ヒューライツ大阪からの報告
「International Conference on Propagation and Implementation of the Idea of Human Rights」(人権の理念の伝播と実現についての国際会議)参加報告
2010年12月3日~5日、台湾・台北で開催された国際会議に、筆者は、白石理・ヒューライツ大阪所長とともに報告の依頼を受けて参加した。参加者は、主にアジアの人権教育関係者であった。主催者は、台北市立師範大学教育学部と付属の人権教育センター、東呉大学張佛泉人權研究センターで、共催団体として、「人権教育アジアネットワーク(theAsianNetworkforHumanRightsEducation)」、台湾外務省などの政府機関、台北人権アドバイザリー・グループなどが名を連ねた。
この会議は、ユニークなプログラムが目白押しであった。芸術作品を通じて人権を議論し、国際結婚で台湾に来た女性たちが自分たちの生活を劇にして発表した。人権ゆかりの地めぐりもあった。
「人権教育アジアネットワーク」は最近結成された組織で、台湾、日本、香港、東南アジアの研究機関やNGOが加盟しているが、メンバーが参加し、各国での彼らの活動が報告された。台湾の大学の人権について、現場で関わっている教員にもっと議論に加わってもらいたいという意図で会議がすすめられた。会議は、台湾が自由権規約と社会権規約を受入れて1周年の時期と重なった。「受入れた」というのは、国連では台湾は中国の一部であるとされ、独立国としては認められていないために国連の人権条約に加わるのは中国であり、台湾は加わることはできないという事情による。台湾はこれらの人権条約を自主的に守るべき規範とすると宣言したのである。
主催者の期待は、既に二つの規約に加わっている国の経験を分かち合うことによって、規約の国内受容に役立てるということであった。このテーマに関して台湾、カナダ、日本、香港からの参加者の発表があった。
台湾の報告は、法律司法関係者に対する研修が実施されているが、犯罪事件での公正な裁判をどう確保するかについてであった。検察と判事は立場が違うのに、同じ機関で研修が行われている。こうしたやり方は、研修参加者の間でのつながりを生み、検察が起訴する刑事訴訟では、判事が有罪判決をくだしがちになるようだ。こうして「疑わしきは罰せず」ではなく、「疑わしきは有罪」となる。
これに続いて、香港、中国大陸、台湾、日本の人権教育関係者や民間の人々が発表をした。例えば、HIV/エイズの問題や先住民族などマイノリティのグループに関わる人権教育や直面している人権問題が報告された。学校教育関係者は、人権を学校のカリキュラムに統合する際の問題や学校という環境にまつわる問題について話した。
写真:国際結婚で台湾に来た女性たちによる劇
文化・芸術に関わるプログラムでは、中国や台湾の詩人が、さまざまな人権侵害(政治的抑圧から経済的混乱まで)の苦難の経験を表現する詩を読んだ。
画家たちは、政治・経済・文化の問題を提起する芸術作品を展示した。主催たちはこうした文化を評価した。配布資料に「―人々の本当の日々のくらしの再現は、必然的に人権の考えを促進することに役立つ。さらに、生き生きとした多様な芸術的な作品は、しばしば感動することのない人々の心に共感を生み出して感動を呼び覚ます。多くのすばらしい芸術作品は、数え切れない魂の深みに触れながら、深く、鋭くマイノリティの苦難を表現する。それゆえに、芸術の創造は、人権の考えを促進し具体化するのに、無視できない力である」。
会議のハイライトは、1日かけた人権博物館、人権ゆかりの地めぐりであった。景美人権記念文化公園は、以前は政治囚の刑務所であった。案内人の一人は、かつてそこの政治囚で、彼は、自分は無実だと言っていた。博物館では、写真や政治囚を収容していた刑務所の資料や死刑判決文なども展示されていた。囚われたのは、知識層や芸術家など様々な背景を持った人たちだった。監房も再現され、取調べ室が残されている。博物館の一角に世界人権宣言が展示されていた。
台湾総統府の近くにある1960年代から80年代までの政治的に抑圧された犠牲者の記念碑も見た。台湾政府は、さらに人権博物館を作っている。それは「人権の歴史資料を保存し、人権教育を行い、人権侵害の歴史をふりかえる」ためである。
会議では、アジアにおける人権と人権教育の全体的な状況の改善のために一層の活動が必要であることが強調され、それをうけて、「人権教育アジアネットワーク」のメンバーは、会議の合間にネットワーク化のために話し合った。
この会議はマスメディアの関心が集まり、台湾で広く報道された。
(翻訳:朴君愛)