人権さまざま
世界人権宣言
第16条(婚姻と家庭)
1.成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。
2.婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。
3.家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団巣位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。
第23条(労働の権利)
1.すべての人は、労働し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な労働条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。
2.すべての人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の労働に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。
3.労働する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保護する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
4.すべての人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに加入する権利を有する。
「婚活」という言葉をよく聞くようになった。「結婚活動」の略称だという。かつてはお見合いというものがあって、本人ではなく親、親戚、勤め先の上司、隣近所の人、その他の知り合いなど周りの人が結婚相手の話を持って来てくれた。「結婚を前提としたお付き合い」があって、本人同士がお互いに納得すれば結婚が決まるというのが筋であった。もちろんお見合いではなく出会いがあって恋愛結婚ということも普通にあった。余計なことであるが、私の場合は、自分で決心して親に打ち明けた。親には「だめ」という余裕を与えなかった。
もっと昔、私の親の世代の結婚は、お見合いをしても互いに口を聞かず、仲人という結婚仲介のために労を取る人を通して親同士が話をまとめたということを聞いた。結婚は個人と個人の合意というよりも、家と家の結びつきという色が濃かったのである。
今は本人が結婚相手を探して奔走する時代であるという。自分にとって好ましい結婚相手を探せないという人には、出会いの場を作る商売まである。互いに自分の希望を条件として出しての相手探し。この条件が曲者である。外見的な魅力であったり、経済的安心であったりすると、幸運な出会いはなかなか難しい。「人を大切に」という人権の本筋から言うと、相手を自分の願望を満たしてくれる「品物」と見るのではなく、あくまでも「人」として見なくてはいけない。自分も含めて、一人ひとりが、かけがえのない、尊厳を持つ「人間」なのだから、それぞれの人となり、生き方、信念など、その人の「その人らしさ」をありのまま見ることが大切ではないか。
世界人権宣言は、「成年の男女は、…婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する」、「婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する」というだけである。それは、人には、結婚する権利があり、結婚を強制されない自由がある、ということ。
親しい相手がいても結婚しないという人もいる。理由はいろいろあるらしい。結婚したいと思わないという人も勿論いるが、結婚しても、経済的に苦しい、安定した職がない、幸せな結婚生活、家庭生活の見通しが立たない、子どもを産み育てる自信がないなど、人によって事情は異なる。共通しているのは安心できる生活環境がないということであろうか。生活設計にリスクは取れないということか。
私の結婚観を「結婚の権利」に刷り込むつもりはない。それぞれの人が自分に合った生き方をして幸せになればそれでよい。
もうひとつ、標題にある「就活」、これは「就職活動」の略である。近年、新規卒業者の就職難が社会問題として取りざたされている。大学生の場合、3年次には就職のために準備を始める学生がいるといわれる。「条件の良い」企業には希望者が多く集まるが、採用される人数は限られている。景気が落ち込み企業の新卒採用数が減ると、希望する就職はままならない。大学4年の終わりに近づいても就職が決まらない人が増えるということになる。但し、これは名の通った企業への就職の話らしい。さる大学の先生から、中小企業には行きたがらない学生やそんな就職に反対する親が多いと聞いた。私の知人で中小企業の社長は、「うちには学生さんが訪ねてくることはまずないね。」と言っていた。理由は、安全、安心志向だという。会社が潰れかけたら国が救済してくれるところなどは理想的な就職先か。これも将来の生活を考えてのことであろうか。リスクは取りたくないというのが本音。
世界人権宣言は、働く者の権利として、自由に職業を選択できること、働くことによって人としての尊厳を保てる生活ができる手だてを求める。企業という大樹に頼るばかりではない生き方ができる、自分が生き生きと働ける、人間らしい生活ができるという理想を現実にすることを求める。
現実には「ブラック企業(入社を勧められない劣悪な労働環境の企業)」でひどい目に会う人がいる。仕事を選ぶ、あるいは企業を選ぶ前に、自分がどういう生き方をしたい、どういう人間になりたいと考える余裕はないというのが現実であろう。人権を実際に使える人は案外と少ない。