌでありながらアイヌを隠している人が殆です。なぜ隠すのかというと、同和問題や在日韓国人の問題と同じように、差別や不利益を被ることを避けるためです。ですからアイヌの人の人口は2万4千人の10倍、約20万人はいると考えられますし、北海道以外にも全国に散らばっている数も合わせると30万人、40万人ぐらいはいるのではないかと思われます。
私の住む平取町二風谷(ニプタイ)は人口約500人、そのうちアイヌ系の人は約350人であり、北海道ではアイヌの人口密度が一番高いところです。北海道では、明治初期から旧土人法のできる明治32年ごろまで、その生活、文化、習慣などはどんどん切り崩されてきました。それでもアイヌの文化を維持するために信仰と儀礼、踊り、伝統料理や木の内皮から作る衣服などの文化伝承の活動が現在も続けられており、特に次に述べる二風谷ダム裁判等が契機となってこれらの活動が続けられるようになりました。
容易な用地買収
沙流川中流の二風谷に国が建設した二風谷ダムの土地収用裁決の取り消しを求めて、萱野茂さんと私の2人が原告となって訴訟をおこしたとき、地域の人たちは誰も見向きもしませんでした。「あいつら物好きだからやっているんだ」といった反応が殆でした。その理由は貧しかったからです。つまり旧土人法によって無理矢理農民に仕立て上げられ、もともと自分たちの土地なのに5町の農地を与えられ、その土地を開墾して10年間維持しなければ取り上げられる。その当時の北海道には大木が多く、機械でなく人間の手だけで開墾することは非常に大変なことでした。さらに自家用で粟、キビ、ヒエ、蕎麦などを作っていたものの、商品作物を作る知識はまるでなかったため本土から来た人たちと競争して農業をしても上手くいくはずがありませんでした。
現在の二風谷ダム湖の下には二風谷の人たちが耕していた約100haの畑がありました。昭和41年に沙流川に堤防が築かれ、水田にして楽な生活をしようとした矢先に国の減反政策が始まりました。減反政策が始まるとお先真っ暗です。そこにダム建設の話が持ち上がり用地買収が始まった。どうせ自分たちの土地がなくなるなら、売って借金をなくして、子どもたちを街に出そうとなる。このような経過で、貧しいがゆえに用地買収は非常にスムーズにいきました。用地買収に反対したのは萱野さんと私の父だけでした。
建設省(当時)の担当者はこれまでいろいろな場所で用地買収をしてきたが、こんなに簡単に用地買収できた場所はないといっていました。つまりそれほど、みんな貧しかった、借金に苦しんでいたということです。
土地を売ったということはダム建設に賛成したということなので、訴訟に参加することはできませんから、原告2人での闘いとなったわけですが、弁護士が15人の弁護団を無償で組織してくれました。ただ、訴訟を始めたときは弁護士も「日本の今の現状ではこの裁判は絶対勝てませんよ。ただあまりに国が非道なのでそのひどさをマスコミなどを利用して訴えましょう」といって始めた裁判で、私も違法という判決が出るとは思ってもいませんでした。
二風谷ダムは違法
1997年の二風谷ダム判決では、アイヌ民族が先住民族であるとはしませんでしたが、北海道における先住性を認めること、そして文化享有権の侵害を認め二風谷ダムの建設にかかる土地収用は違法であると認められました。国はダムの建設の前に動植物などの環境の調査はしているにもかかわらずアイヌの文化や歴史、遺跡に関する調査を一切していなかった。つまりアイヌを人間と認めていなかったのです。
文化享有権を裁判で認めたということは、同じような事例で全国にも適用できるという意味で重要です。つまり自分たちの住んでいる場所で自分たちにとって大事な伝承すべき文化を侵害されたときは、闘う事ができるということをこの裁判で示したことになります。私独自の解釈をすると個人が受け継いでいる文化は誰も妨げることはできない、違法ですよということです。
ダム建設と森林破壊
二風谷ダムの写真をみると、不思議なことにどれも水が青く映っていますが、実際は、周囲の森林が破壊されているために土が凍る冬以外はいつも濁っています。「日本ほど水が豊かな国はない。ただし日本ほど水をおろそかにしている国もない」とカナダ大使夫人(当時)に言われたことがあります。川は本来透き通っているのが普通なのに、汚れて濁った川が多くなってしまったため、四万十川のような透き通ったきれいな川が有名になってしまう。おかしな話です。
ダム建設や木を切るために山に重機で作業道をつくり、そこから木が枯れ森は壊れていきます。二風谷ダムは100年は土砂で埋まらないと調査されていましたが、森林を破壊したことにより実際は10年で土砂がたまり、かなり浅くなっています。また、山が荒れ果てているために台風が来ると雨で木が流されます。2003年の台風10号のときには、大量の木が流されことにより橋脚が崩壊するなど大きな被害が出ました。
それにもかかわらず国は、二風谷の上流にもう一つのダム、平取ダムの建設を予定しています。普段は水を貯めずに、洪水の時だけ水を調整するのに使うそうです。そんなダムを作る必要があるのでしょうか?そして問題はこのダム建設予定地の上流に北海道教育委員会の指定したアイヌに関連する遺跡が17ヶ所あること。また二風谷ダム裁判の時にも一番問題となったアイヌの信仰の対象となるチノミシリ(我ら祈るところ)が3ヶ所もあることです。アイヌ民族の組織であるウタリ協会は、「本当に必要ならダム建設は仕方がない。ただしチノミシリの形を変えてはならない」と主張しています。ほかにもアイヌにとって重要な有用植物が群生している場所ですし、ヒグマや鹿、大鷲のなどの生息地でもあります。「水をためればこれらの絶滅危惧種や希少な動植物がどのような影響をうけるか考えるべきだと」主張したところ、国側に雇われたある植物の専門家で「他の場所にもあるから、ここで絶滅してもいいじゃないか」といった人がいました。ダムを作って水を貯めればどれほどの影響が出るか計り知れないのにもかかわらず。
このような重要性や貴重性を無視して国は平取ダムの建設をすすめるのかどうか。国は今のところ沈黙していますが、何らかの異議を唱えてくると思います。平取ダムの問題は、アイヌ民族や動植物の重要性をどう評価するのかという国の考え方を知るうえでとても重要な事例となりますので、皆さんにも注目していただきたい。
先住民族決議とG8
1997年の二風谷ダム判決でアイヌの先住民族性が認められ、昨年、国連で先住民族の権利宣言が採択されました。日本は賛成したにもかかわらず、町村外務大臣(当時)は、先住民族の権利宣言とアイヌは関係ないといった発言をしました。そういいながら今年の6月に、国会の衆参両議院が、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で採択するなど、アイヌを巡る状況が大きく動きました。その理由は洞爺湖で開かれたG8サミットです。
サミットの半年ほど前から外国のメディアが次々と北海道にアイヌの取材にきました。日本政府が先住民族としてのアイヌをいくら否定しようが、外国では北海道にアイヌという先住民族がいるということはよく知られています。よってG8サミットで、先住民族に対する政策について外圧を受けるのを恐れてその直前に認めたのだと思います。
国は1997年の二風谷ダム判決から十年たってようやくアイヌを先住民族として認めたのですが、権利は全く認めていません。なんの断りも相談もなく勝手にアイヌの土地に入ってきて、アイヌの土地を取り上げ、アイヌを勝手に日本人として戸籍に組み入れた。財産や文化を破壊してきた。そのような歴史を明らかにしたくないのでしょう。
実際、政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」のメンバーには8人のうち1人しかアイヌ民族のメンバーが入っていないことから判るように、今後、国がアイヌ民族の権利について真剣に取り組むようにはみえません。
全ての国際的な人権文書のもととなる世界人権宣言が採択されて今年で60周年になります。今、日本政府に求められることは、まず過去のアイヌに対する政策を謝罪し「先住民族の権利宣言」に規定される先住民族の権利のうちとりわけ、自己決定権、言語権、自然資源利用権など、アイヌ民族が本来もっていたすべての権利の速やかな回復を図ることではないでしょうか。
※8月8日のセミナー「先住民族としてのアイヌ民族をどう教えるか-国連先住民族権利宣言をふまえて」の内容をもとに構成しています。