アジア・太平洋の窓 part 1
キルギス副首相、労働社会開発大臣も参加した「中央アジア障害当事者団体能力強化ワークショップ」の開会式 (筆者撮影)
「中央アジアにおいて障害者が権利を保障され、非障害者とともに諸活動に参画できるバリアフリー社会が形成されることを目指して、我々、中央アジアの障害当事者団体は各国政府、国際機関、市民に訴える」。カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス共和国の障害当事者団体の代表者たちが採択した宣言文を読み上げた。2008年10月キルギスの首都ビシュケクにおいて開催された「中央アジア障害当事者団体能力強化ワークショップ」の最終日の出来事である。
独立行政法人国際協力機構(JICA)は、2007年9月よりキルギスにおいて障害者の社会進出促進を目指したプロジェクトを実施している。ワークショップはこの活動の一環として、キルギス労働社会開発省、アジア太平洋障害者センター、国連アジア太平洋経済社会委員会、JICAの共催で実施。中央アジア5カ国より34名の障害当事者および12名の政府、国連関係者に、中央アジア、日本、タイ、フィリピン、パキスタンからのリソース・パーソンやオブザーバーを加えて延べ人数で80名を超えるイベントとなった。
ソビエト連邦が崩壊したのが1991年。それにともなって域内共和国であったカザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、そしてキルギスの中央アジア5カ国は、それぞれが独立国家としての歩みを始めることになる。それまでの社会主義体制から資本主義体制へ経済を移行する途上にある、いわゆる移行経済下の国々である。この中で最も積極的に政治・経済の自由化を推し進めているのがカザフスタン、キルギスの二ヵ国。ウズベキスタンとトルクメニスタンは経済的には産業の民営化を急がず、結社・言論の自由といった政治的な制限もいまだ多いといわれる。タジキスタンは連邦崩壊後に起きた内戦の傷跡から立ち直りつつあるところだ。
文化的にはシルクロードとしても知られるように多民族、多言語、多文化の地域。ソビエト連邦下、強力な民族運動、独立闘争が起きなかった地域ではあるが、連邦崩壊後、それぞれの民族集団ごとに独立国家が形成された。それぞれの民族言語をもつ国であるが、ソビエト時代の遺産であるロシア語が地域の共通語として用いられる。
モスクワの中央政府に絶大な権限があったソビエト連邦下では、中央アジア各国にも中央政府から補助金や専門家が送られてきていた。この間は医療、教育、福祉といった社会サービスも充実していたが、それらが途切れた今、域内でもそれぞれの国力によって格差が広がりつつある。
例えば、キルギスは中央アジアの中では早くから市場経済の導入に取り組んできた。しかし、隣国カザフスタンのような資源国ではなく、また五百万人足らずの人口、国土の90%が1,000メートルを超える山岳地帯という地理的条件などがあいまって、その経済運営は極めて厳しい。一人当たりのGDP(2006年)は490米ドル。膨らむ対外債務をリスケジューリング(返済繰り延べ)してしのいでいる中、国家としては経済成長を優先せざるを得なく障害問題が開発戦略の中で議論されることはほとんどない。
ソビエト時代、障害者は医学的な診断に基づき3つのカテゴリーに分類され、年金額が決定、支給されていた。しかし国家の目標である生産活動に貢献しないという理由から、障害者の多くが施設に収容されるか、在宅でも社会との接点が極めて限られた状態に置かれていた。
ロシア語で障害者を指す表現として「インバリード」がある。これは英語の'INVALID'「病者、不適格者」とほぼ同義である。社会主義体制下、障害年金の支給、医療サービス、車イスや義肢そう具の無料提供といった経済権は保障されていたが、社会が保護すべき対象という見方が固定化されるとともに、障害の多様性やニーズが無視され、社会への進出、参加が阻まれてきた。旧ソビエト連邦諸国の障害問題担当省庁の多くがいまだに社会「保護」省という名前を冠していることからも、それが見て取れる。
またソビエト時代、プロパガンダの一環として国家からの支援を受けて設立された障害者団体もあったが、多くの障害者個人は年金やサービスを受け取るだけ。国や社会へのアドボカシーを行う自助グループや当事者団体が結成されることもなかった。
中央アジア各国は、独立後もソビエト時代の障害分類に基づき年金の支給を続けている。しかし、ソビエト連邦政府からの財政支援がなくなった上に、経済体制の移行に伴う混乱が加わり年金の支給額は減少。他の社会保障予算も削減され、多くの障害者の生活は悪化の一途をたどっている。そのような中、政治の自由化の波に乗り、各国で障害者支援にかかわる民間組織(NGO)、そして障害当事者自身が運営する障害当事者団体が設立され始めている。
「ソビエト時代、国際障害者年や『アジア太平洋障害者の10年』といった国際的な障害者の運動は我々には伝わってこなかった。中央アジアではようやくその動きが始まったところだ」。キルギスの障害当事者の言葉である。
政治の自由化が進んでいるキルギスは、中央アジアの中でも多くの障害当事者団体が設立され、活発に活動が行われている国である。
JICAと共にプロジェクトを実施する労働社会開発省は、日本でいえば厚生労働省のような役割を果たす省庁。数多く設立された障害者支援の分野で活動する当事者団体やNGOとの連携、協力関係を構築しサービスの提供や政策の立案をすることが求められている。JICAはその活動を情報、技術面から支援している。
障害者支援というと、医療や教育の専門家が障害者に対してサービスを提供するいわゆる医療リハビリテーションや特別支援教育が一般的なイメージであろう。しかし、このプロジェクトでは障害当事者自身が自助グループ・団体を組織し、それらが協力、連携して社会に対してアピールをしたり、法律や制度を作る際に意見が反映されるような仕組みをつくったりすることに主眼を置いている。そして、そのノウハウも日本やアジアの障害当事者自身から伝えられるという点でユニークなものである。
この理念的背景となるのが、2003年からスタートした第二次「アジア太平洋障害者の十年」における取り組みの行動計画を示した「びわこミレニアムフレームワーク(BMF)」である。BMFは7項目の優先課題を設定、その中心に障害者自助団体およびその家族や親の会の強化・育成が謳われている。
このBMFでも明確にされた障害者の権利概念を、さらに国際条約として位置づけたのが2006年12月に採択、2007年5月に発効した国連障害者の権利条約である。中央アジアでは、すでにトルクメニスタンが批准。カザフスタンが署名をし、批准に向けて準備を進めている。
前述のBMFでは、7分野の優先課題達成のために、地域協力の重要性も謳われている。その一環として実施されたのが冒頭に紹介した「中央アジア障害当事者団体能力強化ワークショップ」である。
ワークショップでは、タイ、パキスタン、フィリピンの障害当事者リソース・パーソンが、各国での事例も踏まえて、当事者自身のイニシアティブによって社会を変えていく必要性を訴えた。またその前提として、障害を個人の機能・能力障害ととらえる「障害の医学モデル」から、人々の社会参加を阻害する社会の障壁としてとらえる「障害の社会モデル」へのパラダイム・シフトの重要性も確認された。
民族、文化、政治・経済体制などの違いはあるが、歴史や言語など共有するものも多い中央アジア諸国。加えて「障害」という共通課題に対して、域内の障害者が自助団体を育成、強化し、協力してその存在をアピールしていけるかが重要な鍵を握っている。障害者の権利条約が発効した現在、その批准へ向けての働きかけ、批准後の実施状況のモニタリングに障害当事者の参加は不可欠である。
これまで「保護」の対象として一方的にサービスを受けとるだけであった中央アジアの障害者。社会の障壁を取り除く変革の主体としての歩みが始まりつつある。
[付属資料]
我々、カザフスタン、キルギス共和国、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの障害当事者団体、政府及び国連機関の代表者は、2008年10月21日から24日までキルギス共和国ビシュケクにおいて中央アジア地域障害当事者組織能力強化ワークショップ(CDSHOD)に参加した。
我々は、アジア太平洋障害者センター(APCD)、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)、国際協力機構(JICA)と協力をして本ワークショップを開催するために尽力したキルギス共和国大統領クルマンベック・バキーエフ閣下、キルギス政府労働社会開発省に対して謝意を表する。
障害者が権利を保障され非障害者とともに諸活動に参画できるバリアフリー社会の形成を目指すキルギス政府及びキルギス障害者協会の貢献を評価する。
アジア太平洋障害者の10年を通して策定されたびわこミレニアムフレームワーク、国連ミレニアム開発目標、それを補完する国連障害者権利条約の意義を認識する。
社会変革の主体である障害者には社会の他の構成員と同様の権利と機会があることを再確認する。
経済的脆弱性、建造物や情報へのアクセスの欠如、そして社会モデルの不十分な実践を含む障害者に対する偏見と社会的障壁があることを認識する。
障害者にかかわる法制度が不完全なことや予算措置が不十分なこと、障害当事者の参加が保障されていないことや省庁間の連携が限られていることも認識する。
中央アジアにおける障害当事者組織の能力強化が、市町村そして全国レベルで求められていることも認識する。
国連障害者の権利条約の普及と実施のために、政府機関、国際機関と連携して、中央アジアにおける障害当事者団体のネットワークの促進と維持する重要性を認識する。
中央アジアにおいて障害者が権利を保障され非障害者とともに諸活動に参画できるバリアフリー社会が形成されることを目指して、我々は以下を提案する。
1) 中央アジア各国政府は、国連障害者の権利条約と付属議定書を批准する。
2) 法、政策、諸制度は、適切な予算配分とともに社会モデルに基づいたものにする。
3) 国際機関、国家政府機関、地方政府機関は障害当事者の参加を保障しつつ、障害当事者のメインストリーミングとエンパワメントが促進されるように開発事業を実施、継続する。
4) すべての関係者/機関は、障害の社会モデルに基づき活動を行う。
5) 中央アジア各国政府は国連障害者の権利条約、びわこミレニアムフレームワーク、びわこミレニアムフレームワーク+5、国連ミレニアム開発目標が、障害当事者団体の意義
ある参加のもとに実施される。
6) 政府は障害当事者団体と共同して、障害当事者団体の設立を促進する戦略と制度を策定する。
7) 政府と障害当事者団体は協力して、女性障害者がすべてのプログラムに参加できるように対策をとる。
8) 中央アジアの障害当事者組織はネットワークを構築し、障害に関する情報の交換を強化する。
9) 政府、国連機関、国際機関は、障害に関する情報の交換を支援する。
10) このネットワークの調整機能は、キルギス共和国ビシュケク市に設置されるリソースセンターに置く。