人権の潮流
「わたしのことだ」と思った――。 この本を翻訳した阿久澤麻理子さんは、本書を読んだときの印象をそう語ってくれた。きっと、多くの女性たちに共感する経験や思いがあるだろうと。
『恥と名誉』(原題 "SHAME")は、インド・パンジャブ地方から労働者としてイギリスに渡ってきた両親のもとに生まれた、インド系イギリス人2世の著者、ジャスビンダル・サンゲーラの自伝である。移民社会の現実を描いたこの本は2009年にイギリスで出版され、ベストセラーとなった。
冒頭、公衆電話から自宅に電話をかける、15才のジャスビンダルの姿が描かれる。親から見知らぬ相手との結婚を強要されたジャスビンダルは、望まぬ結婚から逃れて「自分の人生を生きたい」と願い、ボーイフレンドと駆け落ちをする。だが逃亡生活を続けるうちに、家族が恋しくてたまらなくなってしまう。
自分が許されないことをしたのはわかっている。それでも家族は、とりわけ母は、きっと心配しているにちがいない。本当は、帰りたい。同胞がたくさん住む町へ、家族が睦まじく暮らす愛しい我が家へ。
だが、少女の切実な願いは、無惨にも母の罵声で粉々にうち砕かれる。
「お前がしたことの意味をわかっているかい?私たちに恥をかかせて!私たちにとって、お前は死んだも同然だ」。
その言葉は、およそ30年後、母が死に至るまで、ついに撤回されることはなかった。結婚を目前に逃げたこともさることながら、両親の怒りを増幅させたのは、ともに逃げた相手が「チャマール」というアウト・カーストの出身だったからだ。イギリス移民社会でも、カーストによる差別は根強く存在していた。
母から拒絶されたことは長年ジャスビンダルの心に深い傷を残すが、その痛みの経験から、やがて、ジャスビンダルは自分と同じように傷ついた女性たちによりそい、支援する活動へと、人生を切り拓いていく 。
ジャスビンダルの家族が暮らしたイギリス・ダービーの町には、自国の文化や慣習を強く守り、支え合う同胞コミュニティがある。その慣習の一つが「強制結婚」である。「訳者あとがき」によると、「強制結婚」とは「15歳前後で親が娘の結婚相手を決め、学校が長期休暇に入ると 『家族旅行』 と称して国外に連れ出し、そこで結婚させる。多くの場合、相手は本国の地縁・血縁のある同胞で、結婚は男性の渡英手段ともなってきた」とある。
また、本書にはアジア系女性たちに対する「名誉犯罪(名誉殺人)」の実態も描かれているが、「名誉犯罪」とは「"不道徳と見なされる行為" をした者に、家族や同胞社会の名誉を傷つけたことを理由に私的な制裁を与え、時に命をも奪うこと(「名誉殺人」)」(「訳者あとがき」より)であるという。たくさんの女性たちが人権を蹂躙され、その家族からの制裁によって命を落とす。イギリスでは16歳から24歳のアジア系女性の自殺率は国家平均の3倍に上るというが、家族とコミュニティは固く情報を閉ざすので、それが名誉殺人による被害かどうかを見極めることは難しいという。
ジャスビンダルの5人の姉妹もまた、この「強制結婚」によって結婚する。たとえ相手を愛せなくても、結婚生活がどんなに不幸であっても、離婚したり、逃げたりすることは家族の「恥」となり、「名誉」を傷つけることになる。幼い頃から教え込まれた慣習から逃れられない女性たちは、家族の「名誉」を守ることと、現実とのはざまで葛藤をくり返す。その果てに、シャスビンダルの姉の一人も、夫からの暴力に苦しむ結婚生活を誰にも相談することができないまま、焼身自殺をしてしまう。
二度の結婚、離婚を経験し、3人の子どもを抱えるシングルマザーとなったジャスビンダルは、子どもたちを育て働きながら、駆け落ちしたため中断していたハイスクールでの勉強を再開し、ついには彼女の夢であった大学進学を果たす。その間、病に倒れた母を看取ることになるのだが、インド人コミュニティの中で生きてきた母は、長年イギリスに住んでいても英語を話すことができなかった。ジャスビンダルは死を間近にしてさえ、自分を受け入れようとしない母に傷つきながらも、言語の壁によって、母が病院で平穏に過ごすことができないことに、心を痛める。
姉の死と、母の死。二つの不幸な死とともに、自分の人生を見つめなおしたジャスビンダルは、大学在学中の1993年、言語の壁や「強制結婚」「名誉犯罪」によって傷つき、苦しむアジア系女性たちを支援するため「カルマ・ニルヴァーニャ」を立ち上げる。手探りで始めた活動は、やがて、文化の慣習により苦しむ女性たちの姿を、イギリス社会へと訴えていく。
「名誉犯罪」についてイギリス政府は、長年「文化の違い」を理由に問題解決に消極的であったが、カルマ・ニルヴァーニャの活動により「イギリス市民の人権問題」として解決にのりだし始め、2008年、「強制結婚」は法律で禁じられるようになった。それでも、同団体が2008年に開設したヘルプラインに、年間で4,000件もの相談が寄せられたことは、イギリスに住む移民の多さと、問題が深刻で、今なお継続している現実を表している。
本書に著された女性たちの現実は、イギリス社会だけの問題ではない。女性たちが親や男性の支配に苦しむ姿は、どの国においても見られることだ。母との確執、夫や恋人との関係、子どもへの思い……、文中のできごとが自分の過去と重なっていく。本書を読みながら、私の心はちりちりと音をたて続け、ときに、理不尽さに涙がこぼれた。
「自分を語る」ことは、たやすいことではない。いくら時が過ぎたとしても、その経験が辛ければ辛いほど封印してしまいたくなる。だからこそ、ジャスビンダルは語りかける。「大丈夫。あなたは、ひとりではないのよ」と。
セルフエスティームとエンパワメント。人権について語るとき、今ではあたりまえの用語となったこの言葉を、あらためて思った。自分を受け入れ、大切に思い、自信を持つことで、他者を思いやることができる。
人はひとりでは生きていけない。たとえジャスビンダルのような活動ができなくても、人と人がよりそい、つながる大切さを、本書を読みかみしめた。
余談であるが、本書の副題「移民二世・ジェンダー・カーストの葛藤を生き延びて」は、最初「移民・ジェンダー・カーストの葛藤を生き延びて」とされていた。訳者の阿久澤さんは、この「移民」という言葉をめぐり、著者と何度もやりとりを重ねたという。「イギリス市民」である著者は「移民」という言葉に違和感があるそうだ。そういえば、この本を読んでいる間、私はイギリスという「異国」に住むことに対する著者自身の葛藤をまったく感じなかった。もちろんイギリス国籍をもつ彼女と、日本国籍をもたない在日コリアンの私とでは、根本的に背景がちがうかもしれない。だが、先に述べたイギリス政府が、移民社会で起きている「名誉犯罪」を「イギリスの人権問題」として取り組み始めたということは、異なった文化を尊重しつつ、人権という視点で救済に乗り出し、守るべき文化と、糾さなければならない文化の間に介在する問題を、同じ国に暮らす市民として、ともに解決していこうとする姿勢があるということだ。
私は日本の中で、私たち在日コリアンが「地域住民」としてあたりまえに受け入れられているという実感がなかなかもてない。記憶に新しいところで言えば「高校無償化」から朝鮮学校が除外されたことなど、何かにつけて社会的権利から排除され、闘いながら権利を勝ち取るプロセスを踏まなければならない。イギリスのインド系移民も、在日コリアンも、ともに宗主国であった国に、多くは労働者として渡ってきた。国籍をもつ、もたないに関わりなく、大切なのは少数者を多数者がどう受け止めるかということではないだろうか。
2世である著者が、あたりまえに「イギリス市民」であることが、未だ日本の「市民」ではありえない在日コリアン2世の私には、とてもうらやましく感じられた。
『恥と名誉-移民二世・ジェンダー・カーストの葛藤を生き延びて』
ジャスビンダル・サンゲーラ著/阿久澤麻理子訳
(解放出版社、2010年)