特集 あらためてたずねる―「人権」とは何ですか?その2
国連子どもの権利条約は、1989年の国連総会において全会一致で採択された、「子どもにとって一番いいことをしよう」という国同士の約束事である。日本は1994年に批准し158番目の締約国となった。現在では、193の国と地域が批准している。この締約国の多さは、子どもの権利条約が子どもに関するものごとを考えたり、施策を進めたりするときの世界共通の「ものさし」であることを示している。そして、子どもの権利条約には、国がこの条約を実施していかなければならないことが義務として定められている。
子どもの権利条約によって大きく変わったのは、子どもにとって一番いいことを「だれ」が決めるのかということであろう。条約が採択される前、子どもにとって一番いいことは、おとなが決めていた。ところが、「おとなのよかれ」が子どもにとって一番いいとは限らない。そこで、条約では「子どもに一番いいことは、まず子どもに聴いてから、おとなと子どもが一緒に考える」と、大きく方向を転換したのである。だから、国や自治体も子どもの声を聴きながら条約を実施していかなければならない。
子どもの権利条約は全54条からなるが、そのなかに一般原則とよばれるものがある。それは、差別の禁止(第2条)、子どもの最善の利益(第3条)、生命への権利、生存・発達の確保(第6条)、子どもの意見の尊重(第12条)の4つであり、ほかの権利を守っていくときの前提となるものである。たとえば、震災で被害をうけた子どもを支援するとき、「性別や障碍の有無などで差別してはいけません」、「どうやって回復していきたいか子どもの声をよく聴いて」、というように考えることができる。
子どもの権利条約でいう子どもとは、18歳未満のすべての者をさす。だから、子どもにはもちろん赤ちゃんも含まれる。
赤ちゃんの権利といえば、これまでケアや保護の権利が想定されてきた。赤ちゃんはおとなの助けなしには生きられない、何もできない弱い存在だと思われてきたからだ。しかし、多くの親たちが経験的に知っているように、赤ちゃんは何もできない存在などではない。「おなかがすいた」「おむつがぬれたよ」「眠たいけれど眠れないよ」-赤ちゃんは、誰に教えられるでもなく、泣き声によってさまざまなメッセージをおとなに伝えることができる。赤ちゃんの匂いや笑顔に癒されたり、指をつかむ力の強さに驚かされたり、「赤ちゃんってすごい」と感じる瞬間は、少なくない。
国連子どもの権利委員会も、こうした赤ちゃんの力に着目し、赤ちゃんも子どもの権利条約にあるすべての権利の主体であることを認めた。なかでも大きな意味をもつのが、赤ちゃんの参加の権利である。赤ちゃんの参加の権利というと、頭をひねってしまう人もいるかもしれない。子どもの参加の権利は、思春期以降の子どもたちに特有のものだと思われがちである。しかし、先ほども述べたように赤ちゃんもさまざまなかたちでメッセージを発している。
そこで、2005年に採択された国連子どもの権利委員会一般的意見第7号において、「乳幼児期の子どもの意見および気持ちの尊重(respect for the views and feelings of the young child)」が重要であることが指摘された。たとえまとまった意見でなくとも、気持ちであっても、それは赤ちゃんの意見表明・参加である。そして乳幼児期の子どもの参加の権利を達成するためには、「おとなが子ども中心の態度をとり、乳幼児の声に耳を傾けるとともに、その尊厳および個人としての視点を尊重すること」が求められるのである。
子ども参加といえば、児童会や生徒会、自治体の子ども会議のように学校や社会に活き活きと参加している子どもたちを想像するかもしれない。「そんなの一部の子どもでしょ」「私には関係ない」というむきもある。しかし、子ども参加はそれだけではい。権利を侵害されたとき、SOSを発すること、これも意見表明・参加である。
前年よりも1万件以上増えた児童虐待の相談対応件数、深刻化し複雑化するいじめなど、子どもをとりまく権利侵害の状況は決してよくなっているとはいえない。日本に住む子どもたちは、権利を侵害されたとき、「助けて!」ということができているのだろうか。
自治体レベル、民間レベル、国レベルにさまざまな相談機関がある。しかし、つらくてどうしようもないほどの苦しみや悲しみを感じる子どもたちはなかなか減らない。これはなぜなのか、を考えるとき、興味深いデータがある。
西東京市では、子育ち・子育てワイワイプラン(西東京市子育て支援計画)の重点的な取り組みのひとつとして「子どもの権利に関する条例」の策定を掲げており、2008年より策定委員会を組織し、条例策定に関する様々な問題を検討してきた。その一環として2008年に、小5、中2、16・17才、おとなを対象とした、子どもの権利に関する意識アンケート調査を実施した。
その結果、西東京市の子どもたちの多くは、学校に楽しく通い、友達との関係も良好で、社会参加の意欲も高かった。一方で、「おとなからつらくてどうしようもないこと」をされたときの対処法を訪ねた設問に対し、最も多かった回答は「がまんした」(小5:46.2%、中2:37.0%、16・17才:50.0%)であり、「誰かほかの人に相談した」(小5:35.4%、中2:24.6%、16・17才:28.8%)を大きく引き離している(グラフ1)。そのほかの自治体調査でも、「つらくてどうしようもないこと」をされたとき、「がまんする」のが日本に住む子どもたちの傾向であることが見えてくる。
相談機関はあっても、つらい子はがまんしてしまう。この状況をどうすれば変えることができるだろうか。
既存の相談機関に対し、子どもの相談救済機関が有するべきものとして、制度改善を促す機能、第三者性などはすでに指摘されてきていることである。このほかに、子どもに向けては、権利学習が考えられる。権利が何かを知らなければ、権利侵害がどんなものであるかもわからない。そのうえで、困ったとき、辛いとき、相談していいのだということを伝え、相談できる主体をつくっていくことも重要である。さらに、既存の相談・救済のしくみを子どもにフィットしたものに組み直す必要もある。そのときには、子どもの相談行動に留意しなければならないが、たとえば児童館やフリースペースなど子どもが恒常的に集う居場所が有する相談機能には学ぶことが多い。
これらは、言いかえれば、まちそのものを、子ども中心につくりかえていくことを意味する。既存の制度設計ではなく、子どもの権利を基盤に据えたアプローチが必要である。
東日本大震災からの復興が声高に叫ばれるが、現在と未来を担う子どもたちの声がじゅうぶんに聴かれているとは言い難い。
子どもたちは、地震と津波、そして放射能汚染を経験した当事者でもある。公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが被災した子どもたち1万人強に実施したアンケート調査によると、実に87.4%(9,617人)が「自分のまちのために、何かをしたい」と答えている(公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン『HOV Hear Our Voice①子どもたちの声~子どもの参加に関する意識アンケート調査~』2011年7月)。
子どもたちの声は、おとなに聴かれるのを待っている。そして、その声をもとに、社会を子どもの権利を尊重したものにつくりかえていけるかどうかは、わたしたちおとなにかかっている。
グラフ1 「おとなからつらくてどうしようもないことをされたとき」の対処法