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国際人権ひろば No.99(2011年09月発行号)

特集 平和への権利

「平和への権利」が提起する新しい人権観

武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで)
ヒューライツ大阪会長、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長・客員教授

1.新しい人権、「平和への権利」の内容

  2011年6月の人権理事会で、「人民の平和への権利の促進」決議(決議17/16)が採択された。提案国はキューバであったが、この決議は、主に南の開発途上諸国の賛成32票に支えられ、米国やヨーロッパ、日本など主に先進工業国の14票の反対投票はこの決議の採択を食い止めることができなかった。この決議は、諮問委員会に、2012年6月開催予定の人権理事会第20会期に人民の平和への権利宣言草案と報告書を提出するよう要請し、人権高等弁務官にその作業への協力を要請し、現在(2011年8月)「平和への権利」宣言の報告書案の審議が続いている。
 この審議中の「平和への権利」のたたき台になっているサンティアゴ宣言をもとにして、この権利の概要を要約しよう。同宣言は、この権利を確立することの様々な根拠を列記した前文と、「平和への権利」を構成する諸要件について詳細に規定している12カ条の権利規定によって構成されている。前文では、まず「平和への権利」の確立の必要性について、国連総会はじめ地域機構などでの決議という国際法的な根拠、平和文化の伸長と平和教育、平和確立における女性の貢献など、「平和への権利」確立を支える前提条件を列挙して、平和がすべての文明が共通に希求している目標であることを強調している。その一方で、近年、平和を犯す組織的な暴力の展開、戦争奨励の宣伝流布、傭兵による戦争の市場化などに触れたうえで、とくに難民や移住者たちなど平和に生存できない人間集団の存在が「平和への権利」の確立を必要としていることを強調している。
 この前文のなかでも、新しい人権理論の根拠として、「生命の権利」から「平和への権利」が流れ出てくることを主張している点が注目に値する。「アジア人権憲章」1にもりこまれているこの主張が、サンティアゴ宣言でも「平和への権利」の理論的な根拠になっていて、西欧啓蒙思想期にでてきた「思想・信条の自由」とは異なった論理構造をとっている。後述のように、国家と個人の契約に基づく古典的な人権に対して、「平和への権利」は、人間が生態系のなかのすべての生命体とともに多様なアイデンティティをもった形で「平和に生存する」という契約以前の宇宙的な視座に立っているのである。
 サンティアゴ宣言は、この前言に続く本文において、「平和への権利」の主体としての人間個人、集団、人民と、この権利によって義務が生ずる国家を対置している。[第1条]こうすることで、「平和への権利」は、すべての国家と、その活動の結果、平和に暮らしている状態を破壊される個人・集団・人民と国家の間に契約はできなくとも、少なくとも安全保障に関する共通の理解を成立させようとしている。この共通理解を進めるのに、平和教育の権利が主張され、[第2条]その根底として、日本が国連で唱導してきた「人間の安全保障」の権利と安全な環境権がある。[第3条]そのうえで、発展権と持続可能な環境の権利が主張される。[第4条]そのうえで、自分の平和な生活を脅かす国家に対する不服従権、[第5条]一切の抑圧への抵抗権、[第6条]軍縮の権利(これは日本国憲法9条2項に対応する)、[第7条]思想の自由、(これは個人のみならず移住者コミュニティなどの人民を含む)[第8条]亡命と移住の権利、[第9条、第10条]すべての被害者の権利、[第11条]などが規定されて、とくに脆弱な状況に置かれている集団が「平和への権利」の主体であることが特記されている。[第12条]
 この新しい人権は、個人・集団・人民などが、自分たちの内発的な努力によって、環境をも配慮しつつ平和に発展していこうとしているところに、国家、国際機構など外部の権力機構の圧力によって、平和に生存できない状態が生まれる事に対する反対の権利である。特に弱い立場にある主体(個人・集団・人民)がそのような介入を否定する権利を持つ点で、今日のグローバル・ガヴァナンスの強大国中心の介入主義への弱者の権利確立を狙っている。 

2.人権の歴史の中の「平和への権利」の位置

 このようなわけで、現在、人権理事会で審議されている「民衆の平和への権利」は、人権の思想史の中で、新しい一歩を踏み出す可能性をもった「権利」を主張するものである。その新しさは、特定の歴史地理的、社会文化的な状況の中で、一定の人間、とくに脆弱な立場にある人々の「個人、集団、人民」が、自分の意志に従って、自分の生活を平和におくる事に対する、国家などの権力主体による介入を排して、脆弱な諸集団の内発的な選択を擁護する「権利」概念である。その点で国家と市民の契約法としての人権と異なる法源(前述の生命権)に基づいているといえよう。
 もともと、西欧における「啓蒙思想」のもとで、形成された「人権」概念は、国家と市民との間で、市民が一個の個人として持っている普遍的な権利を承認する契約として成立した法理念である。その古典的な例は、フランス革命当初、フランス「憲法制定国民議会」によって採択された「人間と市民の権利の宣言」である。この宣言は、「人間」と「市民」を同等の権利主体としていた。つまり、国家との安全契約を結んだ「市民」は、国家以外の一切の武装団体を解体することと引き換えに、国家による安全の保障を受けることにした。一般に「人権」は、16世紀のウェストファリア条約で成立した国家と市民との「安全保障」契約のもとで成立し、今日まで育ってきた考え方である。この「安全契約」は、宗教戦争の血で血を洗うカトリックとプロテスタント、さまざまな軍事集団、国家以外の封建領主、自由都市、修道会などの間の乱戦状態に終止符を打つために大変効果的な国際安全保障の体制を西欧諸国のあいだにつくりだしたのである。これら、国家と個人の中間に介在していた合法的な軍事力と警察力を備えていた国家と個人以外のいわゆる中間団体を合法的な「安全共同体」として認めない代わりに、特定の国家の市民として、その国家によって安全に暮らすことができる保障をしてもらうことになったのである。フランス革命時に成立した「人権宣言」は、当然、国家との安全契約を結んでいる人間である「市民」として宣言が当てはまる「人間」を捉え、これを「市民」と規定している。ところで、この例にある安全契約は、「文明」国とその市民との間でのみ成立し、非西欧諸地域諸国とその国民や米欧諸国と非西欧地域からの移住者との間では、今日でも成立していない。
 ウェストファリア条約のもとで西欧文明諸国の間に成立した国家間の勢力均衡に基づく「国際平和」(その実は「文明国」間の平和)は、非西欧諸地域での植民地競争という安全弁のおかげで欧米諸国のあいだに成立していたことを忘れてはならない。当時キリスト教の宣教活動が非西欧諸国の植民地化の口実となったが、今も民主主義と人権を、南の「非民主的」な諸国に外発的に採用させる介入で、その国の資源を支配しようとする新植民地主義が横行している。
 明治維新とともに成立した日本近代国家も、この人権よりも国権を重視する富国強兵政策を推し進めた。そして、自らも植民地支配国となることで、日本が植民地化されることを未然に防ぐ「対抗的植民地主義」を採用した。しかし、第二次大戦に敗れた日本は、その植民地侵略への反省を基にして、その新憲法の前文に、世界諸国民の「恐怖と欠乏を免れて平和に生存する権利」を認めたのである。
 「平和への権利」も、一定国家とその市民との安全契約のもとでの「人権」ではなく、日本国憲法前文の「平和的生存権」と同様に、平和な状態をより強力な外部勢力によって犯されない権利であるということができる。つまり、米欧植民地旧支配国であれ、これと対決する非西欧地域の国権中心・人権軽視の国家権力であれ、国際的な覇権勢力であれ、強い立場の軍事的・政治経済的な主体による外部からの圧力に対して抵抗する権利、内発的な環境保全と発展を妨げられない権利を主張する「人権」である。要するに、一切の外発的な圧力による「平和的な生活の権利」の侵害に反対するポスト・ウェストファリア型、反植民地主義型の「人権」概念なのである。「平和への権利」を理解するためには、このことを確認する必要がある。伝統的な「人権」を確立しようにも、国家と市民との安全契約は、人道介入をする米欧人権先進国と介入される人権後進国人民のあいだでも、国権中心主義を採用している非西欧諸国の内部でも、成立する状態にはない。しかも、米欧諸国の市民間の安全契約が普及している西欧諸国でも、新しく移住してくる非西欧諸国からの難民や移住労働者に、安全契約を成立させにくい西欧中心主義が支配している。そのような状況下では、強大な国家や国家連合が、その権力が及ぶ範囲内に生息している人々、(個人であれ、集団であれ、「人民」であれ、)に対する「平和的な生活」を犯すことを禁止する「人権」を成立させる必要がある。「平和への権利」は、グローバル化した世界の複雑な現実の中で、生まれざるを得ない状況のもとで生まれた新しい「人権」であるということができる。 

1.「アジア人権憲章とは」ヒューライツ大阪ウェヴサイトhttps://www.hurights.or.jp/archives/asian_human_rights_charter/ を参照。