肌で感じたアジア・太平洋
モンゴルパートナーシップ研究所(通称MoPI)は2000年に大阪で誕生したNPOだ。モンゴルに関心がある人、モンゴルのために何かしたい人が会員の中心である。もともと、モンゴルの社会や伝統を研究してきた研究者が設立したので、モンゴルから学ぶ、ということを大切にしているNPOでもある。それが団体名の“パートナーシップ”に表れていると言える。
MoPIの特徴の1つは、いくつかのプロジェクトが同時に進行していることだ。ここではいくつかのプロジェクトをとりあげて、MoPIの紹介としよう。
MoPIは、日本の関西を中心に、異文化理解のための特別授業を小学校に招かれて行っている。MoPIのスタッフと会員が講師となり、小学生にモンゴルについて楽しく学んでもらおうという企画だ。モンゴルの民族衣装や、小学生が入れるくらいの大きさのゲル(モンゴル遊牧民の移動式テント住居)を使ったり、リアルにモンゴルを感じてもらえるような努力をしている。小学生たちが、私たちとモンゴル人は同じ人間で、似たようなところもあるし、差異もあること、違いがあることは変なことではないこと、を考えてもらうことが狙いである。
10年続く長寿プロジェクトであり、日本で支援を募り、モンゴルで実施しているのが黒板配布の企画だ。具体的には、古びて字が書きにくい黒板を、モンゴル中の学校でこつこつと取り替えている。
なぜ黒板なのか、ということにはいくつも理由がある。まず、モンゴルではまだ電気が送電線によって常時供給されるのではなく、ディーゼルエンジンで発電しなければならない地域が広く残っている。このようなところでは、印刷機やコピーはなかなか使えない。また、電圧も不安定なために、機械が壊れてしまうこともしばしばだ。したがってテストの問題も黒板に書かれて、生徒は黒板を見ながらテストを受けることもある。
しかし、このように黒板の重要性は高いのに、黒板は学校が設立された当時のままで、ひび割れた古い黒板がたくさん使われている。先生たちは雑巾で黒板を濡らしつつ、乾く前にさっと字を書く。それでも見づらく薄い字しか書けないような黒板が、特に草原地域の学校ではたくさん見られる。
2001年に私が黒板の惨状ともいえる、この状況を知った時、偶然モンゴルのために50万円使いたい、と言う人からMoPIは相談を受けた。そこでそのお金をMoPIで黒板を取り替えることに使いたい、と企画が起ちあがった。そして、一般に広く寄付を呼びかけることになり、現在まで続いている。
新しい黒板を贈ることは、実際に現地で見聞きしたことから発案されているので、ニーズがあることだけは確かだった。これはMoPIのプロジェクトに共通する特徴だ。モンゴルでのニーズをキャッチし、プロジェクトを立ち上げ、それをサポートする日本の会員がいて、プロジェクトをきちんと実行できる現地スタッフ(日・モンゴル両方で)に恵まれている。
黒板を贈ることに意味があることは、モンゴルでの反応にも表れている。どの校長先生からもこれを贈ってくれた人にお礼を伝えてほしいと言われ、教育委員会の代表からも、黒板は教育の現場で最も重要なものだから、と感謝されている。子どもたちは黒板が見えやすくなったと嬉しそうに話してくれた。
こうして、現在までに1400枚を超える黒板を配布した。もちろん、政府の開発援助などに比べるとMoPIのやっていることは小規模だ。モンゴル国のすべての基礎教育の学校に黒板を贈ったとはいえ、多くの学校では2枚だけだ。全部の黒板を取り替えたわけではない。しかし、全部の学校へ届けることにこだわっているのは、黒板が私たちのメッセージだからだ。つまり、私たちは教育や、子どもたちがより良い環境で勉強できることを大事に思っていますよ、という思いも配っているのだ。
より良い教育による利益や効果はお金で直接回収できるものではなく、目に見えるものでもないだろう。しかし、教育への投資を短期的な損得でケチった社会は、必ず未来にその負の影響が巡ってくる。つまり、私たちはモンゴルに黒板を配ることによって、モンゴルへの目に見えないけれど確実な投資に参加していることにもなると思っている。
2011年には新しい企画もスタートした。5月に毎日新聞のスクープで、モンゴルに日米の原発から出た使用済み核燃料の中間貯蔵施設を作る計画があることが伝えられたことからすぐに始まった。具体的には、モンゴルで複数の新聞に、この計画に反対する意見広告を2回大々的に出した。MoPIの会員を中心に、このことを報道で知って、何かできないか、と考える様々な人に寄付と言う形で支援をしてもらうプロジェクトになった。
第1回目の広告は、日米の使用済み核燃料の貯蔵・処理場を、モンゴルに建設することに反対する、という趣旨だった。第2回は、処理場とは別に、今はまだ存在しない原子力発電所をモンゴルに作る、という議論に対して、「新たに原子力発電所を建設する必要はないですよ」、また、「ウランを掘ると放射能汚染が起きますよ」、と呼びかけた。モンゴルには豊富なウラン鉱床があり、その開発が進められようとしているためだ。
処理場と原発に反対しているモンゴル人たちのグループは、インターネット上で活発に活動しているが、彼らが私たちの広告に対して「この広告の新聞を(捨てずに)保管している」、「自分たちのグループもこういう広告を新聞に出せたらいいね」と感想をインターネットに書き込んでいた。
一方で、使用済み核燃料の処理場を作ることはモンゴルにも利益・利権がある、それゆえモンゴル人は核廃棄物を押し付けられる被害者ではない、とか、原子力発電所を作るのはモンゴル人の自由だから、私たちの活動はモンゴルに対する内政干渉ではないか、と日本人から意見された。
しかし、私たちはそもそもモンゴル人が被害者でかわいそう、という論理で反対しているのではない。自国の使用済み核燃料を他国に押し付ける、ということへの倫理的な問題、また、さらに言えば、原子力発電という技術的に行き詰まり、破たんしているものを他国へ売りつけてはならない、という“私たちの問題”として、反対の意見広告を考えたのだ。モンゴルに上から目線で理想や考えを押し付けているのではなく、私たちの問題として一緒に行動したいです、という水平な関係に基づいた意志の表明だ。自国の使用済み核燃料を、いわば金に物を言わせて他国へ持って行くのは、使用済み核燃料の処理技術がない以上、相手を同じ人間として扱っていない、相手の価値を軽んじているということを潜在的に含んでいる。
さらに言えば、これはモンゴルに限ったことではない。日本が原発技術を輸出することは、欠陥品を他国に売りつけることであり、それを国家が支援していることは重大な問題とされなければならないだろう。輸出が決まりつつあるベトナムでの原発建設候補地は、少数民族の居住地域だそうだ。貧しいといった経済的な地域間の格差や、政治的な力の差を利用して原発建設の場所を確保する、という構造さえも日本から輸出されようとしている。「内政干渉になるのでは?」、とぐずぐずしているうちに、企業や政府が計画を実行してからでは遅い。
また、福島第一原発の事故で、原子力発電所が内包する問題が明らかになり、それを知った日本の市民として、原子力発電所にはこんな問題があるのですよ、と伝えることは市民としてのメッセージの発信であり、市民の権利ではないだろうか。幸い、モンゴルでの処理場の建設はモンゴル政府によって中止が宣言された。このプロジェクトは意見広告による、「メッセージを発信する」ということがより先鋭化した活動になった。
これからもMoPIは日本とモンゴルの間で、お互いのメッセージを具体的なプロジェクトとして運営することによって届ける、ということを続けていく。
MoPIのウェブアドレス
http://web.me.com/mongol_partnership
意見広告が掲載されたモンゴルの新聞