特集 平和への権利
筆者は、8月8日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会諮問委員会第7会期において、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)の代表として、平和への権利国連宣言起草に関連して発言した。発言前半は、イラクへの自衛隊派兵を憲法違反と判断した2008年4月17日の名古屋高裁判決の紹介である。平和的生存権に関する日本の情報が知られていないので、積極的に紹介していく必要がある。発言後半はピース・ゾーンについて、日本で取り組んでいる無防備地域運動、27ある軍隊のない国家、軍隊のないオーランド諸島(フィンランド)を例にして「ピース・ゾーンをつくる人民の権利」を訴えた。軍隊のない国家と軍隊のない地域、憲法9条とジュネーヴ諸条約第一追加議定書59条、国際人道法と国際人権法を組み込んだ発言である。
他のNGOは、国際平和メッセンジャー組織(カルロス・ビヤン・デュラン)、国際人権サービス(アルフレド・デ・ザヤス)、国際民主法律家協会(笹本潤)、国際良心・平和税(デレク・ブレット)が、それぞれ平和への権利国連宣言の内容を充実させるために発言した。
今回発言した政府は、アメリカ(反対意見)、ボリビア、キューバ、パキスタン、コスタリカ、アルジェリア、ウルグアイ、モロッコ(賛成意見)であった。
委員による審議では、最初に、報告書を担当したウオルフガング・シュテファン・ハインツ委員が「進展報告書」(A/HRC/AC/7/3)のプレゼンテーションを行い、草案起草過程を説明するとともに、草案の概要を紹介した。報告書には、人民の平和への権利国連宣言の第1次草案が収録されている。これまでずっと議論が行われ、NGOはいくつもの宣言を発表してきたが、国連公式機関レベルで草案がまとめられたのは今回が初めてである。NGOが提案したサンティアゴ宣言からいくつもの条項が取り入れられている。
国連は1984年に平和への権利宣言を採択している。しかしその後、世界は大きく変わった。第1に、ソ連東欧圏の崩壊により東西対立に終止符が打たれた。第2に、21世紀になって、残念ながらアフガニスタン戦争やイラク戦争のような戦争が世界を震撼させ、各地で内戦や民族虐殺やテロが続いている。
2000年頃から、国連人権委員会で平和への権利をめぐる議論が始まった。それが国連改革後に人権理事会にも引き継がれた。
2005年、スペインのNGOスペイン国際人権法協会が結成され、平和への権利宣言を求める運動を開始した。2006年、スペイン国際人権法協会は「ルアルカ宣言」を採択し、これをもって各国政府やNGOに働きかけた。その後、「ビルバオ宣言」「バルセロナ宣言」を経て、世界の900ものNGOが結集することになり、2010年12月、多くの専門家やNGOの協力を得て「サンティアゴ宣言」に結実した。
国連人権理事会では、キューバが先頭にたって平和への権利の議論を本格化させた。2008年決議によって、いよいよ平和への権利宣言への具体的歩みが始まった。2009年決議は、専門家ワークショップの開催を要請し、同年12月、人権高等弁務官事務所主催で専門家ワークショップが開催された。
議論をリードしたのは、キューバを初めとする「第3世界」諸国であり、ロシアと中国も賛成し、人権理事会47カ国のうち30カ国以上が賛成している。これに対して、強く反対しているのがアメリカ、EU諸国、日本である。日本政府が決議に反対していること自体、国内で報道もされないし、全く知られていない。日本国憲法前文は世界で唯一、平和的生存権と明記している。憲法第9条は戦争放棄と軍備撤廃を掲げている。日本政府こそが平和への権利宣言づくりの先頭に立つべきである。
2010年決議は、諮問委員会に対して平和への権利の概念の検討と、宣言草案の作成を要請した。これを受けて専門家による諮問委員会は、2011年1月の会期で平和への権利をめぐる議論を開始した(以上について詳しくは、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に』かもがわ出版、2010年参照)。
諮問委員会は、2011年4月に平和への権利に関する最初の報告書を作成し、同年6月に開催された人権理事会に提出した。報告書は、平和への権利に関連する国際法や各国の経験をリサーチし、基準を定立する試みであった。同年6月の人権理事会決議を経て、上記のハインツ委員による報告書がまとめられることになった。
なお、この間、2009年頃から、国際人権活動日本委員会(JWCHR)、日本国際法律家協会(JALISA)/国際民主法律家協会(IADL)、反差別国際運動(IMADR)など、日本関連NGOもこの運動に加わった。スペイン国際人権法協会と協力して、国連欧州本部でワークショップを数回積み重ね、人権理事会や諮問委員会でも発言を繰り返してきた。現在、日本国内にこの運動を広めるために、平和への権利国際キャンペーン実行委員会も発足している。
ハインツ草案は全14条である。項目だけ紹介すると、
第1条(諸原則)
第2条(人間の安全保障)
第3条(軍縮)
第4条(平和教育と訓練)
第5条(良心的兵役拒否)
第6条(民間軍事警備会社)
第7条(抑圧への抵抗と反対)
第8条(平和維持)
第9条(発展)
第10条(思想、良心、表現、宗教の自由)
第11条(環境)
第12条(被害者および傷つきやすい集団の権利)
第13条(難民と移住者)
第14条(義務と履行)
各条文は複数の項目から成り、項目は全部で47もある。
委員、政府、NGOによる議論の焦点となったのは、
第1に平和への権利の性格
第2に手続き論・入口論
第3に監視メカニズムの設置問題
である。
第1の平和への権利の性格とは、個人の権利だけでなく、人民(集団)の権利という問題である。アメリカ政府や日本政府は、権利は個人のもので集団の権利は認められないと考えている。しかし、人民の自決権、発展の権利、環境権など、すでに集団の権利はいくつも認められてきている。
第2に手続き論・入口論とは、「平和問題は人権理事会で議論するテーマではなく、安保理事会マターである」という意見であり、アメリカ、EU、日本がこう考えている。坂元茂樹委員は、世界人権宣言第28条を手掛かりとして、平和な国際秩序は世界人権宣言ですでに対象とされていたのであって、現在いっそうのこと人権としての平和を議論するべきであり、人権理事会に相応しい議題だと発言していた。
第3の監視メカニズム問題とは、履行状況を監視する機関・制度は条約でつくるものであって、宣言で監視メカニズムは設置できないという問題である。NGOは監視メカニズムをつくれと主張してきた。今回のハインツ草案は、監視メカニズムについて議論を継続するべき、というにとどめている。
最後に決議が採択された。諮問委員会は来年2月の会期で第2次草案の検討を行い、6月開催の人権理事会で本格審議が行われる。
平和への権利国際キャンペーン実行委員会では、運動の中心を担っているスペイン国際人権法協会のメンバーを本年12月初旬に日本に招請して、名古屋、大阪、東京などで公開集会を開催する予定である。国連人権理事会の動きを日本に伝えて、日本における平和的生存権の議論を活性化させるとともに、日本で積み重ねてきた平和的生存権の法理論を国際社会に伝えていくことが重要である。本来なら日本政府が推進役になるべきテーマであるのに、日本政府は反対している。平和運動が協力して、平和への権利国連宣言を実現できるよう、2012年2月の諮問委員会での議論、同年6月の人権理事会の議論に加わっていきたい。