アジア・太平洋人権情報センターとして、2002年のフィリピンに始まって、毎年アジアのどこかの国を訪れるスタディツアーを実施してきた。そして2010年度の訪問先は、アジアではなく、ヨーロッパのスイスのジュネーブになった。一番大きな理由は、2009年にヒューライツ大阪が、国連との協議資格を持つNGOとして承認されたことをきっかけに、国連の人権に関する主な会議が開催されるジュネーブの機関を訪ねる機会を作ってコーディネーターしたいという思いだった。
1980年前後、日本は、人権に関する諸条約の加盟国となりはじめ、そのことにより、私のような旧植民地出身の外国籍住民の人権に具体的に大きな前進があった。国民年金しかり永住資格しかりである。しかし国際人権規約も人権委員会(当時)も学校では学ぶことなく、人権運動の中でこの言葉を知った。ジュネーブでの国連人権活動は、自分の生活につながっていたとはいえ、本や学習会でのみ知る世界だった。あれから30年…人権のスタンダードを学ぶ環境にいたことを感謝したい。
ジュネーブ4泊、移動含めて1週間という時間では、学んだ知識の量は限られるが、それでもじかに建物や会議の様子にふれ、OMCT(世界拷問防止機構)のような世界的なNGO の関係者などとやりとりできた経験は大きな刺激である。しかも問題意識を持った多様で個性的な参加者と語り合う時間も持てる―だからスタディツアーはやめられない。
参加費を高くしないため、飛行機便は南回りのカタール航空を選んだ。大阪のひときわ厳しい残暑にたらたら文句を行っての出発だった。しかし乗継地のドーハ空港の9月中旬の外気は、わが町よりずっと熱く湿り気がすごかった。待合ロビーではたくさんのムスリムの人たちを見る(当然だが…)。人によって色もデザインも相当違う。帰りのロビーではラマダン明けらしい巡礼の一行もいた。ビニール袋に生活道具がいっぱい入っている。関西空港からジュネーブまでの時間が長かったが(ほほ1日)、興味深い光景に出会えた。
ジュネーブは初訪問の地であった。ツアーの世話係をしつつ、見るものさわるものが新鮮であった。そしてこのツアーが、参加者のみなさまからいい評価をいただいたのは、元国連の人権担当官であり、ジュネーブに長年住む白石所長のネットワークと強力な現地の助っ人である白石和子さんの尽力によるものが大きい。もちろん、人権理事会開催中の多忙な時期に、日本からの訪問者を受入れていただいた訪問先の協力があってこそだ。