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国際人権ひろば No.105(2012年09月発行号)
特集 さまざまなアイデンティティと複合的な差別
移住女性が直面する複合的な課題 -地域における支援とネットワーク活動の現場から-
山岸 素子(やまぎし もとこ)
カラカサン~移住女性のためのエンパワメントセンター
私が、移住者の支援活動にかかわるようになった1990年代初頭は、アジアや南米からの労働者の急増と同時に、主にアジアからの移住女性と日本人男性による国際結婚が増加していた時期だ。1990年代後半になると、こうした女性たちの定住化や子どもをめぐる様々な問題が顕在化し、国際結婚の破綻やDVなどの相談も各地の支援団体に殺到するようになる。全国の移住外国人の支援団体などで構成される「移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)」の中に、「女性プロジェクト」が生まれ、移住女性に関する課題についての情報交換やアドボカシー活動を開始するのも、1999年のことである。なお、私はその後2002年に、国際結婚やDV被害の当事者であるフィリピンの女性たちと、「カラカサン~移住女性のためのエンパワメントセンター」を設立し、神奈川を拠点に移住女性と子どもの支援を始め、今年で10年が経過する。本稿では、地域における移住女性支援の現場である「カラカサン」の活動、および、全国の移住女性支援団体のネットワーク組織である「移住連女性プロジェクト」の活動をつうじて明らかになった、移住女性が直面する複合的な課題について述べたい。
カラカサンから見える移住女性の現実
カラカサンは2002年に、移住女性のエンパワメント支援を目的として設立された。その背景には、日本で、移住者であり女性であることによる複合的な差別や暴力にさらされ、本来自らの内に持っている力や自尊心を奪われた状態に置かれた移住女性の現実があった。例えば、発足年にカラカサンに寄せられた相談の3分の2は、DV被害を受けた女性からの相談であった。その後の10年間、持ち込まれる課題の多くは、DVなどを原因とした国際結婚の破綻や離婚、母子で生活していく上での生活や法律に関する諸問題であった。全国的に見ても2000年以降、国際離婚は国際結婚の増加率を上回る勢いで急増しており、離婚後の移住女性と子どもの抱える課題が顕著になってきている。
昨年(2011年度)のカラカサンの新規相談137件の内訳を見ると、最も多いのは、子ども関連(認知、国籍、親権、教育、虐待など)の相談で39件、次に在留資格関連で30件、DV関連23件と続いている。子ども関連の相談の背景には、女性や子どもが男性からの暴力の被害や遺棄された結果、認知や国籍取得などの最低限の法的問題さえ解決しないままに放置されていること、離婚の際に子どもの親権争いになった場合、移住女性が圧倒的に不利な立場に置かれること、移住女性の母子家庭で、母親が外国籍であることからいじめを受けるなどの差別、支援を得にくいなどの不利があることなど、子どもの問題という以上に母親が移住女性であるがゆえの問題である場合が多い。在留資格に関する相談の多くは、離婚に伴う在留資格変更や、オーバーステイになった女性からの相談であるが、これには、日本の在留資格制度が移住女性の権利を保障するものでなく、彼女たちの在留資格が非常に不安定であることが背景にある。そして、相変わらず続く、移住女性に対するDV…。厚生労働省の統計からも、近年DVが理由で女性相談所に一時保護された外国籍女性の割合は日本人女性に対して人口比で約5倍となっていることが明らかにされている。このことは、日本社会における移住女性と日本人男性との間の力格差が、歴然と存在し続けていることの証でもある。
この10年の状況の変化を考える時、女性たちが地域で確実に力をつけてきていることや、自治体の移住女性支援施策に多少の前進があったものの、日本社会の中で圧倒的に弱く、不利な立場に置かれ、差別や暴力にさらされやすい移住女性の置かれた状況に、根本的な変化はないと言える。
以下に、カラカサンで支援したケースから、移住女性や子どもが置かれている具体的な状況を紹介したい。
<ケース1> 母子への暴力・虐待と貧困、 在留資格もないままに置かれて
フィリピン女性Aさんは、1990年代にエンターティナーとして来日後、店で知り合った日本人男性と同居、在留期限は切れてオーバーステイになった。その後、男性との間に次々と子どもが生まれた。ところが男性は、子どもの認知もAさんの在留資格の手続きも何もしないままだった。次第に、男性はAさんに対して、精神的な暴力や身体的な暴力を振るうようになる。生活費も、毎週ごくわずかなお金が渡されるだけだった。しかし毎年のように子どもを出産、5人の子どもを抱えたAさんには、生活のあてもない母国に帰国する選択はなく、生き延びていくために頼れるのは日本人男性のみだった。そうしたAさんの弱い立場につけこみ、男性はいいように暴力を振るい、気に入らないと子どもを虐待した。Aさんには男性に逆らわず、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ることしか、男性の暴力を軽減するすべがなかった。経済的にも困窮し、冷蔵庫や洗濯機もない生活も経験した。学齢期に達した子どもたちも学校に通っていなかった。こうした生活の中で、Aさんのストレスは限界に達し、次第に身体の不調を感じ、めまいや頭痛を訴えるようになる。
こうした状況下、友人から紹介されたカラカサンに相談。支援を受けて、Aさん自身の治療や子どもの就学、さらに子どもの認知や在留資格の取得が可能となり、Aさんと子どもたちは次第に元気を回復していった。カラカサンの活動への参加をつうじて自分の経験がDVであったことを認識したAさんは、男性の元から逃げ、母子での生活に踏み切ることができた。
カラカサンの活動:筆者提供
<ケース2> 国際結婚の中の疎外と暴力…親権争いにも敗れて
フィリピン人女性Bさんは、日本人男性と婚姻した後、夫の家族と同居していた。しかし、日本の習慣に不慣れなことなどから夫の家族に次第に疎んじられるようになり、妊娠がわかると姑から堕胎を迫られるなどの扱いを受けた。エスカレートする家族からの差別や暴力的態度に耐えきれず、Bさんは妊娠中に、日本人と婚姻した姉の元に逃げ、子どもを出産。その後、夫には何度も家族と離れて自分と子どもと一緒に暮らそうと提案したがかなわず、子どもの生活費用さえ、なかなか負担してもらえなかった。しかし、在留資格更新時期を迎え、手続きには夫の協力が必要で夫の元に戻ったBさんに対し、夫はいいように暴力を振るうようになっていった。夫は生活費を入れず、Bさんが働いたお金を使い、身体的暴力もひどくなり、医師から全身打撲の診断を受けて、警察に通報した時もあった。あまりの状況に、Bさんは子どもを連れて、再度姉の元に逃げた。しかし、追って来た夫と家族から、子どもを力ずくで奪われてしまった。
その後、カラカサンの支援を受けたBさんは、弁護士に依頼して離婚と親権を求める調停や訴訟に臨んだが、その間に在留資格の期限を迎え、延長申請を行ったものの、9ヶ月もの間申請中のまま許可が下りなかった。その後、まさかの不許可処分。カラカサンや弁護士などの支援により、再申請をして何とか不許可の取消しができたが、在留資格が不安定な状態に置かれた結果、Bさんは親権争いにも敗訴。結局、離婚が成立し、子どもの親権は夫側にとられてしまった。Bさんは離婚後も子どもの住む日本での在留を望んだが、定住者への在留資格変更は認められず、帰国しなければならなかった。
カラカサンの活動:筆者提供
Bさんのケースは、家族からの疎外や暴力のみでなく、移住女性の在留の不安定をもたらす入管法の制度上の問題、司法判断における移住女性の圧倒的な不利を浮き彫りにしている。
法制度上の課題 …移住女性の権利保障に向けて
最後に、このような日本の移住女性の現実に対する日本の法制度上の課題を指摘したい。移住連の女性プロジェクトではこの10年、DV防止法や男女共同参画社会基本法等、女性の人権を守る法律の中に移住女性の視点を盛り込むよう要請や提言を行っている。しかしながら、マイノリティである移住女性への支援については、まだまだ課題が山積みであり、今後も、移住女性当事者と支援者が力を合わせ、提言活動を強める必要性を痛感している。
さらに、今年7月に施行された2009年の改定入管法・住基法は、定住する移住女性に対し、住所地や身分事項の詳細にわたる報告義務とそれに違反した場合の罰則規定、さらに「住所の変更届出を90日以内に行わない場合」の在留資格取消しなどを規定し、日本人配偶者等の在留資格をもつ女性たちを、「配偶者としての活動を6ヶ月以上行わない場合」に在留資格取消し対象とするなど、移住女性の人権のさらなる後退とDV等の暴力被害の助長をもたらす制度改悪となってしまった。
女性であることと移住者であることの複合的な差別と暴力、搾取に直面している移住女性の権利を守るためには、外国人人権基本法や人種差別禁止法など、移住者の人権保障の観点からの立法が欠かせないのではないか、と痛感する今日この頃である。また、韓国が制定した多文化家族支援法など、国際結婚女性の権利を守り、定住化を支援するための法制定についても、移住連女性プロジェクト等で検討し、今後の提言に含めていきたい。