「アセアン人権メカニズムのためのワーキング・グループ」プログラム・マネージャー
1993年、第26回アセアン(東南アジア諸国連合)閣僚会合の際、アセアン各国の外相たちは、93年6月25日のウィーン宣言及び行動計画に則り、「アセアンは人権に関する適切な地域メカニズムの設立も検討」 すること合意した。
その後、アセアンによる人権分野での取り組みはみられたが、人権メカニズム設立への具体的な動きはなかなか進まなかった。
08年、アセアン諸国はアセアン憲章を批准し、緩やかな組織をより規則に基づいたものとした。憲章によってもたらされた最も大きな変化の一つは、アセアン外相会議で採択されることになった「取決め」に基づくアセアン人権組織の設立である。アセアン加盟国が常にとってきた人権に対する慎重な態度を考えると注目すべき展開である。しかし、そのような機関を憲章に取り込むことは容易いことではない。実際、憲章のすべての条項のうち最も議論され、一時には憲章自体の実現を危うくするほどの熱い意見対立があったのは人権組織に関するものであった。しかし、最終的にアセアン外相会議は人権メカニズムの設立はアセアンをより規則に基づいたものとし、信頼性を高めるために不可欠であると合意した。そして、新しい組織は、その重要性を強調するためにアセアンの 「機関」 の地位を付与されことになった。
憲章の採択直後、アセアンは、組織を設立するための「取決め」を起草するハイレベル・パネルを設置し、1年後、パネルは「アセアン政府間人権委員会(AICHR)を設立する取決め」案を策定した。09年7月にアセアン各国外相は「取決め」を承認し、アセアン首脳会議でAICHRは同年10月に創設された。
欧州、米州やアフリカの専門家によって構成される地域人権メカニズムとは異なり、AICHRは、アセアン加盟国政府に任命される代表10人による組織である。アセアンが人権問題に際して加盟国の主権や国内事項への不干渉の原則を主張することで知られるため、多くの人権活動家はこれを問題だとみている。
さらに、AICHRはアセアン域内の人権を伸長・保護する役割と機能を果たすために、進化させていくアプローチをとる協議的組織である。そして、アセアンの意思決定手続に沿って、決定は協議とコンセンサスによって行われる。これらはAICHRの進展にとって主な障害となるとみられている。しかし、それにも関わらず、AICHRの設立自体は一歩前進である。
AICHRの進展に失望する人もいるかもしれない。しかしながら、アセアン域内で人権の伸長保護が発展する機会でもある。そして、アセアンを真に信頼され、時代に応じたものとしたいならば、加盟国のなかでも人権についてより進歩的な国家に他の国家を押し進める責任がある。
楽観的な観点から言えば、実際には進歩するためにどこからか始めなければならない。どこが開始点となるのかについては、当然議論がある。しかし重要なのは、アセアンの全加盟国が地域人権メカニズムが成功するために取り組むことである。
国連や欧州、米州やアフリカの地域人権メカニズムを概観しても、それらの人権の伸長保護のためのシステムの進化は一晩で起こったのではないことがわかる。それらが現在の地位に到達するまでに時間をかけて発展してきたのである。
域内の人権の十分な保護に向けて共通する点は「伸長」である。では、AICHRは人権の伸長だけに従事すればよいのであろうか。これは、「取決め」とアセアン憲章両方に伸長と同時に 「保護」 と言及されているので、その任務に反することになるだろう。進化していくという意味では、人権の保護に向けて、伸長が開始点とみなければならないだろう。
まず、人びとがAICHRおよび人権を感じるようにならなければならない。現在の最重要事項は、それらが人びとの目に見えるようになることである。AICHRが何なのか知らなければ、どのようにしてアセアンの人びとにアクセスしてもらうのか。それよりも、人権とはどういうものなのか、自分たちのどの権利が侵害されたのか知らなければ、人びとがAICHRにアクセスすることを期待できない。市民団体として、この点でAICHRの進化の促進に手を貸すことができる。私たちは、アセアンのこの新しい人権機関が人びとに知られるようにしなければならない。これをアセアンやAICHR自身に任せておくことはできない。自分たちの都合の良いペースで進めるかもしれないからである。AICHRが域内で存在感をもつためには、AICHRが人びとに見えるようになることを優先事項としなければならない。そしてこれは、AICHRがより進歩的な機関に発展してほしいと思う市民社会団体によって補完とはいかなくても補足されなければならない。
AICHRがアセアンの人びとの目に見え、存在感をもつことを確保するために、AICHRは加盟国間を移動する必要がある。市民社会団体は、その機会を利用して人びとがAICHRの代表と会い、自分たちの関心事を伝える場をできる限りつくることができる。AICHRは調査機能を持たないが、アセアン加盟国の人権状況について情報を得ることができるということは否定していない。
AICHRのもう一つの可能性は、国連人権理事会の前身である国連人権委員会のような専門家グループや下部組織を設立することである。同委員会は政治的な組織とみなされていたが、専門家グループや機関を設立し、それがその後の特別手続のメカニズムに発展していった。
AICHRは政治的な組織である。それがもつ情報に基づいて域内の人権の伸長保護の方向性を打ち出す。しかし、AICHRは年に2回しか会合をもたない。そのため、適切な情報が収集され、AICHRが検討し行動をとるよう処理されなければならない。専門家グループを設立すると、収集される事実の情報の質や精度を確保することができる。前述のように、AICHRの「取決め」には加盟国訪問や調査が言及されていないが、はっきり否定されている訳ではない。「取決め」は人権の伸長保護に関して加盟国から情報を得ることを認めている。そして、AICHRは本部だけでなく、アセアン各国で会合することが予定されているので、その協議および対話機能の一貫として政府以外の関係者と会う機会ともなる。
さらに、AICHRは「アセアンにおける人権のテーマ別問題について調査」する権限を有する。アセアンには、たとえば女性と子どもの問題についてなど、既に共通した人権に関するコミットメントや合意がある。これらの問題に関する調査は、たとえそれが域内の現在の 「状況分析」 としても有用である。そしてそのような調査は、それぞれの国のデータを必要とするかもしれないが、国別の調査とはならず、テーマ別の調査である。これも、アセアンの政治関係者ではなく、AICHRに信頼できる報告を提出できる知識・経験を有した専門家によって行われるのが最もよい。
また、AICHRが「アセアン共同体の構築を補完する人権および基本的自由の伸長保護のための戦略を開発」し、「アセアンの人権に関する関心事について共通のアプローチや立場を開発する」ためにこれらの人権専門家の支援を得ることもできる。
AICHRのために適切な手続規則も必要である。「取決め」はAICHRの構造について規定したが、どのように実施するかの詳細についてはまだ決まっていない。AICHRの「取決め」は、手続によって行動に移していかれなければならない。
もう一つの可能性は、アセアン人権宣言の起草である。これは、AICHRをアセアンの人びとによってより意味のあるものと具体的に進化させるよう後押しするすばらしい機会である。しかし、この機会が文化的相対性を支持するために使われないよう気をつける必要がある。AICHRの中心的な原則自体が「世界人権宣言、ウィーン宣言および行動計画並びにアセアン加盟国が締約国となっている国際人権文書に規定される国際人権基準を支持」しなければならないとしているのである。
最後に、進化のより重要な手段として、AICHRの代表自身がいる。AICHRの代表はそれぞれの政府に責任を負うが、「取決め」は代表に公平に行動するよう求める。公平に行動するということは、特定の加盟国を優先しないということで、むしろ代表はアセアンのすべての人びとの人権を伸長保護するために積極的に考えなければならない。人権について前向きであるよう、市民社会団体が代表たちと関わっていかなければならない。
まとめると、AICHRという形での新しい地域人権メカニズムの創設は、アセアンの人権の最終的な結論ではない。現在アセアンにはたとえば、予定されている女性と子どもの権利の伸長保護のためのアセアン委員会など他の機会もある。私たちはこれらの機会を最大限に活用し、アセアンにおける人権の環境を作っていかなければならない。そして、これらのメカニズムはこのような環境をつくるための補助としてみていかなければならない。その間、より積極的な発展をもたらすためのアドボカシーは続く。
(抄訳:岡田 仁子)
訳注:アセアン人権メカニズムのためのワーキング・グループは、95年に設立された、法律家、研究者、活動家などを含むNGO。人権の分野において、アセアンおよびその加盟国と協議したり、提言を行ったりして、AICHR設立の推進に向けて貢献した。