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国際人権ひろば No.88(2009年11月発行号)
人権さまざま
お金と人権
白石 理 (しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
第二条
1 この規約の各締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、
自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて
、行動をとることを約束する。
2 この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、
財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。
3 開発途上にある国は、人権及び自国の経済の双方に十分な考慮を払い、この規約において認められる経済的権利をどの程度まで外国人に保障するかを決定することができる。
かつて親から説教をされた。40年も前になる。「若いときには、お金がちょっと足りない位がよい。お金の使い方を知らない者が有り余るほどのお金を持つとろくなことはない。」
お金と権力は人を変えてしまうことがあるとも言われた。その後の人生で有り余るお金を持つことも、権力を握ることもなかったが、身近にそういう人を見ることがあった。
その人とは友達づきあいがなくなってしまった。自然の成り行きか。しかし私は、長い間自分が中流意識を持っていることに疑問を感じなかった。
安定した仕事があり、必要な(と考えた)お金は何とか工面し、希望を失うことなく生活することができたのである。
今、日本社会で経済的格差が広がっているという。つい最近まで国民のほとんどが中流意識を持っていたというから、これは大変な変化である。
資産家が増える一方で生活を支えるのに苦労している人たちも増えているというのである。厚労省によれば2007年の日本の相対的貧困率は15.7%であったという。
先進国が加わる経済協力開発機構(OECD)によれば、2004年の日本の相対的貧困率は14.9%で、加盟30カ国のうち4番目に高かったという。それにこの経済不況である。
2009年の時点で見れば、日本の貧困率はさらに上がっているのではないか。仕事を失い、すみかを失い、生きる希望さえ失う人がいる。収入がなくなる。
生きるための手段も糧も失い、生活が出来ない。雇用保険の適用がなければ、最後の手段として生活保護の支給を求めるほかない。
ひとは誰でも、生きるための糧が要る。要するにお金が要るのである。生活費、医療費、教育費などなど。現代社会では、人としてふさわしい生活、
つつましくも幸せに生きるためにはどうしても必要なもの、それがお金である。霞を食っていては生きていけない。
福祉社会とは、お金持ちも貧しい人も、障害者も健常者も、高齢者も子どもも、それぞれ人として大切にされ、安心して暮らせる制度が機能している社会である。
北ヨーロッパの国々がその例として挙げられる。教育や社会保障は当然国の責任とされ、市民はその恩恵を受ける権利をもつ。
そのための財政的必要をまかなうために高い税金が課される。現実は厳しい。
一口に人権といってもいろいろである。国や行政からの介入を許さない、あるいは国や行政の規制からの自由を求めるものがある。
たとえば、思想、信教、言論、表現の自由、法の定めに拠らずに命を奪われたり、拷問を受けたり、むやみに身柄を拘束されたりしないというようなものである。
これは、国や行政が人の尊厳と自由を侵害しないこと定めるものである。
他方、国や自治体の積極的な行動によって始めて保障される人権がある。健康に対する権利、社会保障を受ける権利、教育を受ける権利などである。これには国や行政の財政的な基盤が無ければ実現が難しい。最終的に国がその責任を負うとされる。冒頭に引用したいわゆる社会権規約は、このような
「権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、......、行動をとること」
を求めている。ちなみに日本はこの条約に加盟している。
多くの開発途上国といわれる国では「社会権規約」に加盟していても、これらの人権の保障を実現するのに必要な社会基盤も財政的裏づけもないことが多い。お金のかかることはしたくともできないと言う。
「権利の完全な実現を漸進的に達成する」
とはそのような事情に配慮して、今すぐ権利の完全な実現するのではなくあらゆる可能性を探りながら徐々に実現をはかることを求める。
しかしこのことを以って、「社会権規約」にある人権の実現は政策の問題であって国の義務はないと言う向きがあった。この点については社会権規約委員会が国の法的義務を確認している。今では個人が加盟国の権利侵害を理由として委員会に訴えることさえ認める選択議定書ができている。
日本のような「先進国」の場合には、時機を逸することなく
「利用可能な手段を最大限に用いることにより...行動をとる」
ことができないというのは強弁と捉えられかねない。とはいっても、健康保険、年金、生活保護のためには、巨額の財政支出が伴う。施策を実施するという強い政治的決断が必要である。
このように人権は単なる理想ではなく、お金のことまで考えなければ実現が難しいという話である。人権を護り広めるには現実的な視点が必要ということである。