特集:アジアのLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)Part1
アジア地域におけるレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(LGBT)の人たちがおかれた状況を一般化して語ることは、その文化的・法的・宗教的多様性ゆえに非常に難しい。
本稿では、一般化を試みる代わりに、アジア地域の LGBT に関する最近の主な出来事をとり上げながら、この地域の LGBT が直面する現状を共有したいと思う。
2000年、東京・新木場の公園で、当時33歳の男性が激しい暴行を受け、遺体となって発見された。未成年2人を含む3人が強盗殺人容疑で逮捕されたが、3人は「ホモは襲ってもいい」、「ホモを狙えば警察に訴えることもない」との理由から殺害に至ったと供述したと伝えられている。未成年の2人は少年院へ送致、残る1人は懲役11年の判決を受けた。
2001年、インドで、ゲイ男性を対象に性の健康に関する教育講座を実施していた HIV 関連 NGO の職員らが、「自然の摂理」に反する性的行為を禁じた刑法377条に基づき、「ゲイ・セックスの商売」をしていたとして警察に拘禁された。
2003年、性同一性障害を公表している世田谷区議会議員の上川あやさんは、同議会議員選挙への立候補の意思を明らかにした後、性別自認2を理由に、嫌がらせの電話、ファックス、手紙や、上川さん自身だけでなく家族や友人に対するインターネット上での誹謗中傷など、断続的に嫌がらせを受けた。ある日、「オカマの世田谷区議」とあてた誹謗中傷の張り紙が区役所に通じる道路沿いの電信柱に複数枚貼られた。張り紙を発見した区の職員らが張り紙を剥がし、警察に通報したものの、根拠法がないとして、警察は事件を捜査しなかった。
2004年、タイ・メーソットの工場で働くビルマ出身の若いレズビアンが、友人との買い物からの帰宅途中、夜道で同僚男性に囲まれた。彼女は、同僚らに「異常なレズビアンを治療し、本当の女にするため」にレイプされた。翌日、職場の皆が事件を知っていたものの、彼女をサポートする人はいなかった。
2005年、イランで、10代後半の男性2人が「同性愛の罪」で有罪となり公開絞首刑となった。このニュースは、目隠しされて首に縄が回された状態で処刑台に立つ2人の写真とともに報道された。このとき、イランでは1979年のイラン・イスラム革命以来、同じ罪で処罰された同性愛者の数が4000人に上ると伝えられた。
2006年、モンゴルで、レズビアンであることが職場で知られた女性が、同僚からの1年半にわたる言葉の暴力やいやがらせにより自主退職に追い込まれた。この女性は、新たな職場では、ありのままの自分ではいられないと感じている。
2007年、マレーシアのイスラム宗務庁は、トランスジェンダー女性を暴行の上拘禁した。女性は入院後、イスラム法の服装規定違反で有罪とされ、1000リンギ(約2万6000円相当)の罰金支払いを命じられた。
2007年、ネパールで、軍隊が、性的指向3を理由に1組のレズビアン・カップルを除隊処分にした。政府はカップルに対し公式に謝罪したものの、再入隊については拒否した。
2008年、ヨルダンで、4人の男性が「売春の罪」で拘禁され、同性愛をやめることを条件に釈放された。
2008年、フィリピンで、病院職員らが患者のゲイ男性を手術中にからかい、その模様をビデオで撮影後、インターネットの動画共有サイト YouTube に投稿した。患者の身元や病状が公にされるとともに、この男性や家族は、感情的・精神的苦痛を負った。
2009年、スリランカ・コロンボで、LGBT 団体が保守系宗教団体に脅迫され、その活動を非難する記事を公表された。
2010年3月、インドネシア・スラバヤで、ILGA(International Lesbian, Gay, Bisexual, Trans and Intersex Association)のアジア地域会議が、イスラム原理主義組織「イスラム擁護戦線(FPI)」の脅迫により中止に追い込まれた。会議の参加予定者が滞在していたホテルは包囲され、参加予定者は事実上軟禁状態におかれた。私もその場にいたが、現地警察やインドネシア政府は主催者からの連絡に実効的に対応することなく、原理主義組織メンバーがホテルに侵入し、私たちを一掃することを許した。
上記の12例は、アジアの LGBT が直面する数え切れないほどの人権侵害事例のうちの、かろうじて NGO に報告されたり報道されたほんの一部に過ぎない。アジアの LGBT は、構造的な人権侵害を経験しており、その人権侵害は、公的機関や私人により加えられている。12例のほかにも、性的指向や性別自認を「治療」するための精神医療機関での電気ショック療法、学校からの排除、住居からの強制退去や家族からの暴力、雇用における採用拒否、ストーキング、メディアによる歪曲した LGBT のイメージの発信などが、日本を含むアジアのあらゆる国々で日常的に起きており、これらさまざまな形態の人権侵害を同時に受けている LGBT が少なくない。
厳しい人権侵害に遭いながら泣き寝入りや「クローゼット」の中にいることを余儀なくされているアジアの LGBT が圧倒的に多い中で、LGBT 自身による運動や前進も見られている。
2003年、日本では、トランスジェンダー当事者の働きかけにより、「性同一性障害」と診断された人に対し、一定の条件の下で戸籍上の性別変更を認める法律が制定された。2006年には韓国、2008年にはフィリピンでも同様の制度が整備された。
2008年、ネパールでは、当事者団体による LGBT の権利保障を求める請願を受け、最高裁判所が、LGBT は「国際人権法や条約に定義されるあらゆる権利を享受することを認められるべき」との判断を下し、立法府に対し、法整備を命じた。判決から3カ月後には、ゲイであることを公にした人権擁護家スニル・パントが制憲議会(国会)議員となった。
2009年、インドでは、LGBT 団体が訴え続けてきた刑法第377条の廃止が、大英帝国以来150年を経て実現した。
2009年、日本では、法務省が、同性カップルに対してのみ発行を拒否してきた婚姻具備証明書の発行を決め、同性婚・パートナーシップ登録が可能な国での日本人の同性婚・パートナーシップ登録が可能になった。LGBT 団体が国連人権理事会の普遍的定期審査(UPR)と自由権規約に関する政府報告審査にあわせて提出したシャドー・レポートに基づいて、国連で日本政府に対して差別是正の取り組みが勧告されたことがきっかけだった。
国際人権のフォーラムにおいて、現在、LGBT の人権は、議論が大きく二分されているテーマである4。特にアジアにおいては、「非アジア的」だったり「宗教教義の侵害」、「個人の嗜好や選択の問題」として、人権の問題として見なすことを拒絶する姿勢が圧倒的である。このような言説は政府からだけではなく、時に“メインストリーム”の人権運動からさえ聞こえてくることがある。
人権の平等と普遍性、不可分性は、個人の性的指向や性別自認に関わらず、当然すべての人に関して認められるものであるはずだ。かつて友人が、「人権の問題としての LGBT の問題を無視することは、人権の基礎にある考え方自体を無視すること。LGBT の人権について沈黙を続けることは、人権の基本的考え方に対する重大な背反」と話した。本当に「すべての人」の人権が、性的指向や性別自認に関わらず実現する日が来ることを強く願いつつ、彼女の言葉を借りて本稿を閉じることにする。
注
1. ここに挙げる日本およびインドネシア・スラバヤに関する以外の事例は、「Human Rights Abuses in Asia On The Basis of Sexual Orientation, Gender Identity and Gender Expression(2000?2009)」(Grace Poore, International Gay and Lesbian Human Rights Commission)(以下 URL)による。
http://www.iglhrc.org/binary-data/ATTACHMENT/file/000/000/317-1.pdf
2. 社会的に構築された「男らしさ」や「女らしさ」に関連し、個人が自分自身の性別をどのようにとらえるかを指す。男性・女性のほかに、男女いずれでもないと自認する人もいる。生まれつきの性と必ずしも一致しない場合もある。
3. 個人が、いずれの性別の他者に対して身体的・感情的に惹かれるかを指す。同性愛、両性愛、異性愛などがある。
4. 『アジア・太平洋人権レビュー2010 企業の社会的責任と人権の諸相』(ヒューライツ大阪編、2010)の拙稿96頁を参照されたい。