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国際人権ひろば No.87(2009年09月発行号)
特集:ケアから考える新しい社会:高齢者ケアの現場を訪ねる Part1
よく生き、よく死ぬことを支えることがケア
田間 泰子 (たまやすこ)
大阪府立大学女性学研究センター
市川禮子理事長が引用を快諾してくださった著書『きらくえん25周年記念誌「つなぐ」―高齢者の人権を守って4半世紀―』(25周年記念誌編集委員会編、社会福祉法人きらくえん発行、2008)からの文章を交えながら、人権を守る理念と実践の見事な例として、きらくえんを紹介する。
基本理念としての「ノーマライゼーション」
きらくえんは、1982年に法人認可を受け、翌年に兵庫県で特別養護老人ホームを開設して以来、特別養護老人ホームを中心に、グループホーム、デイサービス、ショートステイその他、在宅福祉サービスを併設した高齢者福祉施設4苑と生活支援型グループハウス、地域包括支援センター3ヵ所、小規模多機能型居住介護施設2ヵ所を開設している。現在の規模は約80事業、職員数約600人である。
法人の理念は、「ノーマライゼーション」である。ノーマライゼーションとは、ナチス・ドイツの収容所を経験したデンマークのニルス・E.バンク=ミケルセンが、知的障害児が入れられていた収容施設の状況を知って「1959年法」に結実させた考えで、人々を既存の社会に合うようノーマライズ(「正常」化)するのではなく、人々のあり方に合わせて社会を変えるのである。障害者福祉の分野で唱えられていたこの概念を、1982年という、まだ高齢化が日本を覆う社会問題として認識されていなかった早い時期に理念として掲げたことによって、きらくえんは高齢者福祉の歴史に画期をなした。
「私たちの法人は悲惨な第2次世界大戦の教訓から生まれたノーマライゼーションを、『平和を希求する』という意をこめて、また、心身の状況がどんなに重くとも、すべての人が『地域の中で一人の生活者としての暮らしを築く』ことを実現するために、法人の理念とした」と、市川さんは述べている。
運営方針は「人権を守る」と「民主的運営」
理念を具体化するための運営方針は、第1に「人権を守る」こと。これは入居者だけでなく、「自分の人権が守られずして、他人の人権は守れないとの観点から職員の人権を守ること」も含んでいる。また、「福祉事業は公共的な仕事であることから地域の社会資源として地域に根ざし、地域と共にありたい」と考え、地域に開かれた「民主的運営」を第2の方針としている。
第1の運営方針をケアの現場で具体化するために設定された3つの柱はⅠ.人間の尊厳を守る、Ⅱ.プライバシーを守る、Ⅲ.市民的自由・社会参加の尊重である。
たとえば、Ⅰのため、言葉の言い直し運動として、入居者・利用者の方には尊敬語・謙譲語を使い、決して指示形・命令形の言葉を使わない。そして問いかける言葉や依頼形の言葉を徹底する。「『お風呂に入られますか』『お風呂に入っていただけますか』」と丁寧に問いかければ、「『もうちょっとあとにしてほしいな』と自分の意志が反映された応えが返って」くるという。「自己決定ができる、言い換えると人間の尊厳を守る言葉遣い」なのである。この例に私が納得するのには理由がある。自分の研究テーマに関連して、分娩時に麻酔をかけるのに失敗した時、スウェーデンでは助産師が「ごめんなさい。もう一度麻酔を試していいですか」と問うのに対して、米国では医師が「何も問題ありませんよ」と言いつつ麻酔してしまったという調査報告を読んだことがあるからである。人権を尊重する姿勢というものは、介護や出産といった領域を超えて、人と人の関係にすべからく存在しうるものなのだ。それを言葉遣いやしぐさ・態度を通して伝えあうことによって初めて、一歩一歩、人間らしい関係が築かれる。
Ⅲの例では、「認知症高齢者にもノーマライゼーションを」を合言葉にして、酒やタバコ、外泊外食など、なんでも自由である。「かかりつけのホームドクターに診てもらう」とか、「ふるさと訪問」として泊まりの旅行に出かけるなどもあり、入居者は嗜好だけでなく、独自の歴史と人間関係をもつ存在としてケアされる。それらの実践を支えるものとして、地域や家族会、亡くなった方々の家族OB会の協力があるが、きらくえんは協力してもらうだけでなく地域活動に積極的に関わることによって、地域に開かれた民主的運営を実現している。
阪神・淡路大震災と高齢者福祉
私たちが訪問先としてあしや喜楽苑を選んだのは、そこが、開設直前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災に見舞われ、甚大な被害を受けた経験をもっていたからである。災害時には、社会的弱者がさらに弱者となる。そのとき、どのように対応されたのか。
あしや喜楽苑の定礎には「福祉は文化」と刻まれている。「福祉は文化であると言える質の高い福祉実践に加えて、入居者に質の高い文化や芸術を教授していただくこと、そして高齢社会では地域の高齢者施設が地域の文化の拠点になるべきだと思った」という市川さんの考えに基づく。難しい課題だが、あしや喜楽苑は地域とともに復興するなかで、地域における「福祉は文化」を実践していった。
その一つ目はあしや喜楽苑の建物そのものに実現されている広い地域交流スペースである。ギャラリーや喫茶店を含むこのスペースは、1ヵ月に延べ4,000人を超える地域の人々に利用され、ボランティアは実数300人という。
二つ目の実践例は、「高齢者・障害者地域型仮設住宅」(ケアつき仮設住宅)である。震災後の仮設住宅に職員がケアに入り、芦屋市の委託を受けて高齢者・障害者が性別、年齢、障害種別を超えて入居する4棟を365日24時間体制で運営するなかで、入居者同士がケアする・される関係を築いていった。人と人の関係性のなかで、その人のもっている力が引きだされ活かされるかたちで、ケアの関係がありうるのだ。
三つ目の実践例は、復興公営住宅における24時間LSA(Life Support Adviser 生活支援員)派遣事業である。孤独死ゼロをめざして尼崎市と芦屋市で行なわれている。「被災地で現在起きていることは、将来の日本全体の姿でもあり、試金石としての役割を担っているのだ、との思いでがんばっています」という市川さんの言葉は、高齢者福祉を超えてあらゆる人々の人権の尊重とノーマライゼーションにつながっている。「世代を越えて一人暮らしが増え続ける地域社会で、地域のあらゆる人たちが助けられ、ある時には助ける側にまわる支え合いのプラットホームとして」事業を発展させることが彼女の現在の願いである。
おわりに
きらくえんが積極的に取り組んできたターミナルケアに関連して、市川さんの言葉を引用する。「日々の生活を大切にし、豊かにしてこそ豊かな死が訪れる。人権を侵すようなケアの先には無念の死がある」。
心に突きささる言葉である。人々が人権を尊重されてよく生き、そしてよく死ぬことを支えること、それがケアなのである。