特集2 国際開発協力の現場から日本社会に問う Part1
2010年6月29日、外務省は「ODA のあり方の検討 最終とりまとめ」編集注 を発表した。昨年12月に岡田前外務大臣が外交演説の中で、「何のために ODA を出すのかということを国民にわかりやすい形で理念整理して、国民の理解を増やしたい」と述べ、それを受ける形で外務省が2月頃から作業が進めてきたものである。2011年度予算に間に合わせるために短期間の突貫工事で進められ、6月下旬の発表となった。
これまで、ODA 政策の改定作業にあたっては、例えば2002年の ODA 大綱見直しや2004年の中期政策見直しの時ように、パブリック・コンサルテーションの開催や、ウェブ上でパブリック・コメントを受け付けるなど、市民参加を意識したプロセスが取られてきた。しかし、今回は参院選などもあって、異例のスピードで省内作業中心で進められた。これに対して、これまで外務省と定期協議会を開催してきた国際協力 NGO 関係者は、定期協議会の臨時全体会を開催する形で岡田前外務大臣も交えて「ODA のあり方の検討」に意見することを申し入れた。岡田前外務大臣自身は、2月の記者会見で「ODA というものを国民の理解を得ながら増やしたい」と述べている。市民対話を重視している姿勢を保つためにも、4月17日に臨時の意見交換会を開催することとなった。会合では、私も定期協議会の NGO 側コーディネーターの一人として、経済成長からの脱却を目指した新しい世界を構築するための ODA の理念とビジョンを求める意見を述べた。以下では、そうした経緯も踏まえて、この新しい「ODA あり方の検討」報告書をもとに日本の ODA を検証してみたい。
まず、述べておきたいのは今回の最終案は近視眼的な改革案に留まっていることだ。気候変動、食料価格高騰に伴う社会的弱者の保障問題、そしてリーマンショックを発端とする経済危機など、様々なリスクが私たちの暮らしをグローバルに脅かし始めている。それにも関わらず、今回の「あり方の検討」は ODA を通してどのように途上国と新しいパラダイムを導いていくのか、その将来ビジョンは見えてこない。むしろ、経済成長が謳われ、海外投融資再開に伴う民間セクターとの連携が強調されたりと、先祖返りとも言えるような「悪名高い」取り組みの復活ばかりが目につく。それは、報告書のもう一つのタイトルに「開かれた国益」が謳われていることからもわかる。
当然、政府も貧困削減や援助の質に関する国際議論の存在を無視してはいない。「貧困削減(ミレニアム開発目標(MDGs)達成への貢献)」を「開発協力の3本柱」の一つに据え、重点課題として取り組む姿勢は見て取れる。しかし、貧困削減を目指す方法論が旧来の経済成長に頼った「開発」から脱していない。言い方を変えれば、今の先進国(例えば日本)に格差や貧困などの様々な社会問題があるにも関わらず、そのことは脇に置き、物質的豊かさだけにおいて「夢」を途上国に与えるビジョンになっている。
ならば、ODA が築く世界の将来像はどうあるべきだろう?二つの認識が重要である。一つは、自然環境と人間の関係についての認識である。もう一つは、貧困や格差などの社会的公正についての認識である。この二つの認識は、1987年にブルントラント委員会が提起した「持続可能な発展」概念を構成するものだが、それを改めて問い直すことが必要なのである。
恐らく、こうしたグローバルな課題を踏まえて ODA を見直す方法には幅があるだろう。例えば、次の4つのアプローチが考え得る。一つは、経済成長は否定せずに、膨大な国家の借金と不健全な財政に緊縮財政で対応しようとするもの。国際社会で実際に行われている議論はこれに近い。もう一つは、ミニマムな社会保障を行う国際的枠組みを強化するもので、MDGs の促進や国連改革の議論がこれに当たる。しかし、これらはいずれも現実的だが、対処療法に留まる。そして三つ目は、世界の諸問題の原因を資本主義や自由主義経済に求め、これらとは異なる経済のあり方を求めるもの。世界社会フォーラムなどでの議論がこれに近い。そして最後が、経済成長という概念そのものからの脱却を図り、低成長で豊かさを実感できる地域社会を中心とした自律社会の創造を模索するアプローチである。「スモール・イズ・ビューティフル」のシューマッハーやイリイチ、最近では「懐かし未来」のヘレナ・ホッジや「脱成長社会」を語る仏の哲学者ラトゥーシュなどの議論がこれに当たる。
エコロジカル・フットプリントが示すように経済による環境への負荷は既に地球の許容量をオーバーしている。人間社会内でも格差が拡大し深刻になっている。現在のシステムを続けることは不可能であり、その意味で4つ目の「脱成長路線」を真剣に考えなければならない。確かに、脱成長社会を短期間でドラスティックに実現することは現実的ではない。しかし、手遅れにならないためにも、段階的に「脱成長社会」に向けた議論を深め、方法論を模索することを始める必要があろう。そして、国際協力の文脈においては、「持てる先進国」から「持てない途上国」に富の再分配や技術を移転するという一方通行だけの関係に留まらせずに、私たち先進国が失った自然とのつき合い方やコミュニティを中心に「社会的つながり」を途上国の人々から学ぶという姿勢を重視した、南北の双方向的な対話関係を築く、新しい開発や ODA のあり方の検討を始めることが大切ではなかろうか。その観点から、国際協力は今が、パラダイム・シフトの時なのである。
いくつかの国際協力 NGO は、すでにそういう視点をもって活動している。例えば、私が所属する JVC は、ラオスの農村部で森林保全と農村開発を行っている。実際、ラオスの農民から教えられることは少なくない。ラオスの村人は「自然がたくさんあるから、自分たちは飢えることもなく豊かに生活できるのだ」と言う。彼らは家屋の建材から、食料や薬草など、緊急時には森の産物を売って現金を得ている。ラオスの人々にとって、森は生活を守ってくれる安全弁なのだ。しかし、「開発」はそうした森を「資源」と見て、木材を切り出し、跡地にユーカリやゴムを植林してプランテーションをつくる。川をせき止め、ダムをつくり、電気をタイなどの近隣諸国に売る。村人の方法であれば森は世代を超えて残されるが、「開発」は森というストックを現金というフローに換えて、人間の経済活動に使われる。その結果、自然はやせ細り、森に依存して暮らした人々から生活のリスクをヘッジする手段を奪っていく。結果、村人は町に出稼ぎに行かざるを得なくなる。つまり、ラオスで行われている「開発」は、村人と自然との関係を変え、村人の生活を現金に依存する形に変えるのである。こうして「貧しさ」がつくられていく。
確かに扱われる国家単位でマネーの流量を見れば、あたかも経済規模が大きくなったように見えるだろう。しかし、それは自然資本というストックを貨幣というフローに変えただけに過ぎない。そして、この「転換」に棹さすことが「経済成長のための援助」あるいは「国際協力」である。だとするならば、それは誰のための「援助」であり「国際協力」なのだろうか?今、この経済中心の思考を変えない限り、ODA や援助は途上国に新たな貧困を再生産するツールに留まり続けるだろう。
イギリスのシンクタンクである ODI が「新しい援助の体系(パラダイム)」に関する論文を発表した(Burall and Maxwell 2006)。論文は、「なぜ先進国に援助機関が存在するか?」という問いを投げかけている。歴史的に見ても、途上国が先進国を必要としていたのではなく、私たち先進国が途上国を必要としていたのではないか。実際、途上国の安い資源と食料に頼って物質的豊かさを謳歌してきたのが先進国に暮らす人々である。日本に関して言えば、戦後の賠償責任を逃れるために援助を始めたのであるから、尚のこと途上国を利用してきた歴史は色濃い。
ここ最近のグローバルな課題は、人間社会の許容を超えている。私たちは「国際協力」を、その課題の本質と原因を日本の市民一人一人に問い直してくためのツールとして活用すべきなのではなかろうか。ODA を私たちが途上国の人々から学ぶ契機とするのだ。「開かれた国益」を意味あるものとして解釈するには、それしかない。そのためには改革案の中身を根底から見直す必要がある。外務省は、この改革案を対話の始まりと説明している。ここから ODA 大綱の見直しに向けた議論をどうつくるか。私たちも、本当の ODA 改革に向けて活動を仕切り直すことが必要だ。
森の中の川でタニシ取りをするラオスの子どもたち(筆者提供)
(参考資料)
Burall, S. and Maxwell, S.(2006)Reforming the International Aid Architecuture(ODI working paper 278)
編集注:全文は外務省のウェブサイトに掲載
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kaikaku/arikata/pdfs/saisyu_honbun.pdf)