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国際人権ひろば No.94(2010年11月発行号)

人権さまざま

人権は法律を超える

白石  理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所 長

国際連合憲章 
前文
「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、」

世界人権宣言
前文
「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、…法の支配によって人権を保護することが肝要である…。」

 2010年のノーベル平和賞が中国の劉暁波(リウ シアオポー)氏に授与されることが決まった。劉氏は中国国内の民主化や言論・宗教の自由などを求めた「零八(08)憲章」を起草した人権活動家である。2008年12月10日(世界人権デー)に拘束され、2009年12月「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年、政治的権利はく奪2年の判決を受けた。2010年2月劉氏の控訴は棄却され判決が確定した。

 ノーベル平和賞授賞決定に際して、ノルウェーのノーベル賞委員会は、劉氏が「20年以上にわたり、中国での基本的人権の適用を唱えるスポークスマンとなってきた」と評価したが、これに対し、中国政府は「劉暁波は中国の法律を犯した罪人である」とし、劉氏に賞を与えることは「賞の趣旨に背き、これを汚すもの」と授賞決定を非難したという。

 このニュースを聞いて思い出したことがある。2010年9月、ヒューライツ大阪が企画したジュネーブ人権スタディツアーで、ジュネーブ州政府の外国人の社会統合のための事務所を訪問したときのことである。そこで、ジュネーブが過去400年外国人に開かれたところであり続けたという話を聞いた。その時に、説明をしてくれた政府のある責任者が「人権は法律を超える」ものだとして、ナチス時代のドイツで、ユダヤ人やその他社会の周辺にいた人々が、法律によって人としての権利をことごとく奪われてしまった例をあげ、このような法律はいかに形式的に文句のつけようがなくとも、決して許されるものではないと人権の大切さを語った。ナチスが政権を取った当初、ドイツ国民は熱狂的にナチスを支持したという。当時最も民主的であるとされたワイマール憲法のもとでナチスは次々と法律を制定した。そうして、多数を占める支持者を動員して、社会の問題の原因を少数者グループの存在に求め、「合法的」にこれらの人びとを社会から抹殺することに向かっていったのである。「人権は法律を超える」。ジュネーブ州政府の責任者から聞くこのことばに、私は大変感銘をうけた。
 中国政府の言い分は、劉氏が中国の法律に違反し、厳正に裁判で判決を下され刑に服している。国家は法律によって「言論の自由」という人権を否定し、制限できる。劉氏は、この法律に反して「国家政権転覆扇動罪」を犯した「罪人」であるというのである。この主張によれば、人権の保障は法律に背かないかぎりという但し書が付いている。突きつめていくと、ナチス時代の法律、人権を剥奪し、人を抹殺することを正当化する法律に行きつく。都合よく法律をつくり、人権を侵害し、「法律に従って厳正に対処したまでである」ということに躊躇もない。

 すべての人が平等に持つ人権と人としての尊厳についての信念は、法律によって初めて認められるものではない。国際連合憲章でも、世界人権宣言でも、この原則はあきらかである。法律は人権をまもるためにあるのであり、法律によって人権が弄ばれるものではないともいうことができる。国連が、その設立以来65年を通して, 築き上げてきた人権の国際基準はこの信念と原則の上に成り立っている。法律でどうにでもできるものは、本当の意味で人権ではない。

 私は、人権が法律によって制限されうるとする考えがあることを忘れているわけではない。世界人権宣言第29条はつぎのようにいう:
1 すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
2 すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
3 これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。

 ここで認められている自由と人権の行使に対する制限とは、民主主義に基盤を置いた社会をまもり、そこに生きる人びとの自由と人権をまもるために必要最小限の制限であって、国家権力の都合で人びとに課せられる制限ではない。「これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない」とは、そのような意味を含んでいる。

 今回の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞は、ノーベル賞委員会がいうとおり「中国での人権を求める幅広いたたかいの最大の象徴になった」とともに、人権がたたかい取られるものであるということの「あかし」でもある。