ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします
国際人権ひろば No.84(2009年03月発行号)
ヒューライツ大阪からのお知らせ
退任のご挨拶
瞬く間の3年間でした
大橋 敏弘(おおはし としひろ) 事務局長
2006年3月にヒューライツ大阪に転勤の内示がでてから、異動日の同年4月1日までに事務所を見に行ったときの感想は、「まあなんて静かなところだ」。やけに広いスペースに数人の職員さんが仕事をしている。突然の来館者を装って訪問したのだけれども、誰からも声を掛けられない。皆さん忙しそうに黙々とパソコンと奮闘している。こんな静かな職場で、人一倍にぎやかな私が勤まるのだろうか?
4月1日、これまた立派な役員室で前川朋久理事長から財団の辞令交付、私の机は事務室の端のゆったりした場所にあった。弁天町にある高層ビルの15階の片面のフロアー全面を借りている事務所では、窓から大阪ドームがすぐ真下のように見える。遠くには左に大阪の北のビル街から右に天王寺付近、私の好きな通天閣まで一望できる。すばらしいロケーションである。
さて、この財団は府・市をはじめ、市町村・労働団体・人権団体・人権問題に取り組む宗教団体・企業などが力を合わせて設立したことから、関係者・関係団体が多種多様である。前任の大阪市から出向していた事務局長に連れられ、これらの関連団体に挨拶まわりに行った。芦原橋にある大阪人権センターのアジサイの美しさが印象に残っている。後ほど気づいたが、ここの桜もなかなか見応えがある。
私の来る前から決まっていたことであるが、5月の連休頃に新しく所長が交代される予定であった。プロフィールを見ると、20数年間国連職員として海外で働いておられて、大阪に単身でヒューライツ大阪の所長に就任するために来られる人である。「どんな方だろうか」と不安の中、所長を迎える準備は、まず職員のひとりと一緒に所長の住まいとなるマンション探しから始まった。大阪を知らない方だけに、大阪人の世話焼きと親切さを肌で感じて欲しいという思いからの行動であった。
これはその後も心がけたことであるが、大阪生まれ・大阪育ち・大阪府に勤めている「トリプル大阪」の私ができることは、大阪人の「ええとこ」を知ってもらうことであった。この姿勢は3年間で少し感じていただき、思いも伝わったのではないかと勝手に思っている。
さて、職員であるが、ここの職場は、総務は大阪府・大阪市からの出向者(3年でひとりずつ交代する)、企画業務の研究員は、それぞれ他の団体や職場で様々に経験を積んでおり、雇用形態は財団の正規職員・1年毎の契約職員・非常勤職員・教育委員会からの1年毎の現職教員の派遣研修生と多岐にわたっていた。10名そこそこの職場でありながら、みんな個性的やなあというのが第一印象であった。
これらの職員とともに「国際人権」「アジア・太平洋地域」「人権教育」など、私にとって内容の難しい事業を事務局長として知ったようなふりをしながら業務をこなすこととなった。でも事業については、セミナーや出張報告、各種の会議出席、職員が作成するレポートなど、今まであまり知らなかったことが多く興味深いものであった。はずかしい話であるが50代半ばになって初めて見聞きする内容も多かった。また、所長や職員の何人かで毎日昼飯を食べながらの話には、しょうもない講演会へ行くより面白いものがあった。なんとかにぎやかな私もみんなと馴染めて仕事ができるようになってきた。
2年目は、この環境に慣れてきたこともあって、多少のことはあったものの順調に時が進み、本来であれば次の3年目(出向の任期の最終年)は、次の順番である大阪市の事務局長さんに引き継ぐべくゆっくりとした時を過ごす予定であった。さにあらず、大阪府知事が交代した結果、出資法人の改革が現実のものとして財団に襲い掛かってきた。これからの財団の置かれている状況は、補助金の全面カット、大阪市・堺市もこれに同調という厳しい状況に対応するため、2008年11月には、あの広くゆったりとした眺めのすばらしい事務所から移転を余儀なくされた。しかし、意外なことに引越してみると、こじんまりした、地べたに近い海のかおりと風が感じられ、たまに汽笛の聞こえるオフィスは、白石理所長をはじめ職員が顔を突き合わせて、わいわいとにぎやかに仕事をすることが出来、これもなかなか良いような気がする。
2009年3月末で私だけでなく、大阪府・大阪市からの派遣者は引き上げということになるが、所長をはじめ職員の皆さんには、明るく・元気に業務に励んでいただきたいと願っている。また、このヒューライツ大阪を支えていただいている団体や個人の皆様には、今まで以上に暖かい「大阪人」らしいかかわりを継続していただきたい。4月には新しい職場に転勤するとともに、最初に挨拶に行ったところに、今度は退任の報告に行きますが、大阪人権センターのアジサイは、3年前と変わらず美しく、目を和ませてくれると思います。瞬く間の3年間ありがとうございました。「おおきに」。
ヒューライツ大阪のにぎやかなヒゲの大阪人より
前川 実(まえがわ みのる) 企画業務グループ上席研究員
2002年1月から勤務し、2009年3月末で定年退職です。前任の中岡恭子(大阪府)さんから仕事を引継ぎ、波乱万丈の7年でしたが、企画運営委員会の再開、スタッフ会議の定例化、ホームページの充実、設立10周年記念事業、国際人権教材奨励事業「AWARD2004」の実施、国連法曹人権マニュアルの翻訳刊行などが印象的な仕事ですが、組織としての自立の課題は道半ばです。府・市の助成金がカットされ前途多難ですが、国連協議資格NGOへの登録申請が5年ぶりに認められたので、今後の活躍に期待します。
江川 定子(えがわ さだこ) 総務グループ主査
2007年4月1日に大阪府からヒューライツ大阪に派遣されてきて、2年が経とうとしています。大阪府財政再建プログラムに基づき、大阪府の補助金廃止及び派遣職員引き上げというかたちで、ヒューライツ大阪を退職することになりました。総務担当ということで、実際の人権情報等の活動には関わりが薄かったのですが、まだまだ、勉強することがあったのでないかと思います。
2009年度以降も、ヒューライツ大阪が新しい事業展開を行い、進展していくことを願っています。
松原 敏之(まつばら としゆき) 総務グループ主査
2008年4月1日付で、3年間の予定で大阪市から派遣されましたが、大阪府の財政再建プログラムの影響により、本年度末に派遣元の大阪市に戻ることになりました。着任当初は、仕訳業務や決算、暫定予算などをあわただしく行い、その後は、補助金見直しの関係や事務所移転の準備と後処理など、内容の凝縮した1年間でした。その中で、所長はじめ多くの皆さん方のおかげで、毎日を新鮮な気分で過せたことは、私にとっては大きな財産であったと感謝いたしております。
最後に、当財団が、今後もますます発展することを願って退任のご挨拶とさせていただきます。