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国際人権ひろば No.95(2011年01月発行号)

特集 健康の権利を考える Part 2

病気と貧困の連鎖に一石を

髙山 佳洋 (たかやま よしひろ)
大阪府医療監

 公衆衛生の観点から、 病気と貧困の連鎖の解消、 あるいは健康格差の是正に、 一番大きな問題意識を持って、 保健、 医療施策に取り組んできたが、 このことが健康の権利に直結する仕事ではないかと思う。 病気と貧困の連鎖は 「女工哀史」 の時代から明らかにされている現象であるが、 現代では感染症だけではなく、 高血圧や糖尿病、 脳卒中やがんなどの慢性疾患と貧困との関連も明白になっている。 貧困によって生活に追われ、 健康が二の次になってしまい、 これらの慢性疾患に多くかかってしまう。 その結果、 経済的、 社会的な困難に陥って一層貧困になるという連鎖が、 今日でも続いている。 国も地方も、 行政としてこれまで、 きちんと対応してきたとは言えず、 その現象に向き合うことが今後も重要な課題であると思う。

中小企業に働く人の健康—低い大阪の健康指標
 

 大阪府の公衆衛生行政においては、 早くから、 地域住民の健康に貢献するシステムづくりのために、 保健所の機能として、 平均的な府民層よりも困難な状況にいる人びとに向けた予防対策が、 結核対策と合わせて推進されてきた実績がある。 しかしながら大阪府では、 平均寿命や年齢調整死亡率など健康指標が全国と比べて低く、 戦後の高度経済成長の時期に一層低化し、 1985年の時点でワースト1になったことが、 1987年秋に公表された全国統計で明らかになった。 それまでに、 成人病センターや救命救急センターなど優秀な高度専門医療機関の整備が進み、 大阪府の医療体制は一貫して充実されていたのに、 その一方で、 健康指標の全国の中での相対的順位はどんどん低化するという皮肉な現象が進行していたのである。
 実は以前から、 国際的にはすでにプライマリ・ヘルス・ケアの重要性をうたったアルマ・アタ宣言が採択され、 高度医療偏重ではなく、 予防のための社会環境の整備を含むプライマリ・ケア推進の重要性が当たり前のように議論されていた。
 健康指標ワースト1が判明して以来、 そこからの脱却が、 にわかに政治課題としても大きく取り上げられ、 大阪府としても生活習慣病の予防対策を強化するため、 生活に追われる府民層を対象にした対策強化に取り組んだ。 その一つが1989年から開始された中小企業の従業員の健康管理の推進であった。 中小企業の従業員約1万人を対象として、 保健所が直接モデル事業として、 検診を行い、 血液検査や生活習慣の調査などから、 健康実態の把握と啓発を進める事業であった。 この事業により、 大企業で働く人の健康状態や生活習慣、 健康に関する意識などと比較して、 中小企業で働く人の方が、 血圧、 コレステロールなどは高く、 肝障害など健康状態が悪く、 食事など健康に関する意識が低いことが改めて実証された。 従来から指摘されていた通り、 生活に追われて、 自分たちの健康に気を配れず、 病気が悪くなるまで放置するという状況が、 保健所のモデル事業から明らかにされたのである。 保健所では、 労働福祉行政と連携し、 府内全域において各地域の労働衛生関係者も交えた協議の場を設け、 このようなデータを示して労働安全衛生法に基づく健康管理の強化を、 事業主に啓発した。 法律で従業員の健康診断は事業主の責任とされていたが、 従業員50人未満の小規模の事業所では、 報告義務がないため、 当時は健康診断すら実施していないところが多かった。 実は、 勤労者の6から7割の人は、 50人未満の事業所で働いており、 その人々の健康管理の不十分さが、 翻って大阪の中高年の健康状態の悪いことにつながっていた。
 当時も今なお、 全国から見て、 大阪の50才代、 60才代の死亡率は男女とも平均を上回っている。 これらの啓発もあって、 検診率は、 50人未満の中でも事業所の規模の大きい方から、 徐々に上昇していった。 モデル事業を終えた後も、 地域住民のうち国民健康保険の加入層に、 最も零細な企業で働く人々が集中し、 未だ多くが健康管理から取り残されていることから、 現在は市町村国保の法定の特定健診、 特定保健指導事業において、 この層の受診率を上げ、 健康をどう底上げし、 疾病と貧困の連鎖を断ち切るかということに施策の課題は移っている。
 勤労者を対象として実施することに、 法的な義務付けの無いがん検診についても、 大阪府内の地域別にみると、 早期発見率が低い地区が貧困層の多い地区と重なっていることが、 近年明らかにされつつある。 しかしながら、 我が国では社会階層別にみた疾病統計は公的には行われておらず、 かえって背景に厳然とある格差の問題が見えにくくなっている。
 近年、 大阪市を除く大阪府の健康指標は、 ほぼ全国平均程度になってきたが、 大阪市とその周辺地域ではまだ死亡率が平均を上回り、 その原因疾患として肝疾患、 肺がん、 などが多く、 タバコ、 大量飲酒などのライフスタイルや重症化してから医療にかかる傾向などの社会経済的要因が関与していることが推定されている。

古くて新しい結核対策
 

 結核の問題も古くて新しい課題である。 日本は結核の罹患率は先進国の中では高く、 欧米では人口10万人対で5から10程度まで減少してきたのに、 日本は20台、 その中でも大阪市は50と高い。 中でもあいりん地区の罹患率が高く、 感染を減らすためには総合的な対策の継続が求められている。 罹患率は下がってきていたのが、 対策を後退させたため、 10年前にまた反転した苦い経過がある。 しかし、 大阪市ではオリンピック招致のために、 結核対策に本腰を入れるという、 健康とは別の観点から対策は強化されたという。
 結核の治療では、 半年ほど薬を正しく飲むことが必要となる。 これを守れば、 人にうつることもなく治せるが、 途中で中断すると、 周りへ感染を拡げたり、 薬に耐性のある菌ができてしまうこともある。 米国では、 移民や難民、 ホームレスの人を中心に、 感染者を把握し、 目の前で服薬してもらう DOT という方法を用いた、 食事などの支援とともに、 結核の服薬を確実に実行するのを支援するプログラムが導入され、 画期的な成果をあげていた。 そのプログラムが、 罹患率が反転した時期以後に、 強化対策として、 あいりん地区や日本の各地で取り入れられ、 大阪市、 大阪府ともに、 この10年で罹患率が半減するという近代まれに見る予防対策の成功事例となった。 これは感染症に対して、 社会防衛的に感染者を見つけて、 隔離し、 薬を飲ませる、 という方法ではなく、 人権を基盤として、 生活支援と合わせてその人たちの健康をサポートするという方法が、 ホームレスの人びとなど貧困にあえぐ人々を引き留めて、 確実に治療を受けてもらうことが拡がったと言える。
 今後も府・市で協働して、 さらに取り組む必要があるが、 このプログラムは、 行政だけでなく、 市民団体の協力も得て進められている。 府・市の OB も関わる NPO ヘルスサポートおおさかなどは、 治療薬の服薬を衣食住の支援活動と協働して支援を行うなどの有力な新しい活動を展開している。

今後の公衆衛生・予防対策のあり方
 

 保健所は、 市町村と連携して、 特に社会的に援護を要する人びとに一番向き合うことが多い公衆衛生の行政上の拠点である。 しかし、 厳しい行財政改革の流れの中で、 市町村や民間との役割分担が進められる一方で、 行政システムの制度疲労や弊害もあり、 その対象となる人の問題解決の力は弱くなってきたとの指摘がある。 一例ではあるが、 自閉症・発達障害支援の施策について、 支援センター機能を保健所が担う手法をとらないで、 社会福祉法人に委託して取り組んだ例があった。 後日、 どのような取り組みが行われているかを知る機会があったが、 受託した法人では、 各分野の専門家が一緒に取り組み、 人数や予算が少ないながら、 対象者の年齢に応じた課題の設定、 地域の人材養成にあわせた支援体制を構築し、 見事なプログラムを実施していた。 短期間での、 このような柔軟な取り組みは、 行政組織ではどこまでできただろうかと深く考えさせられたことがある。
 社会的援護の必要な人々に対する施策の分野で、 行政としてお金や人手について、 後退させることは決して許されないが、 近年、 その事業形態については、 行政主導ではなく、 社会的企業 (ソーシャル・ファーム) のような形を取り入れたり、 役所の限定された範囲を超えて、 もっと外部から、 新しい考えや動きを取入れていく必要性を感じることが多い。 市民団体の方でも、 行政を批判したり、 要求するだけではなく、 行政を巻き込みながら、 新しい活動の形を模索している動きが現れてきている。 病気と貧困の連鎖を断ち、 健康、 さらには命を支えるためには、 衣食住、 環境、 労働、 衛生などさまざまな分野の生活全般に関わるインフラをつくることが求められる。 行政の縦割りや単純な仕組みではこれを支えることはできないことも自明の理である。 関連する人たちと一緒に素直に問題に向き合い、 そのためのコスト負担のあり方も、 みんなでコンセンサスを形作っていくということが求められているのではないか。  
 今日我が国は、 国民皆保険制度のもとで世界でも最高の長寿国となったが、 生活の質の向上は伴っているだろうか。 健康格差はむしろ拡大しつつある。 高齢になり、 それまでにあった社会の絆が断たれ、 孤立感を感じている人が多い 「無縁社会」 という危機も到来しつつある。 また、 高度延命治療への偏重で、 たとえ存命したとしても、 その後の生活を支える制度が追いついていない。
 社会のあり方として、 北欧のような福祉型モデル、 米国のような競争型モデルとセーフティネットがあるとすれば、 日本はその間にあり、 日本型モデルを模索している時期ではないかと思う。 日本は、 敗戦後の極貧の社会から、 平和憲法のもとで奇跡的な復興をとげ、 今日では世界に誇れる安全で安心な社会を熟成してきたことも歴史的事実である。 我が国は、 独自のモデルをつくれる大きな潜在的可能性も持っていると信じている。
 国民皆保険制度のほころびを直して、 内外の新しい社会運動のアイディアや潮流を取り込み、 暖かい優しい絆をつないだ日本型社会モデルをつくる公衆衛生の新しい風をつくこと、 そのことによって病気と貧困の連鎖を断ち切ることをライフワークにして頑張りたいと思う。

注釈
 1978年9月、 旧ソ連カザフ共和国のアルア・アタで開催された、 WHO、 ユニセフ主催のプライマリ・ヘルスケアに関する国際会議で採択された宣言。