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国際人権ひろば No.85(2009年05月発行号)
介護福祉士と看護師受け入れの「鉄の扉」は開くのか?
~介護施設の不安と期待・フィリピンからの 元エンターテイナーたちの挑戦
藤本 伸樹 (ふじもと のぶき)
ヒューライツ大阪 研究員
フィリピンから2009年5月10日、介護福祉士と看護師をめざす約270人が来日した。日比間の経済連携協定に基づいた受け入れである。政府間の取り決めに基づくこれらの職種に携わる外国人の来日は、08年 8 月のインドネシアからの208人に次ぐ第 2 陣となる。
これから、最初の6カ月間は数箇所の研修施設に分かれて日本語、および介護・看護導入研修などを受け、その後、来日前に雇用契約を結んできた全国各地の施設・病院に配属される。そして、就労しながら日本の国家試験の合格をめざすのである。
ハードルの高い制度設計
二国間で締結する経済連携協定は、両国間の物品の関税および制限的な通商規則やサービス貿易の障壁の撤廃をはじめ、投資、自然人の移動の自由化、協力の促進など対象分野の広い大規模な条約なのだが、日本がフィリピンとインドネシアとのあいだで締結した協定において、看護師と介護福祉士の候補者の受け入れが盛り込まれている。最初の2年間の受け入れ数が決められており、いずれも看護師400人、介護福祉士600人である。
フィリピンの看護師の場合、同国の資格を有する看護師であって、最低3年間の実務経験を有することが条件だ。介護福祉士は、フィリピン政府機関が認定した介護士(caregiver)であることに加え、「 4 年制大学卒業者」または「看護大学卒業者」という要件が設定されている。
斡旋過程における不当な搾取を防ぐために、送出し国側では政府機関が担うとともに、受け入れる日本では、厚労省の外郭団体である国際厚生事業団(JICWELS)が唯一の受け入れ調整機関と定められている。また、受け入れ態勢については厚生労働省および法務省がそれぞれの「指針」を告示している。厚労省の指針は、病院や高齢者介護施設をはじめとする受け入れ施設に対して責務と要件、就労条件、研修要件などさまざまな条件・基準を課している。また、法務省指針もそれに念を押すような内容になっている。
一方、両国からの候補者に課せられた共通の関門は、看護師が3年、介護福祉士は4年以内(国家試験の受験には3年以上の実務経験が必要)に、日本語による国家試験に合格しなければ帰国させられるという厳しさである。
厚生労働省は、08年11月6日付で各自治体の首長などに宛てた「『経済上の連携に関する日本国とフィリピン共和国との間の協定に基づく看護及び介護分野におけるフィリピン人看護師等の受入れの実施に関する指針』 等について」という通知文書のなかの「受入れの趣旨」では次のように釘を刺している。
今回の受入れは、「日本とフィリピンとの経済活動の連携強化の観点から、...、二国間の協定に基づき、公的な枠組みで特例的に受入れを行うものであり、看護・介護分野における労働力不足への対応のために行うものではない」。さらに、「国家資格取得前については、受入れ施設が国家資格の取得を目標とした適切な研修を実施することが重要となる」と述べている。これらの趣旨は、インドネシアの場合と同内容である。
受け入れをめぐる日本政府の姿勢(本音)のすべてが、この一節に凝縮されている。日本政府は、受け入れ施設・病院に対して「自己責任」を求めているのである。
「火中のクリ」を拾いにいく施設
介護福祉士候補の女性 2 人を雇用することを決めた社会福祉法人 大阪府社会福祉事業団(本部:大阪市)が運営する特別養護老人ホーム・豊寿荘(豊中市)の採用にあたった 3人の担当者に話を聞いた。「いまでも介護の仕事に携わる人材がひっ迫しているうえに、これから10~20年後を考えたとき、日本人だけではとても充足していけないのではないかと考え、受け入れることにした」と副施設長の市川直幸さんは採用理由を語った。そして「確かに、制度が始まったばかりのいますべきことなのかと冷静に考えると、時機尚早なのかもしれない。しかし、社会福祉法人としての使命を顧みて先駆的に取り組むべきではないかと考えた」と背景を説明する。
実際、受け入れ施設の負担も大きい。候補者たちの就労時間内外での国家試験対策の指導が求められていることに加えて、一人受け入れるごとに、斡旋手数料や滞在管理費、日本語研修機関への支払いとして合計60万円近くを関係機関に納めなければならない。また、候補者たちは労働者としての権利を付与されている一方で、有資格者ではないという理由から、診療・介護報酬上の配置基準の人員数としてカウントされないのである。
同事業団事務局の人事担当の羽田浩朗・総務グループ長は、「第一陣のインドネシアのときは準備不足だったため見送り、フィリピンに照準を絞った」とフィリピンからの受け入れを選んだ理由を述べる。入所者の約80%が女性であることから、「同性介護」の必要性から2人とも女性を採用したという。それぞれ看護師、理学療法士の資格を有していることが採用の決め手になったという。
この事業団にとって外国人の雇用は初めてのこと。今後、一緒に働いたり研修を指導する他の職員や利用者、その家族、地域社会の理解を得るために対話を徐々に始めている。採用を決める時点で同事業団の事務局長であった行松英明さんは、「きさくな性格を活用して、日本人のスタッフとは異なった方法で利用者さんとコミュニケーションをとってくれるはずの 2 人から、日本人スタッフも刺激を受けて、学ぶ点もあるはずだ」と期待を膨らます。
しかし、日本人にとってさえ難解な介護に必要な日本語や、きめ細かな介護技術の獲得のためにどう指導すればよいのかなどについての不安は尽きない。そして、何よりも国家試験対策である。日本人の場合でも合格率が約50%の介護福祉士の国家試験の突破に向けた特別な配慮(たとえば試験対策に対する支援、試験問題の漢字にルビをふる、英文出題など)は検討されておらず、当人と受け入れ施設にすべてが委ねられているのだ。「とにかく2人には合格してもらい、介護福祉士として仕事をしていただきたい。そうでなければ3年半の期間労働者に終わってしまう」。行松さんは不安を隠さなかった。
介護の仕事と国家試験に挑戦する元エンターテイナー
3月末、筆者は知人を介して、介護福祉士候補として今回の来日が決まった4人の女性たちからマニラで話を聞く機会を得た。そのうち3人は、日本でエンターテイナー(タレント)として働いたことのある女性たちであった。05年に日本政府が「人身取引対策」の重点課題のひとつとして「興行」資格の審査を厳格化した結果、ナイトクラブなどで歌手やダンサーとして働いていた若いフィリピン人女性の来日が極端に困難となったいきさつがある。
そうした事態を受けて、日比経済連携協定の交渉課題に浮上していた看護師・介護福祉士をめぐる情報にふれた彼女たちは、民間の介護士養成学校に通い、政府機関から介護士の認定を受けて待機していたのである。彼女たちは、このシステムのなかで高いハードルのひとつとなっている「4年制大学卒業」という要件を満たしていた。来日経験のあるエンターテイナーのなかでこの条件をクリアしている女性はごく少数ではないかという。
3人のなかで、9回という最も来日歴の多いローズさん(仮名)は滑らかな日本語で、「タレントの仕事をしていたとき、元気がなかったり機嫌の悪いお客さんもよく店にやってきた。私たちは、歌ったり踊ったり、楽しくするような話をしてお客さんを元気にさせていた。そんな経験をいかしながら、今度はお年寄りを介護できると思う」と抱負を語った。日本で雇用する施設は、そのような彼女の経歴を評価したという。
ナイトクラブでは「売れっ子」だったというローズさんは、客からのチップなどを含めると月に手取りで20万円を超える収入を得ていた。しかし無資格の介護労働者として処遇される今回は、税金や保険、寮費などさまざまな控除を考えると、そこまでの収入は望めない。だが、慣れ親しんだ日本で新たに挑戦する道を選んだのである。
3人は、日本語等の研修の後、11月頃に関東や関西の高齢者介護施設に赴任することになっている。彼女たちは心機一転しての来日を果たすことに対する期待とともに、国家試験の関門という不安を一様にいだいている。
彼女たちを3~4年間の「使い捨て労働者」に終わらせないためには、今回の受け入れ政策を本気で考えない国の方針を改善していくとともに、働きながら勉強する仲間として、地域で迎え入れる取り組みが急務である。はたして「鉄の扉」は開くのだろうか。