特集 国際シンポジウム
ヒューライツ大阪は2008年10月18日、(財)とよなか国際交流協会、(財)とよなか男女協働参画推進財団との共催で、国際シンポジウム「多文化家族と地域社会?日本・韓国・台湾における共生を考える」を大阪府豊中市のとよなか男女協働参画推進センター「ステップ」で開催した(協力:大阪府立大学女性学研究センター、韓国の梨花女子大学アジア女性学センター)。このシンポジウムは、2007年に開催した移住女性に関する2つの国際シンポジウム「女性の人権の視点からみる国際結婚」(8月・ソウル)と「移住女性労働者の人権保障を求めて」(10月・大阪)での議論を継続して深めるために企画したものである。会場には、NGO関係者、市民ボランティア、研究者、学生、韓国や中国からの留学生を含む外国籍住民など多様な人たち70人以上が参加した。
東アジアの中で、日本、韓国、台湾は、主に他のアジアの国々からの国際結婚などを通じた女性の移民や家族を伴う移住者の受入国であり、その数は近年ますます増加している。そのような現状を受けた今回のシンポジウムの柱は、こうした国々における地域社会で、「多文化家族」の人権が保障された共生社会が実現されるために、どのような政策や取り組みが必要であるのかをそれぞれの経験を照らし合わせながら、研究者、NGO、市民が共に議論をして方策を探ろうとするものであった。
豊中市では、とよなか国際交流協会が、地元の市民や団体と協力しながら、外国籍住民や国際結婚の家族をサポートする事業を全国的にみても先進的に推進しているとともに、とよなか男女協働参画推進センターは、すべての女性に対する相談窓口を開設しており、そこには外国人女性からの相談が多く寄せられている。
シンポジウムの第一部では、韓国の延世大学副教授の金賢美(キム・ヒョンミ)さん、台湾の世新大学副教授の夏曉鵑(シャー・シャオジュエン)さん、横浜の弁護士の三木恵美子さんの3名のゲストが、各国・地域の報告を行った。第二部では、フィリピン出身でとよなか国際交流協会の相談スタッフである平松マリアさん、とよなか男女協働参画推進センター「ステップ」の相談担当主任の川畑真理子さんが、地元の現場における取り組みを報告した。第3部の全体討論では参加者からの質問と意見交換を行った。全体のコーディネイターは、(財)とよなか国際交流協会事業課長の榎井縁さんが務めた。
主催者を代表した挨拶のなかで、白石理・ヒューライツ大阪所長は、「人権はどこでもいつでも誰にも平等に保障されるはずのものである。しかし現実には、それが実現していない。そういう事を忘れないようにシンポジウムでの議論を進めていきたい」と述べた。
本号では、紙面の都合で韓国、台湾、日本における状況と課題に関して3人のゲストの報告を要約して紹介する。
シンポジウムのプログラム
<第1部>韓国、台湾、日本における状況と課題
金賢美(韓国・延世大学人類学科副教授、同大学ジェンダー研究所所長)
夏曉鵑(台湾・世新大学社会発展研究所副教授、南洋台湾姉妹会理事)
三木恵美子(弁護士、NPO法人女性の家サーラー理事長)
コーディネーター
榎井縁(とよなか国際交流協会事業課長)
<第2部>現場からの報告
平松マリア(とよなか国際交流協会相談スタッフ)
川畑真理子 (とよなか男女協働参画推進センター「すてっぷ」相談担当主任)
<第3部>全体討論
「誰のための統合なのか?-韓国における結婚移民女性政策と家父長的想像」韓国の
結 婚移民の女性の現状について
金 賢美(キム・ヒョンミ)
2007年の政府統計では、総婚姻数の11.1%が国際結婚であり、その88%が、韓国人男性と外国人女性のカップルである。国際結婚をした外国人女性は約11万人居住し、国籍別では、中国が53.4%(中国朝鮮族と漢族)、ベトナムが19.8%、日本が4.9%、フィリピンが4.5%、モンゴルが1.9%になる。国境を越えた結婚は、まず80年代に統一教会(世界基督教統一神霊協会)という宗教団体に関連する韓国人男性と日本人女性の結婚が多くを占めた。90年代に入り、農業や漁業に従事する男性の結婚難が深刻になり、仲介業者が見合いを斡旋し、外国人女性を韓国に連れてくるようになった。
また90年代半ばには、統一教会を通じてフィリピン人女性が韓国人男性と結婚するケースが多くみられた。2000年以降になると、結婚仲介ビジネスが自由化されたため、98年に700社だった仲介業者が、05年には2~3,000社に急増したといわれている。そうした業者によってベトナム、フィリピン、モンゴルから女性が韓国に入国するようになった。特にベトナム女性は急カーブで増加している。
国際結婚の中には、悲劇的な事件も起きている。有名なのは2006年にファン・マイというベトナムからきた19歳の女性が、40代の韓国人男性と結婚してすぐに18本のあばら骨が折れるDVで殺害された事件である。殺人だけではなくて自殺やハラスメントも起きている。この事件の判決文は、「この男性だけが起訴されるべき唯一の人ではない。これは私たちの社会の未熟さのひとつの証拠にしかすぎない。私たちの国よりも貧しい国から来た女性を『輸入品』のように冷酷に『取り扱って』おり、お互いに会話で意思疎通ができないのに、男性と女性が一緒に住むことを決定すれば結婚が完成したと考える無謀さ。これら私たちの愚行が必然的に悲劇的な結果をもたらす。ここに私たちは、21世紀の一見文明化した裕福な国の下に隠れている野蛮さを、痛恨の思いで告白しなければならない」と述べている。
このことが韓国政府の政策の中にどのように反映されているのだろうか。06年以降に国の主導による「多文化主義」が出てきた。この多文化主義とは何を目指すものなのだろうか。本来、すべての差別をなくし、異なった文化・背景を持つ人たちを受け入れていくのが多文化主義ではなかろうか。
そこで、韓国政府が使っている多文化主義の意味をきちんと問う必要がある。実際に韓国では、国際結婚で来た女性、つまり結婚移民女性は、低出生率、結婚市場における男女比のアンバランス、高齢化社会に韓国社会が対応するための存在だと考えられている。韓国政府は、06年に「多民族・多文化社会への転換」を打ち出し、政策に全面的に取り入れていく。例えば現在、全国に約80の多文化家族支援センターが作られている。政府が、社会統合という言葉を使って「多民族・多文化社会」への政策プランを作ったとき、「多文化主義」がブームとなりトレンディーな言葉となった。
a. 国際結婚仲介業管理法(2008年6月)
偽装や詐欺まがいの結婚、虚偽の情報により増加する虐待や搾取に対処するための法律である。これによると、国際結婚仲介業者は、送出国の法律に従わなければならず、誇張した宣伝をしてはならない、損害賠償責任を負うということが盛り込まれている。仲介業者は登録制になった。しかし、法が強調しているのは韓国人男性の「消費者」としての権利であり、移民女性を保護し婚姻の崩壊を防止することではない。移民女性が虚偽情報から損害を受けても補償はされない。例えば、女性が家を去った場合に仲介料を払った韓国人男性が補償を受けとるという内容である。これによって移住女性の「商品化」をさらに進めてしまうという弊害があるが、女性への虐待を減らすという役割は果たしていない。
b. 多文化家族支援法(2008年9月)
過去「多文化家族」とは、韓国に移住した外国人同士の家族を含む包括的な言葉であったが、法律は、その対象を「合法的な」結婚移住者に限定している。保健福祉部(省)が管轄し、結婚移民の女性と子どもに対し様々なサービスを提供するが、ここでは女性のライフサイクルを4段階に分けて想定している。まず家族を形成する段階で、韓国の礼儀や衣食、言語を習得するためのサービス。2つ目は妊娠や出産段階。3つ目は育児段階。4つ目は、再度労働市場へ参入する段階。このコンセプトは韓国の中流階級の女性を想定したものであり、いくつか問題点がある。まず移民女性の約半分は貧困レベルにおかれており、自分も働いて収入を得なければならない。子どもを望まない人もいるし、再婚で既に子どもがいる場合もある。しかし移民女性に対して、教育レベルや職業能力にかかわらず、彼女たちの人生を韓国社会の期待に沿うように当てはめるよう求めている。従ってこのサイクルに適合しない女性に対する差別を正当化してしまうという問題がある。例えば、政府は、子どもがいない移民女性に対して韓国籍の取得をなかなか認めないのである。
c. 社会統合プログラムの履修制度
法務部が管轄するこのプログラムが最も議論を呼んでいる。韓国に定住したい移民女性はこのプログラムを受けたら国籍取得が容易になるという制度である。まず5段階レベルの韓国語の試験にすべて合格する必要があり、プログラム終了まで2年もかかる。政府は多文化主義を促進するためのものだといっているが、「反多文化主義」であるといいたい。血統がつながり、かつ韓国語ができてこそ国籍を与えるという非常に排外的なアプローチであるからだ。多文化主義を促進するというなら、複数の言語の存在を許容すべきだ。
このプログラムは非現実的でもある。仕事に就いていたり出産や家族の面倒を見る中での社会統合プログラムの履修は相当の負担である。履修できないと無責任であるとか能力がないとみなされる。この統合政策は「家父長的家族志向」の福祉モデルであるといえる。移民女性を再生産労働を担う労働力として想定しており、家族の形成・維持・再生産をするという枠にはめ込んでいる。
またモデルの背景には、アジアの女性は生まれつき非常に優しく、人の面倒をよく見るという期待がある。しかしベトナム、中国、モンゴルなどの社会主義国は韓国より男女平等の考え方が進んでいる。これらの国から来た女性たちに、韓国の男女の固定的な役割を押しつけることで、軋轢を生んでいる。
韓国社会は、移民女性を韓国の家族の直面する危機を救ってくれる存在と捉えている。しかし韓国の女性たちは、この間長く続いた典型的な男女の固定的な役割を否定するために闘ってきた。それを今度は移民女性に押しつけるべきではない。つまり韓国人女性と移民女性の間に序列化されるような状況を避けなければならない。自分が韓国人の人権活動家として、韓国人女性がこうした移民女性の状況に関する認識をどう高めていくのかが重要な課題とであると考えている。最終的には韓国人と移民女性がどのように団結出来るのかということにつながってくと思う。
「台湾における移民運動の発展-移民と移住者のための人権法制定を求めて」
夏 曉鵑(シャー ・シャオジュエン)
台湾の国際結婚の状況は、韓国によく似ている。1980年代後半、多くの女性が東南アジアや中国本土から台湾の男性と結婚するためにやってきた。相手の男性はほとんどが労働者クラスである。08年現在、約41万人の外国人配偶者が台湾に居住していて、主に中国本土、ベトナム、カンボジア、フィリピン、インドネシアから来ている。外国人配偶者の92%が女性である。こうした結婚移住は、一国の孤立した問題ではなく、グローバリゼーションと不平等な発展に原因があると考えている。
台湾の労働者クラスや農業に従事する男性は経済成長から置き去りにされた存在である。自分たちがやってきた仕事が、より労働コストの低い東南アジアや中国本土に移っていき、経済的にはますます厳しい状況になっている。一方、台湾の女性たちは、中流以上の男性と結婚できなければシングルでいいと考えている。
結婚した女性たちは、台湾に来ると相手の男性が貧しいためにすぐに働かなければならない状況に直面する。しかし、もしかしたら彼女たちが逃げてしまうのではないか、あるいは台湾でお金を稼ぐ手段として結婚したのではないかと疑う夫や家族は、女性たちを外に出さない場合がある。彼女たちが貧しい国から来ているということで見下げられるということもある。中国語の読み書きができなかったり、友人がいないことから女性たちは孤立していく。
02年まで台湾政府は国際結婚の問題に目を向けず、結婚でやって来た女性たちはいずれいなくなるとみていた。しかし02年の統計で、台湾全体で結婚して生まれる子どもの4人のうち1人がこの国際結婚の子どもであるという事実が明らかになった。そこで政府は、03年から社会福祉として予算を計上し、女性たちを台湾に同化させようとした。しかし彼女たちの状況は改善せず、また市民社会はこのような投資を浪費であるとみなした。
台湾の移民法では、お金が無ければ台湾の国籍を取得できない。そして国籍が無いと身分証明書(ID)が発給されないので社会保障などの権利が保障されない。国籍取得のために年収最低40万台湾ドルという要件が必要だが、これは台湾の家庭の平均的な収入より高いものである。つまり資産要件を満たさなければ権利が付与されないということだ。政府がこうした障壁を設けているため国籍取得のハードルは高い。
そうしたなか、法律や市民の意識を変えていこうとする結婚移民女性たちが中心となったNGOの取り組みが始まっている。女性団体そして移民女性・移住女性労働者などのグループが集まって、「移民と移住者のための人権法制定連合」(略称:AHRLIM)を結成している。台湾は、2003年に移民庁つまり移民に対する管轄庁を設立したが、移民庁のスタッフの73%が警察官であった。移民庁設立の目的は、移民・移住者というのは犯罪人になる可能性があるので管理しなければならないという発想に基づいている。人権の考え方にそぐわない形で移民庁が設立されたという経緯の中で、AHRLIM連合の運動が誕生した。AHRLIMのメンバーたちは、まず台湾と諸外国の入国管理法を勉強し、自分たちの観点から入国管理法改正案をまとめ、07年11月末に、この改正案を国会で通過させた。まだ理想の形ではないが以前よりは改善された。
移民の権利を促進するための私たちの戦略は次のとおりである。まず中国本土や他のアジア諸国からの結婚移民女性に関して台湾の市民がもっと意識を高める必要がある。一方、政府は自分たちが人権・民主主義・多文化主義に価値を置く政府であると他国から思われたいと考えている。台湾は中国人だけが住んでいるのではなく、多民族が住んでいる社会だと言っている。そこで私たちは、台湾の国籍がない人たちの人権が、政府が標榜する台湾でどうなっているのかと問うた。つまり既存の価値やレトリックを根本的に変えることである。
二番目の戦略は共感を形成することである。台湾はまさに移民の社会であり、その多くは長い歴史を通じて中国の本土から来ている。だから、ここに住むほとんどの人が移民であるという共感を育むようにすることだ。三番目には国際結婚をした女性の主体性を打ち出すという考え方である。結婚移民女性は能力がなく貧しく無力だと考えられている。しかし実際は、知力もパワーも持っていて主体性を示すことができる存在であると主張している。
これらの目的のために、良心的なメディアを活用することにし、ジャーナリストや法律の専門家と協力しながら、移民女性のたくましさを強調するのである。専門家が登場して語ると、市民たちは話をよく聞くという傾向があるからだ。
結婚移民女性のエンパワメントのために「南洋台湾姉妹会」(略称:TASAT)という組織が活動している。95年に地方の町での移民女性の中国語クラスから活動が始まった。この活動は台湾社会への同化を目的としているのではなく当事者のエンパワメントをめざしている。03年には、TASATの組織を全国的に拡げることができた。参加メンバーは東南アジア出身で台湾の男性と結婚した女性である。同時に地域のボランティアが活動に協力している。ボランティア活動を通じて台湾女性が移民女性を理解するようになり、団結が生まれてきた。
02年以降、TASATは、結婚移民女性を対象に多文化主義や他のアジアの言語や歴史の教師になるようにトレーニングを始めた。もはや結婚移民女性は、中国語クラスの生徒ではなく、台湾の市民に教える立場にある。
AHRLIMの活動においてTASATが入管法改正を求めたデモの最前列に出たのである。これは画期的なことであった。一般の人々もメディアも、結婚移民女性は若くて貧しく何もわかっていないと思っていたが、TASATでの活動の姿を知ってそうではないとわかってきたのである。結婚移民女性が台湾の社会をより民主的に、多文化社会に向かわせ、人権が尊重される社会へと変えていこうとしてることが認識されつつある。また国の政策を変えようとする活動は、移民女性をさらにエンパワーしていった。彼女らは、自分の運命を嘆くだけではなく、台湾の歴史を新たに作っている存在なのである。
AHRLIMは、様々な背景を持ったグループが、移民の人権問題をベースにして連帯しているグループである。しかし個々の組織に注目が集まるのを避けている。また女性問題、労働問題、人権問題全般というようにそれぞれに活動の力点が違うので、それぞれの関心事と一致するよう繋ぐ努力をしている。そしてみんながAHRLIMと一緒に仕事をすることが素晴らしいといえるようにした。当初、AHRLIMのメンバーは自分たちが法律を改正できるとは思ってもいなかったのだ。
参加しているNGOは台北以外にもあるが、民主的な意志決定を大切にしている。抗議活動やデモをする時もどこかのグループが反対すればしない。議論し全会一致ではじめてアクションを起こす。そして前述したように移民に対する資産要件は、結婚移民の人々にとって非常に大きな問題であるので、これに対処するために「移民の経済要因に反対する連合」(CAFRI)という新しい連合を作った。
移民女性の運動は、労働・人権・ジェンダーなど様々な問題が絡んでいるので、多くのセクターが関わる必要があると考えている。移民の問題は資本主義やグローバリズムが根幹にあるのはいうまでもない。TASATはすでにグローバルなネットワークを作っているが、08年6月には香港において新しく「移民・移住者の連合」という組織も結成した。政府間でお互いの政策をコピーしあって、一層移民政策が厳しくなっている。だからこそ人権をまもるための活動もグローバルなレベルで協力するべきなのである。
日本における国際結婚と多文化家族をめぐる現状と課題 -
日本で暮らすことを選んだ外国籍女性とその子どもたち
三木 恵美子(みき えみこ)
韓国と台湾の報告を聞きながら、外国人女性が抱える問題が日本とあまりにも共通していると思った。この困難を打破していこうとする外国人女性の姿を私も見てきた。なぜ彼女たちがこんなにがんばれるのかを考えた時に、選択肢が狭かったとしても、なお一定の範囲で自己決定したところに底力があるのではないだろうか。人身売買の典型例であるが、日本に行って工場で働ければ実家に10万円送金できると言われ、日本に来たら売春をさせられた女性がいる。彼女は被害者であるが、「日本に行って10万円を送金する」と自分で選択した面がある。選択する力があるということは、被害者と呼ばれる人がサバイバーになり、また日本で他の人を助けていく時の大きな原動力になりうるのである。
韓国は、課題の点では日本と同じであるが、たくさんの関連する法律を作っている点では違いがある。日本は、「国家の無策」というのが現状である。外国人女性の人権を守る法律も、多文化家族のための法律も作らない。しかし日本ではまず本人、その友達、自治体職員、学校の教員などが日々地味に格闘することによって、外国籍の人の法的地位や現実の生活の安定を作りだしている。国家の無策ゆえに、本人と民間と自治体の力で生き抜いていかなければいけないのが、日本における外国人女性と子どもの現状である。
80年代末から人身売買が問題になっていたが、横浜に「女性の家サーラー」という外国女性であれば在留資格に関係なく受け入れるシェルターを92年に作った。これに先立ち、24時間、国籍や在留資格に関係なく、すべての女性の相談に乗ろうという「かながわ・女のスペース"みずら"」が90年に作られるが、この「みずら」に学びながら「サーラー」を設立をした。「みずら」とは別に外国人女性のシェルターを立ち上げなければいけないと考えた理由は、人身売買の相談が多かったからである。
もっとも多い時には一週間に20人以上を受け入れながら帰国支援をしていた。人身売買のルートは、基本的に工場で働いているところを誘われる。「日本国内で働けばもっと給料がよくなる」と言われて日本に来ると、特定の場所で管理されて、たとえば「300万円を売春で稼がないと自由になれない」と言われる。こんなはずではなかったと逃げて来る人がたくさんいた。多くの人は帰国したが、日本に残ることを選んで、子育てをしている人もたくさんいる。
同じ頃に、農村に外国から結婚で来た人から「少しばかり打算的な結婚かもしれないが、私が選んだ結婚だ。人身売買と同等にしてほしくない」と言われたことがある。日本の国際結婚は、地方自治体、特に農村の村役場が、後継者がいないので何とかしたいという住民の要望を受けて、国際結婚の斡旋業者と接近したという経緯がある。40代独身の農業後継者の息子を持つ母親が、息子の結婚のために、村の役人の尻を叩いて結婚をさせていたという実状もある。こうした外国籍の母親から生まれた子どもが成人式を迎えている。100%日本人としての教育を受け、母の国のことは何も知らない人が圧倒的に多い。
「サーラー」に逃げてきた人身売買のサバイバーと、国際結婚から逃げてきた人の決定的な違いは、人身売買の被害者には日本にいるための合法的な在留資格がないところから出発するが、国際結婚では少なくとも「日本人の配偶者等」という在留資格からスタートするという強みがある。当初から在留資格を持っていることが、人身売買の被害者よりのちの人生を切り開く際に先に歩くことができるという実感がある。
ところで、国際結婚で離婚すると日本人の配偶者ではなくなるので、その在留資格を失う。初期の段階では在留資格がないからと、子どもと別れて母親だけが国に帰されるということもあった。しかし96年に日本人の子どもを育てている外国籍の母親に合法的に滞在できる「定住者」という在留資格が与えられることになった。ただ当時は年収300万円が条件であった。そんな年収がある離婚女性はほとんどいないので大変であった。しかし現在は緩和され、収入が無く公的援助を受けて働いている母親も日本に残れるようになった。これは、懸命に生きてきた女性の成果であるとともに、日本政府がインフォーマルなやり方で少子化に対応するという要素が合致した成果であろう。
90年代にはオーバーステイの外国籍同士のカップルから子どもがたくさん生まれた。入国管理政策は基本的に労働者をどのように入れるのかだけを考えて在留資格を類型化しているが、人間が入るのだから人間同士は接触すれば子どもができる。生まれた日からずっと在留資格がない状態で暮らしている子どもたちがいる。
横浜にある簡易宿泊所のトイレで生まれた赤ちゃんが、高校三年生になり、大学受験を希望し在留資格をとりたいと法律相談に来た。そして彼は今、在留資格を得て、面接に通れば大学に行けることになっている。18年間彼が摘発されなかったのは奇跡に近い。彼は病院での出生証明書がないのだが、公立保育園が彼を受け入れた。続いて公立の小・中学校を卒業した。これらは画期的なことである。公立高校入学の際、成績は問題なかったが、「外国人登録証」がないため、中学校の教員が大変な努力をした。そして高校側の受入れが整い、教育委員会がOKを出したのだ。
外国籍の女性を母親にもつ子どもは、時に過剰な「がんばり」をし、日本に合わせようと懸命の努力をする。特に在留資格が危ういと気付いている子どもは日本で生き抜くために、日本人に「受ける」ことを意識しているように思う。前述の彼も相撲のチャンピオンである。出身中学の相撲部が特に強かったわけではないし、レスリング部が無かったわけではない。相撲の方が日本人に受けるという戦略を練ったのではないだろうか。
次は、両親がオーバーステイで強制送還され、子どもだけが日本に残ったケースを紹介する。高校2年生の彼女は、柔道をやっていたが、今は通っていた学校の柔道部の顧問の教員の家に住んでいる。顧問はおよそ多文化共生や人権問題に関心がある人とは思えないが、彼女の柔道のセンスを評価していて、他の子と一緒に練習できないことを非常に怒っていた。結局、その教員が保証人となり、彼女は在留資格を取得することができた。
また、最近、知り合った女性は、人身売買で360万円で売られてきたが、HIV陽性者である。HIV医療費は無料になる制度申請に間に合った。彼女は治療を受けているので、発症せず生き延びている。また息子が奇跡的に感染しないでいる。この母子が住んでいるかなり古びたアパートの隣室の日本人男性が理由なく解雇された。「泣き寝入りはだめ。使用者を訴える裁判をやるべきよ。いい弁護士を紹介してあげる」とアドバイスして私のところに彼を連れてきた。その男性は今、裁判を始めている。
きょう紹介した女性たちは本当に強い人たちである。ここまで強くなれずに泣きながら帰った女性がたくさんいる。そういう人たちに何らかのセーフティーネットを作らなくてはと考えている。しかし、台湾のNGOの力強い取り組みに比べて日本は悲しいくらいできていないことを実感してがっかりしている。とはいえ日本の経験で言えば、当事者の女性たちの「がんばり」とそれに動かされた周りの人たちが小さくても支援の輪を作り、そこに学校や地方自治体ができる範囲でがんばっている。その結果、力強い人たちが日本で生き残って、周囲の日本人に元気を与えている。外国籍の女性と付き合うと元気になれるというのが私の持論である。