特集 東日本大震災と人権
ゆめ風基金は阪神大震災の時に、被災地の長期支援を主とした目的に設立された。まだ同時に考えたこととして、今後あってはならないものの、もし同じような災害が起きた時には全国から受けた支援をきちんとお返しすることも目的に入れていたのだ。そんな中、私たちの想像とは裏腹に近年自然災害が数々発生し、そしてこのように阪神大震災を超える大きな災害が発生した。
震災直後より大阪のネットワーク、東京のネットワークなど阪神大震災で繋がった仲間がより一層広がりを見せて、東北関東大震災救援本部がすぐに立ち上がった。
そして3月18日には福島の現地支援センター立ち上げを地元団体と行い、宮城では3月31日に、岩手県では少し立ち遅れ、4月12日に現地支援センターを立ち上げた。
これまでの災害も、そして今回のような大規模な災害でさえも避難所にはほとんど障がい者がいない。体育館のような避難所には行けないと、自宅に留まる障がい者や親戚宅に身を寄せている障がい者が非常に多いのだ。さらに東北地方は仙台を除き、施設入所者が非常に多く、ふだんからヘルパー利用をしながらまちで暮らす障がい者が少ないという特徴がある。
そのような中で、「いろんな人とつながりをつけて、しんどい思いをしている障がい者を見つけ、個人レベルの支援に重点を置くこと」を方針とした。地域性の違いも支援における大きな要素ということで、地域の情報を地区カルテにまとめ、安否確認を進めつつ、個人の情報は個人台帳にまとめながら、二つの情報を元に物資やヘルパー派遣などの支援を続けた。
障がい者の場合、災害前に抱えていた問題が、災害によってより鮮明になることが多い。ヘルパーを利用しないで頑張っていた障がい者やその家族が、誰にも存在を知られないで倒れそうになっている事例に出会う。日中活動をしているところでも、小さな拠点ほど被害が大きく、つながりが弱いために支援を受けられていないことが多い。
過去の災害支援の経験から「大丈夫ですか?は、いけない」と感じていた。安否確認の時に「大丈夫ですか?」と聞いても「命が大丈夫だった」という意味で「大丈夫」と答えてしまう人がほとんどで、「困っていることがない」という意味ではないのだ。実際に障がいを持つ子どもとお母さんが親せきの家に身を寄せたものの、その生活が長期になり、親戚からも辛い言葉をうけるようになってノイローゼになり入院した事例があった。1ヶ月も風呂に入れていない人がいた。精神障がい者でありながら、体育館での避難生活が続いている人がいた。
相手が困っているということを言い易くする事、またその困っているにこたえられるような支援をこちらがすぐに提供できるように、日中だけでなく、寝泊りもできるような、「障がい者の駆け込み寺」が必要だと感じた。
宮城で拠点となっている仙台からは県の南や北へ行くのに、時間がかかりすぎてしまう。逆に南の山元町や、北の南三陸・石巻などは被害が大きく、素早い対応が必要であるため、南は亘理町に、北は登米市に新たな拠点を作った。岩手でも拠点の盛岡から沿岸部へ行くためには、かなりの時間を要するため、沿岸部に近い遠野に拠点を作った。今後はこれらの拠点をもとに、被害の大きかった地域へ重点を置いた支援を行う予定だ。
被災地の支援活動も6月に入って明らかに変化が起きている。3~4月の緊急な支援活動と違い、今は仮設住宅への入居に伴って、生活を豊かにするための物資や生活支援などに変わってきている。
今後は阪神大震災の時の支援活動を参考に震災後の2年を4期に分けて活動する方針である。
第1期は災害発生後から仮設住宅建設が始まるまでの、緊急な支援活動をおこなった時期。
第2期は仮設住宅建設が始まり、ほとんどの人が入居を終えた時期。
第3期は仮設住宅の入居が完了し、震災後1年目を迎えるまでの時期。
第4期は震災後1年目を迎えてから2年目を迎えるまでの1年間で、復興住宅へ避難者が移るまでの時期だ。
第1期の特徴は避難所に避難している障がい者が少ない中で、在宅になっている人も含めて、障がい者の安否確認をどのようにして行うか、また出会った障がい者家庭に福祉機器、医療機器、生活物資などを届けるとともに、医療機関への送迎サービスや避難所などにヘルパー派遣などを行うもので、緊急な支援が必要で、対応のスピードが優先された時期だ。
第2期になると仮設住宅の申請手続きや、仮設で必要なものを提供すること、またグループホームなどに閉じこもって居た人などからは、買い物など外出サービスなどのニーズが出てきた。
親戚の家に身を寄せていた人も、仮設住宅に移ってくるので、この時に新たな障がい者の方に出会うことが考えらている。
8~9月には第3期の活動に移行する。この段階では障がい者世帯を探すような安否確認はせず、第1期、第2期で出てきたニーズに応えるとともに、県外のボランティア支援から県内のボランティアにバトンタッチしていくことになる。また災害時の支援として何が足りなかったのかなど検証をし、1年のまとめをしていくことも必要だ。さらにイベントをはじめいろいろなプログラムを企画し、さまざまな障がい者の交流を深めていく。
東北の特徴のひとつにふだんからヘルパー利用をしてまちに出て行く障がい者が非常に少ないということがある。社会福祉基盤が弱く、ヘルパーサービスなど訪問系のサービスがほとんど存在しないのだ。被害の小さかった盛岡市でも障がい者の人たちが町で出歩く姿をほとんど見かけることがない。
そのため被災障がい者だけでなく、被災しなかった地域の元気な障がい者にも出会いを求め、当事者を中心にあらたな福祉のまちづくりを目指したいと考えている。
陸前高田市ではすでに障がい者家庭の全件調査を終えているものの、私たちにつながなければならない支援は1件も上がってこなかったといわれた。しかし本当にそうなのかと大きな疑問を感じている。今は仮設住宅への入居が始まり、私たちのところに相談が持ちかけられてくることが増えてきた。色々な障がい者団体が被災地に入り込むものの、多くは調査が主体になっているため、個別支援を具体的に行っていることにとても驚かれている。
確かに阪神大震災ではサービスを必要とする障がい者を地元のサービスに結びつけることで解決したが、ここには結びつける相手が不在だ。だから自分たち自身でサービスを提供するしかない。
大阪だと街を出歩いている障がい者が東北では「重度」だからと決めつけられ、家庭に引きこもっている姿が何件もある。
ここに必要なのは、福祉の知識を持つ健常者だけではだめだ。障がい当事者こそ支援の担い手になって、岩手県の障がい者たちに声をかけていくべきだということを痛感している。現在、全国自立生活センター協議会(JIL)を中心に障がい当事者を被災地に派遣してもらい、沿岸部の障がい者自身の力をつけていく取り組みを進めている。
最後にゆめ風基金の支援の特徴として、長期の支援をしていくことがある。
個々での災害と地域性を考えると、5年、10年といった長期にわたる支援の中で、新たな福祉の息吹がようやく出てくるような気がしている。
都心部とは違った東北らしいやり方を尊重し、息長く寄り添っていくことが必要だと感じている。
仙台市太白区の一般避難所
「被災地障がい者センター」(みやぎCILたすけっと)の障がい者(写真手前)が行
ってみたが、避難生活もおぼつかず、急遽「CILたすけっと」の事務所に避難する。
「CILたすけっと」にて、コーディネートの協議(写真右が筆者)
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