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国際人権ひろば No.81(2008年09月発行号)

特集・世界人権宣言60周年によせて Part 4

なぜ、私は人権に取り組むのか

窪 誠(くぼ まこと) 
大阪産業大学 経済学部教授

なぜ、私は人権にとり組むのか


 幸せに生きたいからです。幸せって何だろう。以前、「国際人権ひろば」2001年11月号に、ふたつの幸せについて書きました。結ぶ幸せと切る幸せ。結ぶ幸せというのは、「あなたが幸せだから私も幸せ」と感じる幸せ。他の人と喜びを分かち合う幸せです。これなら、みんなが幸せになれます。一方、切る幸せというのは、「あなたが不幸だから私は幸せ」と感じる幸せ。競争や戦争で相手を倒して喜んだり、自分より不幸な人を見て「自分はそうでなくてよかった」と思う幸せです。これだと、自分が幸せになるためには、他に不幸な人がいなくてはなりません。誰もが幸せになりたいと思っているのに、世界が完全に幸せにならないのは、こうしたふたつの幸せを誰もが持っているからだと思います。

 しかも、ふたつの幸せは複雑に絡み合っています。今年はオリンピックの年でしたが、スポーツはその典型的な例でしょう。相手に勝って喜ぶ点では、切る幸せでしょう。でも、勝つために一緒に努力してきた仲間と喜びを分かち合う点では、結ぶ幸せでしょう。また、戦争も人を殺すのですから、典型的な切る幸せといえそうですが、その戦争ですら、国家や味方の人々との強力な一体感を分かち合う点では、結ぶ幸せなのです。

 さあ、困ってしまいました。結ぶ幸せと切る幸せが切り離しがたく強く結びついているのだとしたら、結局、不幸をなくすことはできないのでしょうか。実際、差別の話をすると必ずといっていいほど、「差別は人間の本能なのだからなくならない」という意見が聞かれます。戦争についても、同じです。「闘争は動物の本能なのだからなくならない。」読者の中にも、こうした「本能なのだからしかたない」という考え方に悩んでいる人も多いと思います。私も学生時代からそんな人間のひとりでした。そこで、この悩みを私自身がどう乗り越えてきたのか、私が人権に取り組むようになったきっかけを交えて、お話したいと思います。

大学での出会い


 私は大学に入学するとすぐ、手話を学ぶサークルに参加しました。「大学生になったら手話ぐらいできてあたりまえだろう」と思ったからです。なぜ、そう思ったのか、今ではおぼえていません。おそらく、私が通っていた公立中学校には知的障害者のクラスがあり、私もクラブ活動を通じて友達がいたので、障害者が自分の生活の中にいることは、自然なことだったのでしょう。その手話サークルは、学外の人も参加できて、車椅子の脳性麻痺(CP)の人たちも参加していました。私はこの人たちに感心してしまいました。脳性麻痺のために話すのが困難な人が、聴覚障害者のために手話を学んでいるのですから。こうして、私も脳性麻痺の人々の介護に携わるようになりました。このサークルをきっかけに、差別や人権についてさまざまなことを学びました。ところが、こうして学んだ差別や人権のことを他の学生友達と議論しようとしても、帰ってくる反応の多くが、先に触れた、「本能なのだからしかたない」だったのです。

「しかたない」論への挑戦


 そこで、この「しかたない」論に反論すべく、勉強しようと思いました。ところが、手話サークルで知り合ったふたりの先輩から逆説的なアドバイスを受けたのです。一人は私が学んだ法学部の先輩ですが、彼は私に、「少なくとも大学に入って最初の二年間は絶対に法律の勉強をするな。世の中には、法律万能と信じて法律を扱っているつもりが、実際は、法律に振り回されている人が多い。法律を学ぶ前に、もっと広く学問を学んだほうがいい」と忠告してくれたのです。実際、この先輩は私をある刑法の研究会に誘ってくれたのですが、そこで私が最初に読んだテキストは、ミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』でした。毎週、担当者が割り当てられた章を要約してレジメを作り、みんなの前で報告することになっていました。私の報告の番が来ました。読んで理解するだけでも大変な苦労でしたので、レジメを配布して報告し終わったときには、われながら良くやったと思ったのもつかの間、別の先輩が、こう質問してきたのです。
 「君はフーコーをどう批判するんや。」理解だけで精一杯なのに、ましてや批判するなんて想像すらしていませんでした。こうして、学ぶとは単に受身的に理解するのではなく、自ら問題意識を持って主体的に考えてゆかなくてはならないことを知りました。

 そこで、差別や人権に関するさまざな理論を主体的に学んだつもりだったのですが、もうひとりの先輩から別の厳しいアドバイスをうけたのです。この人は文学部の先輩で、部落解放運動に積極的に取り組んでいました。わたしにいろいろなことを教えにきてくれたのですが、その度に、「学問の名の下に、生身の人間をまな板の上に乗せて扱うようなことは、絶対にしてはならない。人の痛みや苦しみにどれだけ寄り添えるかが、大切なんや」と繰り返していました。実際、学問は研究対象から距離を置き、中立的客観的でなくてはならず、そうすることによって、理論や計算によって人間行動を把握し、社会問題を解決できるという考え方は、今でも根強く残っていますが、当時はそれが一層強かったのです。そうした態度をこの先輩は、厳しく批判していたのです。

 このふたりの先輩は、悩みもがきながらも、差別と闘い戦争に反対する行動をしていました。実際、法学部の先輩はその後も人権活動を続けながら弁護士となり、現在も、活躍しておられます。一方、文学部の先輩は、ある日、「俺は部落差別と闘う現場に入る」と言い残して大学を去ってしまったのです。この人だけではありません。障害者差別と闘うために介護の現場に入る人、日雇労働者の生活改善のために釜ヶ崎などのいわゆるドヤ街と呼ばれる所に入る人など、多くの先輩が大学を去ってゆきました。私のように二年も浪人して、ようやく大学に入学した人間にとって、いくら正義のためとはいえ、大学をやめるなんて考えられないことでした。ですから、その人たちが雲の上の人に見えたものです。

 この先輩たちが「しかたない」というのを聞いたことがありません。戦争や差別が本能だというのも聞いたことがありません。私などよりはるかに多く勉強していた先輩たちですから人間の本能に関する生物学的知識も深かったことでしょう。にもかかわらず、「しかたない」とあきらめることなく、約束された将来を棒に振ってまで、差別されている人々に寄り添うことを決断する先輩がいたのです。

本能ではなく自分の選択


 結局、「本能」なるものが重要なのではなく、不正義の現実に自分がどういう態度をとるかという態度選択の問題だということがわかったのです。確かに、本能のせいにしてしまえば、自らが考えたり行動したりしないですみます。しかし、それは自分が差別や戦争の被害者ではないから言えるのであって、もし被害者であったら、「しかたない」などと悠長なことを言ってはいられないでしょう。さらに、本能のせいにすることは、実は、論理的には、自分が差別や戦争を暗黙のうちに積極的に支持していることに気づいたのです。なぜなら、「差別や戦争をするのは人間の本能だ」と言う時、当然それを言っている私もその人間に含まれることになります。ですから、言いかえれば、「差別や戦争をするのは私の本能だ」ということになります。実際こう指摘すると、「そう、自分は差別者だ」と開き直る人がいました。でも、多くの人は、「差別や戦争のことなど考えたくない」という負の態度選択をしているのですが、そうは言いたくないので、「本能だからしかたない」といっているに過ぎないようです。

 結ぶ幸せと切る幸せが複雑に絡み合っているように見えることも、結ぶ幸せを大きくして、切る幸せを小さくすることができるし、現実に多くの人々がそのために努力をしてきました。その努力のひとつが人権であると信じて、私は人権に取り組んでいます。