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国際人権ひろば No.102(2012年03月発行号)

人権の潮流

日本の帰化行政の現状から見えるもの

李 洙 任(リー・スーイム)
龍谷大学経営学部教授

 

許可基準の緩和

 日本の外国人施策は時代の政治的、かつ経済的要因に大きく影響を受けながら、国民レベルの議論がなされないまま運営されてきた。その中で帰化制度は「法務大臣」の自由裁量という名目で、不可視的な行政方針で管理されてきた制度と言える。1987年には884,025人の外国人が日本に在住していたが、全体の約8割を占めていたのが673,787人の韓国・朝鮮籍の人たちだった。よって、外国人登録法は、韓国・朝鮮籍の人たちを管理する制度と同義の意味をもち、帰化申請者として考えられる主な対象者は韓国・朝鮮籍の人たちであった。また「帰化」という言葉は本来国家の秩序に従い「君主」のもとに服して従うという意味を持つため、在日韓国・朝鮮人にとって帰化を通して国籍取得をすることは朝鮮民族への裏切りという考えが長く続き、帰化することはタブーであり、在日コミュニティにおいても積極的に議論されてこなかった。加えて、帰化後は通称名で生活する人たちが多く、ますます彼らの存在が不可視的になっていた。
 「在日外国人地方選挙権付与法案」をめぐり、法案反対派は「選挙権がほしければ、帰化して日本人になればよい」という意見で対抗してきた。しかし、日本の政治家や一般の人たちが思うほど、帰化は簡単なことではない。手続きはこの上もなく煩雑で、精神的にも苦痛を強いられる上、個人の人権を踏みにじり、明文化されていない不透明な帰化基準や原則が存在する。帰化後の氏名は日本的氏名を採択しなくてはならないことや世帯主が帰化申請をしなければ、個人で帰化できない状況が長く続いた。ところが、今日帰化行政の許可基準は緩和されつつあり、また申請者の意識も差別からの逃避というよりむしろ社会への積極的な参画と変わりつつある。許可基準の緩和の最大要因は急速に進む「少子化」「人口減」で、経済力の低下を懸念する日本政府の思惑が帰化行政に見られる。
 

統計上から見える帰化行政

 図1は、1952年から2004年までの韓国・朝鮮人の帰化者の推移と社会・政治背景を示したもので、実線が、許可数、点線が他国申請者も含む不許可数を示す。1984年ごろまでに93,000人の朝鮮人が北朝鮮へ帰還したが、1990年ごろから在日韓国・朝鮮人の日本での永住化が帰化申請者の増加につながり、また国際人権規約(1979)、難民条約(1982)発効によって、帰化許可基準が緩和され始めたことがわかる。表1は、2001年から2010年までの10年間の帰化申請者数、帰化許可申請者数、帰化許可数、不許可者数の推移であるが、韓国・朝鮮籍は、2003年においてその許可者数は10,000人を超えたが、2005年から減少傾向にある。これは、在日コリアンコミュニティの縮小が影響している。一方、中国籍の許可者数は、2009年には5,000人を突破したが、その後4,000人台が続いている。日本の人口減少、そして労働力人口の減少、外国高度人材の積極的な受け入れ、そして存在感が強くなった中国人留学生数の増加から帰化許可基準はますます緩和されていくことが予想される。
 
図1 韓国・朝鮮人帰化者数の推移と社会・政治的背景 (左軸:許可者数(人)実数、右軸:不許可者数(人)点線)
図1 韓国・朝鮮人帰化者数の推移と社会・政治的背景.jpg出所:法務省「帰化許可申請者数、帰化許可申請者数等の推移」から作成

表1 イメージ.jpg

出所:法務省ホームページより

 

外国人の社会・労働統合

 グローバル化が進展する中で、「外国人の社会・労働統合」は外国人施策で重要なキーワードになっている。日本の場合、外国人の社会統合を妨げているのは常に「国籍」という問題であった。国籍条項を設けることによって、日本は閉鎖的な外国人施策を貫き、外国人の社会統合を拒否し続けたと言っても過言ではない。結果として、四世に亘っても外国人という在留資格をもつことを余議なくされる人たちが日本社会に存在する。これは他の先進国では見られない事象なのである。日本の外国人施策は、常に「国民」と「外国人」を対比させ、日本の根強いゼノフォビア(外国人に対する否定的な考え方)を煽る要因となった。そして、米国帰化者がノーベル賞を受賞すると、各国と日本の報道で「日本人の定義の解釈」が異なり、「日本人受賞者の数」が増える問題が生じる。日本人の血統から考えると、ノーベル物理学受賞者である南部陽一朗氏は日本人であるが、国際的な観点では、米国帰化者は日系米国人なのである。
 インターネット改革は、帰化制度に大きく影響を与えている。それまでは申請者にとって、許可基準がまったくわらかないまま申請を始めることが多く、心情的には「まな板のコイ」という表現を使う申請者が多かった。しかし、申請前に行政書士にメール相談を行うことによって、一定の方向が見えるようになった。また、行政書士間の価額競争が起こるのもインターネットが要因である。値段設定は基本的に自由であるゆえ、帰化申請は高くつくものと理解され、経済的に余裕のないものはあきらめる他なかったが、ホームページで経費が計算でき、申請者の心理的なプレッシャーも軽減されることとなった。加えて、在日コリアンを主に顧客とする行政書士と中国人を主に顧客とする行政書士の市場のすみわけが始まっている。在日コリアン対象のホームページは事務的で、硬いイメージだが、中国人対象のホームページは中国人行政書士が誕生し始め、サービス重視で、重々しいイメージがない。むしろ、明るいイメージである。様々な情報が提供されており、不可視的であった帰化行政の在り方を根本から変える一要因は、コンピュータの技術革新であるかもしれない。
 

帰化制度の特徴と問題点

 しかし今だ許可基準は「法務大臣の裁量」とする国民には不可視的な行政方針で管理され、一方的に行政当局者主導によって進められている。それは他の先進国のように法の定める条件を備えていれば国籍取得を認める方法と大きく異なる。在日アジア人に対する「同化」と「排除」のうち、同化政策の極みが「帰化行政」であると言える。行政当局者は、それは法的規制ではなく、行政指導の範疇を出るものではないと弁解しながらも、密室行政の中で悪しき慣例が多く存在するが、日本版公民権運動の高揚によって、1980年代には帰化後の日本的氏名の強制的採択もなくなり、また少子化や労働力の縮小が大きく影響し、今日では帰化手続きも簡易化に向かっている。加えて、日本国籍取得後も「コリア系日本人」「中国系日本人」「インド系日本人」として自分のルーツを大切にする申請者たちのエンパワーメントが顕在化され、ポジティブな面も見える。日本社会がエスニックルーツをもつ新しい日本人として受け入れる準備があるのか、ないのか、という明確な意思が日本の移民政策、そして外国人受入れ施策の成功にかかっている。「エスニックルーツをもつ新しい日本人」の積極的な社会での参画が可能となる社会の実現させるには、日本で出生した人たちには自動的に国籍を付与すべきである。そして、帰化制度を廃止し、一定の条件があれば国籍取得できる国籍取得制度を新たに設定すべきである。
 日本において帰化行政の透明性を要求する声が高まる中、新たな国家の成員を迎えるにあたり、日本人、在日外国人ともに理解を深める必要がある。「外国人」と「日本人」の線引きは国籍に依拠するが、国籍は、ややもすると性別と同様「天与のもの」と考えられがちである。しかし、1985年に国籍法が父系主義から両系主義、すなわち父親が日本人でないかぎり子どもたちに日本国籍が自動的に付与されない法律から父親もしくは母親のどちらかが日本人であれば子どもたちに日本国籍が付与される法律に改正されたのを見ると、日本国籍取得の対象者の枠が拡大されたりする。植民地時代の朝鮮人が「帝国臣民」として一方的に国籍を押し付けられたことからわかるように、国籍は天与のものではなく、すぐれて人為的なものであることを私たちは理解する必要がある。