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国際人権ひろば No.104(2012年07月発行号)
特集 東アジアの都市の生活困難な人たちの現状と支援
台北のホームレス支援現場を訪れて
山田 理絵子(やまだ りえこ)
大阪市立大学都市研究プラザ・研究補佐
はじめに
調査チームとして初めて台北を訪れたのは2002年、私たちは、当時台北市社会局のホームレス担当ソーシャルワーカー(以下SW)だった楊運生(ヤン ユンシェン)さんと出会った。彼は台北市のホームレス支援業務やネットワークを作りあげたともいえる人物で、市社会局を退いた今も積極的にホームレスの支援に関わっている。度々台北を訪れる中で、私たちは様々なホームレス支援活動に携わる人たちと出会うことができた。以下に、台北市のホームレス問題と支援の取り組みについて紹介したい。
台北市のホームレス支援
台北市遊民収容所は、台北市ではなく隣接する新北市(以前の台北県中和市)にある。現在台湾では、ホームレスの人々は福祉施策の対象とされてはいるが、以前は治安を乱すものとして警察による取り締まりを受けていた。さらに遡れば国民党軍の脱走兵を取り締る法律がその起源である。この施設は治安対策としての遊民収容所であった流れを汲んでいるということだ。滞在が長期間に及ぶ人もいるが、基本的にはずっと住み続ける場所ではない。高齢者や障がいを持つ人が比較的多く、退所後は福祉施設や高齢者施設に入ったり、帰郷したりといったケースが多いと言う。後述の平安居を含め、路上生活と施設を出たり入ったりする人もいる。キリスト教(カトリック)聖心聖母会が運営する平安居は、台北駅北の大同区にあり、ホームレスの人々が一定期間滞在できる施設で、その間にあらたな就職先をみつけたり、あるいは日本の生活保護にあたる「社会救助」の申請を行ったりする。上述の遊民収容所や平安居のような施設を台湾では「中途の家」と呼ぶ。ここでは働ける健康状態の人が比較的多く、仕事とアパートを見つけて退所していける人もいるとのこと。
創生福利基金会平安站は萬華区の龍山寺近くにあり、慈済会という仏教系の大変大きな財団を母体としている。ここは宿泊滞在の施設ではなく、おもに食事の提供がなされ、またシャワーや洗濯の場も使えるようになっている。食事をとる人には、ローテーションで炊事、あと片づけや掃除といった仕事が割り振られ、ホームレスの人たちも参加しての運営が行われている点が特徴である。
また台北市労工局では、ホームレス就労ステーションという部門が日本でいうハローワークの中に設けられている。元々大同区にあったが、萬華区に移転している。特にホームレスの人たちを対象にしたプログラムを実施し、就職のマッチングや、職業訓練、面接のための交通費や衣類の支給などを行っている。身なりを整えてから面接に臨めるようシャワーもある。また職員(非常勤)が自らアウトリーチに出かけてホームレスの人々に声掛けを行っており、とくに働ける健康状態のホームレスの人々が労働市場に復帰していけるように支援することに重点を置いている。ホームレス支援において台北市では福祉を担当する社会局と労工局の連携が行われている。
張さん(左)と楊さん(右) 龍山寺の前で
ホームレスの生活空間
台湾には「一府二港三ラU」という言い方があり、台湾の発展の中心が、時代が進むにしたがって、南部から北へ移ってきた経緯を示している。ラUは現在の台北市萬華の古い地名であり、河口にあって古くは台北発展の中心であった。時代が下るにつれて中心地としての機能は他へ移って行った。賑やかな夜市もあり派手なネオンが灯っているが、街全体は古びた印象だ。日本統治時代の公設市場の建物も残っている。細い路地を抜けていくと、安い賃貸アパートの貼り紙を多く見る。そして有名な龍山寺の周辺では多くのホームレスが路上生活を送っている。また中正区の台北駅の地下駐車場は最もホームレスが集まる場所であり、以前訪れた際には壁際に等間隔に並んで寝ている様子を見た。上記以外にも、高架橋の路面の裏側に板を渡して空間を作り寝ている人や、公設市場では露台を見張るかわりに、夜寝させてもらっているという人もいた。
現在の台北市内のホームレス数については、施設に入っている人も含め600人~1,000人の幅でその意味で不定である。人々がホームレスになる理由は、精神障がいを持つ人、製造業が中国へ移ってしまい職を失った人、建設業の日雇い労働者だった人、戦後に中国国民党とともに台湾に渡ってきて身寄りもなく歳をとってホームレスになった人など様々である。去年の夏台北を訪れた際、ある元ホームレスのおじいさんに話を聞く機会があった。彼もまた中国大陸出身者であった。台湾では川砂利を集める仕事や、病院での清掃の仕事などをしながら暮らしてきたのだという。みじんも暗さを感じさせない、まるで仙人かと思うような人だった。楊さんが声をかけて支援し、今ではアパート生活を送っている。
台北駅のホームレス
台北市の取り組み
ホームレス支援に携わる人たちにとって、頭痛の種のひとつが戸籍だという。台湾では、ホームレスの支援や社会救助支給は地方自治体の仕事とされているが、戸籍がなければ支援を受けることはできない。ホームレスへの対処としては、戸籍地に送り返すのが原則とされている。場合によっては実際に戸籍のある自治体まで送ったり、遠方の家族のもとに送り返したりすることもあるという。しかし、地元で適切な支援を受けられなかったり、家族とうまくいかなかったりすれば結局路上生活に戻ってしまうこともある。社会救助制度も、現実には65歳にならなければ受給は難しい。我々と親しいSWの張献忠(チャン シエンチョン)さんが、ホームレスの人々を施設に入れてしまえば路上からは見えなくなりコストも低くすむが、本質的な解決ではないと言っていたことが印象的だった。
そういった問題について、台湾でもっとも多くホームレスを抱える台北市では、様々な取り組みが積み重ねられてきた。市社会局の「2010年遊民の職業と生活再建事業計画書」を見ると、家賃補助や、市政府からの清掃などの仕事、生活費の支給など経済的支援が受けられる仕組みがある。そして戸籍を理由に支援から排除されないための配慮が明記されている。他にも医療については、SWの判断で書類を発行することで診療が受けられる。また中途の家に入るといったルートだけでなく、ホームレスの人たちが、上述の市の補助金や社会救助を受給できるようサポートし、地域でのアパート生活を送れるように支援するケースについてもよく聞く。
ホームレスのための新年会
ある店主が20年以上続けている
制約の中で
台北市に限ったことではないのだろうが、ホームレス支援に関わる人たちは、みなフットワークが軽く、気さくで熱心だ。市のSWたちもTシャツに半ズボン、サンダル履きといった格好で自らアウトリーチに出かけ、毎日事務所にやってくるホームレスの相談にのっている。楊さんや張さんの案内で街を歩いていると、オッチャンたちが気軽に声をかけてくる。調査チームが台北を訪れるようになってから、この10年間のあいだにはSARSの流行があり、ホームレスの人々が半強制的に一カ所に集められるということもあった。昨年は、ホームレスの寝場所に夜と早朝、水を撒いて追い払うといった対応が議論を呼んだ。つい最近も検討中の条例案の中の、“ホームレスが単に野宿しているだけの場合は干渉をしない”という内容の条文が物議を醸している。ホームレスは施設に入れられるべきで、そのような消極的態度では住民の権利がないがしろにされると強く主張する市議がいる。住民からの反対は常に頭痛の種で、地域社会にホームレスの人々が受け入れられるようにという願いも込めて、市では路地の清掃業務などの仕事をホームレスの人々にやってもらい、収入を得られるようにするといった取り組みも行ってきた。
昨年、私たちがお世話になってきた、楊さん、張さんたちによってNGO“すすきの心慈善協会”というホームレス支援団体が立ち上げられた。メンバーは台湾全土でホームレス支援に携わるSWが中心だという。そのような全国的なネットワークが、これまで積み重ねられてきたホームレス支援の現場で、新たな力となっていくことを期待している。