人権の潮流
「インドネシアのハウスメイドは動物でも家畜でもない。人間なんだ」。
在アンマン・インドネシア大使館員のアリさんは、聞き取りの最後にうめくようにこう言った。
2008年1月だけで8名のハウスメイドが虐待、転落、病気などで死亡、26名が投獄、冤罪やレイプ被害者だという。
大使館に併設されたシェルターには、雇用主から逃げてきた92名の女性が収容されていた。最初に話を聞いた女性は、女主人から殴られて窓から落とされ、8ヶ月間病院で治療を受けたが、下半身にまだ麻痺がのこっている。彼女は、渡航前に仲介者に50万、健康診断に20万インドネシアルピア(1円≒120ルピア)払った。そのほかに渡航後の給料2ヶ月天引きされた。別な女性は、13人の子どもや孫の面倒を見させられた上、賃金をもらえず1年で耐えられなくなり、タクシーで逃げて来た。9ヶ月働いて雇用主男性に何度もレイプされて性病になったという女性は、2ヶ月前にここに来たという。
2011年6月11日には、サウジアラビアで働いていたインドネシア人ハウスメイドが、雇用主殺害の容疑で、「家畜」のように首を刎ねられ処刑された。この女性は雇用主から度重なる虐待を受けて足を骨折する重傷を負ったこともあるほか、賃金未払いで、契約期間後も無報酬で重労働を課せられていた。賃金の支払いと帰国を雇用主に懇願したところ、逆に雇用主から激しい暴行を加えられたために、刺殺してしまったらしい。この処刑を受けて、インドネシア国内では、激しい抗議行動が起きた。家族に知らされたのは、処刑の後だった。
本稿では、インドネシア人ハウスメイドの奴隷のような現状と、人権侵害根絶のための対策を考えてみたい。
第1の問題は、インドネシア国内の貧困と失業である。他の途上国と同じように、不十分な農業所得、不安定な雇用などによって、男性の多くは不完全・不安定就労の状態にある。それを補うために多くの女性が物売りやハウスメイドなどに従事し、事実上生計を支えている。しかしこれらの女性労働は低賃金であるため、一家を支えることができない。止む無く子どもの教育のため、借金返済のためなどの理由で、女性が危険な海外出稼ぎに向かう。
第2に、インドネシア政府の海外出稼ぎ奨励策と保護政策の不備である。海外出稼ぎの送金は、莫大な外貨収入源であるだけでなく、雇用対策としても重要であるため、政府は海外出稼ぎを奨励してきた。2006−07年には女性のハウスメイド、子守、介護などの家事労働者が男性の3倍近くに急増したが、労働者の保護政策は後手に回り、マレーシアなど渡航が容易な近隣諸国では、人身売買同然の出稼ぎが多い。
第3に、斡旋業者によるハウスメイドの債務奴隷化である。インドネシアには政府の認可を受けた斡旋業者の他に、無数の無認可業者が存在する。さらにその下・孫請けが村々に入って出稼ぎ労働者をリクルートする。甘言に乗せられた女性たちは、雇用主側がすでに支払っているはずの「渡航費用」数百万ルピアを要求される。支払えない多くの者は、渡航後の給料天引きという形で、借金を負わされる。賄賂が社会の隅々に横行するインドネシアでは、渡航書類の手数料や偽造という形で、役人も不法就労に手を貸していることが、不法就労の問題を深刻化している。
また、渡航前研修は、斡旋業者の手で行われるため、軟禁、所持品没収などの人権侵害が頻発している。「研修」では住み込み先での不払や虐待などの対処法を教えるどころか、業者の利益のために「逃げたら逮捕されるぞ」などと脅し、我慢を強制する。
第1に、受入国の政治・経済体制と人権状況である。主要な受入国であるサウジアラビア、アラブ首長国連邦(以下UAE)、クウェートなどの湾岸産油国は、イスラム色が強い王制・首長制をとる。憲法や議会の機能は限定され、普通選挙や女性参政権は不完全である。これらの諸国では、労働力の50−80%を外国人労働者が占める。オイルマネーと「多子若年化」によって、外国人家事・育児労働者の需要が高い。
2011年6月16日、ILO総会は、家事労働者を労働基準の枠内に置くことを決定した。確かに家事労働者が労働法の枠外に置かれている香港、シンガポールなどの受入国では、この決定は有効であろう。しかし、自国のフォーマル部門就労者の権利すら労働法で保護されていない湾岸諸国では、「画期的」な決定も意味をなさないのではないかと危惧する。
第2に、ハウスメイドの過酷な労働環境である。どんな労働契約も労働法も、家庭という密室の中では、力を失う。ハウスメイドビザで子守、介護、工場労働、店番のほか、親きょうだいの世帯の家事などを強要される。逃亡防止のため賃金の遅滞、不払いが横行、支払われても公定賃金より10−20%低いことが多い。そのため、渡航前の借金の利子が膨んだり、留守宅に送金できないなどの深刻な事態を生んでいる。
ときに20時間以上に及ぶ長時間労働、数件の家事の掛け持ち、30人家族の家事全般などの過重労働も問題である。休日は無い場合が、ほとんどである。食事や寝る場所も満足に与えられず、男性雇用主による性的暴力、「マダム」による虐待が日常的になる。外に助けを求めたくとも、軟禁状態に置かれ、その方法はおろか雇用主や業者の名前、住所も知らない。また、窓からの逃亡を試みて転落、精神的に追い込まれての自殺、高窓清掃中の落下事故も多い。宗教・言語等意思疎通の問題、雇用主の人権意識の低さ、アラブ女性の無権利状態も原因であろう。
では、どうすれば、ハウスメイドの奴隷状態を改善できるのであろうか。
送出国、例えばフィリピン政府は,受入国政府に対して雇用契約内容への介入、労働条件の明記を要求して出稼労働者の派遣を中止してこれを認めさせた。インドネシア政府も03年、これに追随して、成果を得た。外国人労働者に依存する受入国に対して、この方法は有効である。
また、ハウスメイドに看護師などの職業訓練を行い、閉鎖的な家庭より虐待のリスクが低い施設や病院を職場とする職種にスキルアップする試みもある。渡航前研修でハウスメイドに労働契約、渡航先の労働法、虐待時の避難方法などを教えることも重要だ。外国人労働者に組織化の自由が保障されている香港では、同国労働者の組織化、政府との団体交渉、デモなどの団体行動のほか、国際機関との連携やインドネシア人労働者の組織化の支援や支援団体との連携も図っている。
一時ハウスメイドの虐待が問題になったレバノンやカタールでは、受入国政府が雇用主に対してときに罰則を含む介入を行うことで、虐待の減少、迅速な問題解決などの成果をあげている。しかし多くの受入国では、送出国とハウスメイドの待遇改善などに関する二国間条約を結んでいても、家庭という閉鎖空間を理由に、有効な対策を行っていないのが現状である。斡旋業者の間では、問題のある雇用主をブラックリスト化し、ハウスメイドを送らないなどの試みもあるが、悪質な業者が存在する限り、徹底は難しい。
ハウスメイドの人権保護のために、第三者である日本人にもできることはあると、冒頭のアリさんは言う。
「ヨルダン労働省には日本のJICA専門家も入っている。日本政府を通じて、ヨルダン政府にハウスメイドの人権状況の改善を働きかけてほしい」「西側諸国は、イラク、イラン、リビアなどにおける人権侵害には過剰に反応するが、親米産油国にははるかに非民主的な国があるのに、黙認している」と手厳しい。確かに、石油の主な顧客である欧米や日本が断固とした態度をとれば、かなりの効果を期待できるだろう。
世界全体で推計5,300万〜1億人とも言われる家事労働者の「奴隷解放」のためには、送出国、受入国だけではなく、国際社会全体がこの問題に目を向けなければいけない。「人身売買大国ニッポン」にとっても、外国人労働者の人権問題は、真摯に取り組まねばならない問題なのだから。
UAE アジュマーンにあるハウスメイドの斡旋業者
元ハウスメイドの女性が経営 写真:筆者提供
ドバイの斡旋業者入り口の看板
斡旋できるハウスメイドの国籍が書かれている。
給料はフィリピン、インドネシア、スリランカの順。
インド、パキスタンはさらに低い。