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国際人権ひろば No.99(2011年09月発行号)

人権さまざま

平和と人権

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

国連憲章前文
 「…われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、

 寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
…」

世界人権宣言前文
 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、…」

日本国憲法前文
 「…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。…」

第9条
 「1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 8月6日は広島に、9日は長崎に原子爆弾が落とされた日であり、8月15日は日本が無条件降伏をした終戦の日である。毎年この時期に、つらく苦しかった戦争の記憶を風化させないように、再び戦争の悲惨を繰り返さないようにという願いがこめられた誓いが繰り返される。私は戦後生まれで、戦争中のつらさも苦しさも、知らない。戦後の食糧難もはっきりと憶えてはいない。しかし、これまで戦争や武力紛争の残酷さ、悲惨さを世界のあちらこちらで目にしてきた。私の内で平和への想いが募る。

 戦争や武力紛争では、民間人も普通の生活ができない。非常事態である。第二次世界大戦は総力戦といわれた。資源も人も全てが戦争のために駆り出された。無差別攻撃が繰り返された。敗戦の色が濃くなった日本には、至る所で敵機による空襲があり、街全体が焼け野原になった。女性、子ども、高齢者などを含む民間人が犠牲になった。その最たるものが、原子爆弾投下であった。全てを焼き尽し、破壊した。多くの人が一瞬にして命を失った。そのあと今日まで、放射能被爆が多くの人を苦しめ続けている。残酷であり、悲惨である。再び戦争しないようにという人々の願いは、心からの平和の願いにちがいなかった。

 世界では、まだ武力紛争が起こっている。クルーズミサイルやドローンという無人偵察攻撃機で正確に標的目標をとらえ破壊することが出来るようになったという。ハイテクを駆使した武器である。軍隊はコンピューターの画面を前に、ゲームをするように敵に攻撃を仕掛けるという。そして「誤爆」が起きる。民間人を殺すつもりはなかったという。人を殺すということが仮想の世界のできごとと重なり合う。残酷である。

 ハイテクではない武力紛争もある。大量虐殺、陵辱、略奪など「戦争犯罪」がくりかえされる。戦闘行為を人道的最低基準に沿ったものにしようという4つのジュネーヴ条約。その約束が守られない。この様な現実に国連憲章、日本国憲法の誓いのことばは意味を持つのであろうか。

 人権、平和、開発、発展、民主的社会は、互いに深く結びついているという。相互に支え合う。どの一つが欠けても他の三つが危うくなる。人権が守られないところでは、争いが起きる危険性が高まる。また平和が保たれなければ、人権が無視され蹂躙されることになる。戦争は命を奪い、人間らしい生活を奪い、思想や表現の自由を奪う。これは 世界の経験から言えることである。はじめに引用した国連憲章も日本国憲法もこのことを言う。

 2010年6月国連人権理事会で「平和に対する権利」が人権であるという決議(決議14/3)があり、平和に対する権利宣言を起草しようという動きがある。これには反対もあり、しばらくは駆け引きが続くだろう。「発展の権利」が宣言となった時も同様であった。1986年に採択された「発展の権利宣言」であるが、未だにこれは人権ではないという国連加盟国がある。人権といっても国連ではしばしば国際政治がらみになる。

 広島と長崎の原爆記念日のころ、インドからのグループ「ボーンフリーアートスクール」が、人権と平和のメッセージを歌とダンスのパーフォーマンスを通して伝えるということで日本を訪れた。日本の女性がこのグループの共同代表をしている。児童労働からの解放とストリートチルドレンのための活動とアートを組み合わせ、平和、非暴力、原爆廃棄などを草の根レベルで訴える運動だという。ガンジーの非暴力と憲法9条。インドからの人たちのメッセージが日本の人たち、特に若い人たちの共感を呼ぶことを願う。