ヒューライツ大阪は
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国際人権ひろば No.85(2009年05月発行号)
人権さまざま
「建前と本音」あるいは「理想と現実」
白石 理 (しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
4月末の1週間、人種、民族、国籍、宗教、出自などを理由とする差別や不寛容の国際会議がスイスのジュネーブにある国連会議場で開かれた。2001年に南アフリカのダーバンで開かれた会議で採択された「ダーバン宣言と行動計画」が参加各国の約束どおり実施され、成果をあげているかどうかを見直すという。「ダーバン再検討会議」といわれる所以である。私にとっては国連の会議をNGOの側からみる初めての機会であった。NGOの人たちとの交流、情報収集などは、国連の仕事では経験しなかったことであり学ぶことが多かった。
2001年のダーバン会議は大荒れに荒れた。過去の植民地支配と数世紀にわたる奴隷制維持に対する賠償を認めること、イスラエルのパレスチナ人民に対する人種主義的行動を非難することの2点を盛り込むかどうかで最後まで紛糾した。アメリカとイスラエルは、そこで会議から脱退した。
「ダーバン宣言と行動計画」は、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容をなくすための、国内行動計画、立法、被害者に対する法的援助、補償などの必要性を認め、教育、啓発活動、データの集計と分析など、適切な対策を採るための行動を求めた。しかし、会議の混乱、非難の応酬などが、参加者の記憶に強く残り、会議の成果に疑問を呈する向きもあった。会議が終わって 3 日後、ニューヨークで 9.11と呼ばれる事件が起こり、この会議の成果を真面目に議論する機会は失われた。
「ダーバン宣言と行動計画」は人の尊厳と平等という人権の根本原則に基づいて差別という現実に取り組むことを求めた。そしてその履行には国ばかりではなく、国際社会、市民社会、NGOなどの関わりが大切であるとした。「ダーバン宣言と行動計画」は、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に関しては人種差別撤廃条約とともに重要な文書である。
そして、2009年4月の「ダーバン再検討会議」である。会議が開かれるまで、準備作業は困難を極めた。2006年国連総会が「ダーバン再検討会議」開催を決めてから、議論を重ね、NGO からの意見や情報もとりいれてきたという。会議の成果文書の起草作業が始まって、参加各国の間に思惑の違いがあることが直ぐに明らかになった。
西ヨーロッパと北アメリカの国々は、2001年のダーバン会議の成果を全面的に受け入れたわけではなかった。会議をどこで開くか、どの国も手を挙げない。面倒を抱え込みたくないという本音がみえみえであった。フランスは降りかかる火の粉を振り払うように、受け入れの打診に断りを入れたという。何時までも決まらない状態が続いて、仕方なく国連の会議場があるジュネーブということになった。ジュネーブはスイスにある。外交の慣例からすれば、スイス政府が会議の議長をということになるが、スイス政府が呼んだわけではないということで、人権高等弁務官の申し入れも断ってしまった。2001年の会議のような混乱と問題を抱え込みたくないと皆がそっぽを向いたということか。
すでに会議が始まる前に、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、ドイツ、オランダ、イタリア、ポーランドが不参加を決めた。どうせろくな会議にならないだろうとの予測があったのか。変な合意に引きずり込まれるのはお断りということだったのか。
「ダーバン再検討会議」の第1日目、イラン大統領がイスラエルを激しく非難する演説をしたが、それに抗議してヨーロッパ連合の議長国であるチェコが会議からの離脱を決め、多くのヨーロッパ諸国が一時退席する騒ぎになった。それをきっかけに、既に準備段階で合意が出来ていた成果文書案が本会議にかけられて、あれよあれよという間に会議 2 日目にして成果文書として採択された。これ以上の横槍でそれまでの苦労を水の泡にされたくなかったのか。採択後演説したスイスの外務大臣は、この会議は大成功であったとはじめから会議をサポートしていたかのような発言をした。
この成果文書は、「ダーバン宣言と行動計画」で各国が承認し、確信を表明した原則、そこで合意された行動計画を実行すると誓った多くのことができていないと認めている。
「ダーバン再検討会議」の成果文書は外交交渉の結果である。合意できないところをすべて落として、安全な合意の領域にとどまるものであった。しかし、「ダーバン再検討会議」が認めた今後の課題に取り組み、未だに出来ていないことを実行するよう政府を促し、NGOその他の民間の働きを強めていくために、この成果文書は実に多くの勧告をしている。
国際的な合意に参加した日本が、国内でその誓いを早急に実行に移し、空約束に終わらせないようにしたいものである。人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容は、遠い外国の問題ではなく現に日本社会が抱える深刻な問題であるからである。