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国際人権ひろば No.105(2012年09月発行号)
人権さまざま
文化、芸術、伝統芸能、人権
白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
(世界人権宣言第27条1項)
この規約の締約国は、すべての者の次の権利を認める。
(a)文化的な生活に参加する権利
(b)科学の進歩及びその利用による利益を享受する権利
(c)自己の科学的、文学的又は芸術的作品により生ずる精神的及び物質的利益が保護されることを享受する権利
(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第15条1項)
夏休みにヨーロッパから大阪に来た人に日本の伝統文化、芸術、芸能の案内をすることになった。この人は若者ながら、音楽、美術、演劇、映画、文学と幅広い文化的関心を持つ建築設計士である。数年前に初めて日本を訪れた時には奈良斑鳩の法隆寺の伽藍を詳細に観察し、スケッチをしている。
大阪で日本の伝統文化を紹介するには何がよかろうかと考えた。文楽を観たいという。それはいい。国立文楽劇場の予定を調べると、生憎ちょうどお休み。それでは能楽は、と調べると生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)の薪能(たきぎのう)が見つかった。週末の夕方、都合がよい。
能はどうかと聞くと、ぜひとの返事。歌舞伎は見たが、能は見たことがない。能について一応の知識は持っている様子であったが、「日本人でもつまらないという人、途中で退屈する人がいるので、面白くなかったら、遠慮して我慢する必要はないよ。」と念を押しておくことにした。あるとき高齢の女性に「私は能や文楽は面白いと思わない。退屈で耐えられません。」と言われたことがあったのである。
蒸し暑い中三時間、じっと目を凝らし耳を傾ける若者。話のあらすじ、せりふ、などは、しぐさの説明も加えてそっと耳打ち。衣装、面、謡、囃子など実際に見、聴くのは初めてである。それでも狂言「盆山(ぼんさん)」のユーモアを理解し、能「千手(せんじゅ)」に、人の心はどこでも、いつでも変わらないものがあると感じたようである。
「盆山」は、盆山(今でいう盆栽)を盗みに入った男が、その家の主に見つかるまいと盆山の陰に隠れるが、色々の動物の鳴き声を真似させられたあげく、鯛の鳴き声で困り果て、逃げ出すという話である。「千手」は平家物語に拠っている。捕えられて、源頼朝(みなもとのよりとも)のところに送られた平重衡(たいらのしげひら)が千手の前(せんじゅのまえ)という女性のねんごろな世話を受けるが、やがて、斬首されるために西国に送られる。千手は涙ながらに重衡を見送る。心動かされる話である。様式化されたしぐさ、飾り気のない舞台が観る者を能の世界に引き込んでいく。能楽は、歌舞伎・人形浄瑠璃(文楽)とあわせて、ユネスコにより無形文化遺産にあげられている。
翌日は奈良ヘ行った。初めて来たときは東大寺や春日大社を訪れたという。それではと、奈良国立博物館に案内した。「なら仏像館」の国宝木造薬師如来坐像の表情、様々な地獄絵に溢れる人間の想像力に興味津津。「ヨーロッパにも地獄絵と同じようなものがある」と言う。聖書でも地獄は「嘆きと歯がみがある」ところと記す。人はどこでも同じことを考えるらしい。さらに、唐招提寺金堂の屋根を観るために回り道をした。しばらく前に修復された8世紀の美の形である。
日本の文化の一端に触れる週末を関西で過ごした若者は、別れ際に「よかった。また来たい。」とつぶやいて去った。十分にわからないまでも、普遍的な価値を持つ本物に触れた感動をおぼえたのかと、私もうれしかった。
文化、芸術、伝統芸能などは、それを支える人、組織がなければ時代を超えて伝え続けることはできない。文化の支援、保護は、古くは、洋の東西を問わず、時の権力者、富豪が担った。日本の文化的伝統維持のために寺社が果たした役割は大きい。ヨーロッパにあっては、バッハやモーツアルトに代表されるクラッシック音楽、ルネッサンスの絵画や建築は、その時代の権力者や教会が支え、育ててきたものである。しかし、当時文化を享受できる人は限られていた。ほとんどの民は文化の恩恵の外に置かれていたのである。
現代社会では、文化の支援と保護は、民間の財団などとともに国や地方公共団体が担っている。公的財源に裏付けされた、文化の育成、保護、保存のための施策が、一般市民が広く文化の恩恵を受け、文化活動に自由に参加することを保障する。文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、文化の恩恵にあずかることはだれもが持つ権利、人権なのである。そこでは、国と地方公共団体が、市民が自由に文化を享受できるよう支援し、保護する責任を負う。そのために公的資金が使われる。
かつて聞いたことである。市民生活の豊かさを測るには、緑豊かな公園が整備されているか、図書館、博物館、美術館など文化施設が充実しているか、市民の文化活動が盛んであるかを調べればわかる。経済的な豊かさだけではない。今私たちは、当たり前のこととして、能楽を鑑賞し、奈良を散策し、博物館で貴重な文化遺産に触れことができる。それを可能にするために人びとの働きと国や地方公共団体の支えがあることを忘れたくない。