肌で感じたアジア・太平洋
私は、1989年に中国の上海で生まれ、上海の小学校卒業後に来日しました。現在、大学生ですが、2010年の春休みに、私は中国の北京で HIV/AIDS 感染者や満州民族に満州民族の言語や文化そして「人権」を教える活動に力を注いでいる東珍 NGO で6週間のインターンをしました。東珍 NGO は2003年に設立され、現在スタッフ8人、ボランティア3人で活動しています。
このインターンへ行くきっかけとなったのは、2009年の夏、私が所属している海外インターンを運営する学生団体アイセック(国際経済商学学生協会)同志社委員会が主催するチャイナ・スタディーツアーでした。私たちはそこで東珍 NGO を訪問し、その際に代表の李丹さんが中国の HIV/AIDS の現状など中国における社会問題を熱く語っておられました。帰国後、李丹さんのお話が胸に残り、自分の中で中国の社会問題の現状と NGO をもっと深く知りたいという思いでこのインターンへ行くことを決意しました。
6週間の中で、私は主に3つの仕事を任されました。一つ目は、東珍 NGO が運営する市民が利用できる人権図書館づくりのために、日本の人権に関する児童図書・マンガや映画のリスト作成でした。これはネット上の検索ではなかなか内容まで調べるのは困難でした。しかし、人権の本に関して、活字しかない中国に比べるとやはり日本のほうが断然読んでおもしろくてわかりやすい本や DVD がたくさんありました。
二つ目は、中国ではスパイとされている川島芳子(1907年清朝王女として北京で生まれ、1914年川島浪速の養女として来日、1948年3月25日にスパイとして処刑された)の日中ウェブ記念室の立ち上げでした。これは、李丹さんと同じく満州民族である川島芳子を記念することで、満州民族の文化を讃えると同時に日中を思い両国の関係に尽力した芳子に対する中国人の偏った考えを払拭するためでもあります。私は日本にある芳子の資料を中国語に翻訳しました。翻訳を通して、川島芳子という芯の強い才女に自身も魅了されました。また彼女と同じく、中国生まれで日本育ちの自分とも重なり、このウェブサイトを通してより多くの中国の人たちがみて、考えが変わってもらえたらいう思いがますます強くなりました。実際、ウェブサイトが開設されたのちに、東珍 NGO へもっと知りたいという多数の問い合わせがあったそうで、とても嬉しく思いました。
三つ目は、農民工小学校で英語の授業開設に携わりました。現在中国では農村戸籍が原因で、農村出身の出稼ぎの両親について大都市へやってきても、都市の公立小学校に通えない農民工の子どもは、北京だけで20万人ほどいます。インターン中、私は李丹さんと農民工小学校の校長先生との話し合いに立ち会う機会がありました。こうした子どもたちのために、かつて農民工だった校長先生は、これまで政府による校地の強制移転や運営資金の削減などといったさまざまな壁を乗り越えてきました。いかに苦心して農民工の学校づくりをやってきたのかを涙ながらに語るのを聞いて、何か自分にできることはないかと考えました。それから実際に農民工小学校を訪問し、校長先生と幾度かお話をしました。そして、李丹さんと相談した上で、英語教師が不足しているので、私が所属するアイセックや他の国際ボランティア団体が、英語の授業開設を計画しました。この夏に日本からも学生が英語・日本語教師として参加することが決まり、どういう形で授業をするのかとても楽しみです。農民工小学校の学生が海外の研修生と触れ合うことで、さらに勉強を好きになってもらいたいと願っています。
また、このほかにも北京の NGO を訪問する機会、香港 NGO との勉強会や JICA による日中 NGO 交流会を通して、中国の社会問題と中国の NGO を深く知る機会がありました。
東珍 NGO のオフィスにて
(右から筆者、代表の李丹さん、ボランティアの孔さん、ウェブデザイナーの張さん、エイズ法律相談の徐さん)
私がインターンに行く目的の一つとして中国の NGO ではどんなことをやっているのか、本当に政府から厳しく規制されているのか、そして日本の NGO・NPO とどういう違いがあるのかを知りたいという思いがありました。
インターンに行く前に、大阪にあるいくつかの NGO・NPO を訪問しました。それから、北京では李さんから北京で「自然之友」という環境系の NGO や、「紅丹丹」という視覚障害者を支える NGO などを紹介していただき、また JICA の日中交流会に参加し、いろんな NGO のスタッフの方からお話を聞く機会がありました。
東珍でのインターン中にこれまで日中 NGO・NPO の方々から聞いたお話から、中国と日本の組織における違いを感じました。まず、中国では NGO の主体は若者です。日本では社会経験が豊富な中高年齢の方々が長期にわたって働いているのに対して、中国では大学からのインターン生の数がとても多いです。東珍 NGO でも年間およそ十数名の学生インターンを受け入れていて、入れ代わりがとても激しいです。二つ目に、意思決定においてリーダーの意見がもっとも強いということが中国の特徴です。三つ目に、日本の NGO・NPO は会員制で運営しているので、会員へのサービスを重視しているのに対して、中国はファンドの資金で運営をしていて、メディアを通して学生や市民及び海外の方々に NGO の活動の宣伝を大々的に行っています。このように、日中の NGO・NPO には組織上さまざまな違いがあります。しかし、日中がこれまでの事業の経験を共有し、相互補完的な関係を築くことで、両国の経済だけでなく、NGO・NPO の分野においても更なるよい発展につながるのではないかと思いました。
上海生まれの私にとって、初めて一人で北京で生活することはとても新鮮でした。
初めての北京、初めてのユースホステル暮らし、この6週間、中国の大学生、NGO の方や海外の留学生などいろんな文化圏の方々と出会い、それぞれが大都市北京で自分の夢と目標に向かって頑張っている姿をみて本当にたくさんの刺激を受けました。
東珍 NGO でのインターンを通して、私は中国の社会問題に対する認識や考えが大きく変わりました。中国の著しい経済発展により、さまざまな社会問題が頻発している一方で、多くの情熱的な NGO は日々それらの問題解決のために奔走しています。
この国の厳しい社会の現状も知りましたが、それらの問題に対して力を注いで解決しようとする学生たち・市民たち、そしてこれらの NGO の活動をみて、きっと中国社会はよい方向へ向かうと思うようになりました。また、私自身も通訳などいろんな仕事を初めて経験したことで、幾分自分自身の成長を感じることができました。現在大学では経済の勉強をしていますが、将来は、このインターンの経験を生かして、ソーシャルビジネスを通して日中の社会問題の解決に努めていきたいと思っています。
今後とも、日中両国の社会がよりよい方向へ発展していくために、両国の NGO・NPO が協力していくことでますます発展していくことを願います。私自身微力ながらも今後とも両国の NGO・NPO の活動に関わっていきたいです。写真
北京第二外国語大学のSTOP HIV/AIDS 差別の講演会にて
(右から二人目が筆者)