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国際人権ひろば No.99(2011年09月発行号)

特集 平和への権利

核兵器と平和への権利

Steven Leeper(スティーブン・リーパー)
公益社団法人 広島平和文化センター 理事長

平和への権利と世界の現状

 世界人権宣言には、「すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と明記されている。この宣言は、地球社会が、決して再びあのような凄まじい戦争の惨禍を味わうことがないようにとの決意を込めて、第二次世界大戦後に採択された。平和への願いは宣言全体に脈々と流れているが、「平和への権利」とは、一体、何を意味しているのだろうか?
 今、この時点で、この地球上では戦争はない。もちろん、正式に宣戦布告された戦争がないという意味だ。他方で、世界各地では紛争が続発し、人類は、絶えず核による絶滅の脅威にさらされている。このまま世界人口が増加し、米国の覇権主義に影がさし、環境破壊が進み、食物や石油の価格が高騰し、貧富の差が広がり続ければ、第三次世界大戦の足音は次第に近づいてくるだろう。この戦争を全力で阻止しなければ、平和への権利はもとより、われわれが手に入れようとしているすべての権利が、放射能の煙の中に消えてしまうことになる。

国際法に無関心なリーダーたち

 この戦争を阻止するためには、まず、「戦争を企てる富と力のある人々は、世界人権宣言に掲げられた条項に、あるいは国際法にすら、まったく関心がない」ということを考えなければならない。彼らは「利益」と「力の評価」、言いかえると、あまり損をせずにほしい物を手に入れる能力に基づいてすべてを判断するのだ。
 米国は、今日、世界最強の国であるが、自国に都合が悪いと見るや、どのような法律も無視しようとし、力のある他国の反応を気にはするものの、国益をかけて、思い通りに単独で行動することが多い。どこの国でも、実際に外交政策を決定する人たちは、国際法や人権というものを単なるプロパガンダの方便とみなしがちで、必ずしも国の意思決定に反映されないこともあるようだ。
国民の合意形成が国を救う
 次に考えなければならないことは、あらゆる国のすべてのリーダーは、被統治者の合意形成があってのみ国を治めることができるということだ。民主的プロセス、暴動、あるいは消極的抵抗のいずれによってにせよ、政府からの協力を引き出すために、国民が一致協力すれば、国民は政府をコントロールできるのだ。まさに今、中東で見られるように、少なくとも国民の消極的協力なしに、政府は存在し得ないのだから。政府が、国をコントロールするために容赦なく自国民を殺害しているシリアでさえ、国民に死を受け入れる覚悟があれば、国民が勝利を収めることを見せている。 

暴力を否定することが平和への道

 人類が平和への権利を手に入れたいのであれば、その権利を要求し、その権利をわれわれに渡そうとしない人々から奪い取らなければならない。平和を勝ち取るための道は一つしかない。それは、目的が何であっても、すべての暴力を否定することだ。
 例えばロシア、あるいは米国が、日本を侵略する機会をねらっているとすれば、あなたは日本を守るために武器を手にしようとは思わないだろうか? 多くの人が、この質問にはためらいなく、「祖国が攻撃されれば、戦う」と答えるだろう。悲しいかな、やはりこれが大多数の意見であるに違いない。それは、日常生活の中で、主に映画やテレビによって、不当行為に対して暴力は正当化できると徹底的に教え込まれているからだ。しかし、これを信じ続ける限り、平和は永遠に訪れることはないのである。 

非暴力と核兵器廃絶

 これまで、キリストをはじめ、多くのリーダーたちが、人間を暴力から救うために導こうと力を尽くしてきた。最近では、ガンジー、キング牧師などが、政治を根底から覆すには非暴力で闘う方が効果的であるということを教えてくれた。それなのに、彼らは暗殺され、非暴力の教えは忘れ去られてしまっているかのようだ。
 人類は、ガンジー主義の非暴力に生きる覚悟はできていないかもしれない。しかし、人類がこの惑星で生き残りたいと思うのであれば、核兵器を廃絶する以外に望みはない。
 暴力を放棄し、平和への権利を勝ち取るまでには気の遠くなるような長い道のりがある。どこから始めればいいのだろうか?平和への権利の中で、まず取り組むべき課題は、核兵器の廃絶である。海洋破壊、空気の酸素濃度の低下、地球温暖化などは長期的に解決を迫られる問題であるが、核兵器は、もはや我々の手に負えない状態に陥っており、すぐにでも、取り組むべき課題になっている。今、国際社会は核兵器を廃絶するか、使用するかのいずれかを選択しようとする岐路に立っており、初めて廃絶派が勝利するチャンスが見えている。

核兵器廃絶の行方が人類の明暗を分ける

 核兵器の廃絶は、人類がこの地球上で生き続けるのであれば、避けては通れない試練である。人類の生存を脅かす、全く不必要な兵器を廃絶するために必要な協力ができなければ、そして核兵器で確実に相手を破壊するという相互確証破壊戦略から遠ざかる確かな一歩を踏み出すことができなければ、人類はさらなる次の一歩を踏み出すチャンスを失うことになる。人類はダンテも想像すらしなかったほどの壮絶な地獄に落ちることになり、跡形もなく消滅してしまう恐れもないとはいえない。
 他方で、人類が核兵器を廃絶することに合意すれば、人類の歴史の中で顕著な意識転換を達成することになる。種として、人類の集団的生存のために協力する約束を交わすことになるのだ。集団的生存という概念に心を開くことになり、その実現には別の形の協力が必要となる。核兵器を廃絶することができれば、貧困、無知、二酸化炭素排出、戦争など、我々の集団的生存を脅かす無数の問題を解決できるようになる。すべての人が豊かな暮らしができる世界の展望は、われわれの集団的意識の中で輝きを増し、人類の未来を明るく照らし出すのである。
 宇宙船地球号の乗組員の大半が、集団的問題を解決するために協力して取り組むことができれば、我々は食糧やエネルギーをめぐって争う必要はなくなる。40分間地球に降り注ぐ太陽光で、全人類が1年間に使うエネルギーがまかなえるのである。地球の大半は水であるので、水を求めて争う必要などないのであり、水をきれいに保ち、使い方を工夫すれば問題はないのだ。

核兵器禁止条約の成立に向けたプロセス

 幸せな世界へと続く道への一歩を踏み出すためには、国連加盟国のうちで核兵器を保有しない184ヶ国が、米国をはじめとした核兵器国に、すべての国は国際法の規定に従うべきであることを教えなければならない。これは容易ではないが、核兵器の廃絶にはこの教訓を教えることが不可欠なのだ。
 世界は核兵器をなくすことを望んでいる。米国においてさえ、国民の大多数、さらには軍の高官の多くも、核兵器のない世界の方がいいと考えている。これほどコンセンサスに近い政治的課題は他にない。よって、われわれが平和を真剣に考えるのであれば、核兵器の廃絶は、戦争勢力に一撃を加えることができる狙いどころなのである。
 われわれがなすべきことは
1)核兵器禁止条約に向けたヒロシマ・ナガサキ・プロセスを開始する
2)核兵器を民衆の敵ナンバー1に位置付ける大規模な地球草の根/メディア・キャンペーンを展開する
3)条約に多くの国が調印し、世界の民衆がテレビでキャンペーンに注目し始める頃合いを見計らって、核兵器の製造にかかわる企業に対するボイコット運動を開始する
4)条約を軽視し、反対するために軍隊を動員する国を孤立させる(海外資産の凍結、国外企業活動の押収等)
ことだ。
 核兵器禁止条約は国際社会の「マグナカルタ」として遵守されるべきである。米国が他国を義務付けるために用いている規則と同じように、米国も義務付けられることになれば、地球社会は、人が快適な暮らしができる地球環境を保つために必要な作業に着手できるのである。その時点で、国際社会は、弱肉強食のジャングルの掟から、法の支配へと進化するのであり、平和への権利は、政治的にも経済的にも意味をなす概念となる。その日が一日も早く来ることを願ってやまない。