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国際人権ひろば No.105(2012年09月発行号)
人権の潮流
国際人権から見た日本の死刑制度
田鎖 麻衣子(たぐさり まいこ)
NPO法人監獄人権センター事務局長・弁護士
国際人権からみた8月の死刑執行
2012年8月3日,国連人権理事会による第2回の普遍的定期的審査(UPR)まで約2か月先に迫る中,民主党政権下で3度目となる死刑執行が行われ,東京と大阪で各1名が処刑された。これに先立ち,監獄人権センターは,アムネスティ・インターナショナルとともに死刑執行停止及び死刑確定者処遇の改善等を求める要請書を用意し大臣に直接手渡す準備をしており,その日時が8月8日午後1時と指定された矢先の執行であった。執行当日の記者会見で滝実法務大臣は,「冤罪(えんざい)の危険性がないこと、裁判所が死刑に該当すると決定を下した経緯を見れば、法相として執行命令はやむを得ないと判断した」と述べた。しかし,今回の執行を国際人権の視点からみたとき,決してそのようには言えないことが明らかである。
大阪拘置所で執行された松村恭三氏は,自ら控訴を取り下げ,死刑判決が確定した。日本政府はこれまで,拷問禁止委員会による第1回審査,規約人権委員会による第5回審査等で,繰り返し,必要的(自動)上訴制度の導入を勧告されてきた
注1が,拒否している。その理由は,死刑判決を受けたほとんどの被告人は上訴(控訴・上告)をしているので問題ないというものである。しかし松村氏を含め,1993年以降に死刑が執行された人々のうち,実に3割超にあたる27人は,上訴をしない,あるいは弁護人による上訴を自ら取り下げることによって,最高裁の判断を経ないまま死刑が確定している。市民が有罪・無罪のみならず量刑の判断にも加わる裁判員制度が導入されれば,「国民」の名のもとに下される死刑判決に対して,ますます控訴が困難となる恐れが指摘されていたが,その懸念どおり,既に2件の死刑判決が取り下げられ,自動上訴制の欠如の問題はますます深刻なものとなっている。
また,東京拘置所で執行された服部純也氏は,第一審の無期懲役刑が控訴審で覆され死刑となった。彼の判決にかかわった複数の職業裁判官が「その罪責が誠に重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえない」とは考えなかったのである。規約人権委員会は,繰り返し,日本政府に対して,死刑の適用は最も重大な犯罪に厳格に限定されるべきであると勧告してきた
注2。「最も重大な犯罪」は,経済犯罪や薬物犯罪等,人の死の結果を含まない犯罪を除外するものとして解されているが,同時に委員会は、一般的意見6(16)において「『最も重大な犯罪』の表現は死刑が全く例外的な措置であることを意味するように厳格に解釈されなければならない」としている。日本において,死刑が全く例外的な措置となるよう厳格に解釈されるとすれば,裁判体によって判断が分かれるような事案は「最も重大な犯罪」からは除外されることになる。
このような人々が執行対象とされたのは,再審請求中や恩赦出願中の人々,重篤な精神疾患
注3が疑われる人を避けた結果と推測される。すなわち,執行対象を選定する際に「考慮すべき事項」があるとされているが,あくまで実務慣行に留まり,さらには法相の判断によって無視することも可能である。筆者の依頼人は,再審請求直前の2008年6月,「これだけ凶悪な(死刑確定者が)何百人いるけれども、最も凶悪な事犯の一つ」であり,「こんな奴生かしておいてたまるか」という鳩山邦夫法相(当時)の判断により,執行された。日本ではいわば恣意的な処刑が可能な制度が維持されているのであり,規約人権委員会及び拷問禁止委員会から批判されてきた死刑執行の事前告知の欠如
注4とあいまって,死刑確定者が日々,執行の恐怖と直面する所以となっている。
処遇をめぐる諸問題
死刑確定者の処遇も大きな問題である。
日本の死刑確定者は,監獄法時代から現行の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(以下「新法」という)の施行後に至るまで,例外なく昼夜単独室(独房)処遇を強いられ,規約人権委員会,拷問禁止委員会から繰り返し批判の対象とされてきた。それでも1990年代までは,例えば東京拘置所においても,一部の死刑確定者に対して相互接触が可能な処遇が実施されていた。しかし新法は,明文によって死刑確定者相互の接触を原則として禁じるに至り,実際に,相互接触はいずれの拘置所でも認められていない。これは,受刑者については新法上,極めて厳しい条件下でしか認められず,かつ,常に見直しが求められる「隔離」(76条)よりも過酷な処遇である。昨年提出された,国連人権理事会の拷問に関する特別報告者フアン・メンデス氏の単独室収容に関する報告書では,単独室収容は出来る限り短くすべきであり,15日を超えるものは精神的ダメージの見地から絶対的に禁じられるべきこと,正当な理由がある場合でも手続き的なセーフガードに従うべきこと等が指摘されている。この見解に従っても,単独室への隔離収容が完全に固定された死刑確定者処遇は,明らかに許されないものといえる。
また処遇に関しては,今なお外部交通(面会及び文通)の相手方が厳しく制限されていることも指摘されなければならない。法律上,外部交通の相手方の人数に制約はないが,実務上,いずれの拘置所でも3~5名程度を上限とする運用を行っている。死刑確定者の中には,親族との交流さえ断たれた人が少なくなく,当然,外部交通のできる相手が誰もいないという場合もある。例えば再審請求をしたいと考えても,相談する相手すらいないこととなり,実際,今回執行された松村氏の場合,自力での再審請求を追求していたと伝えられている。
再審請求に関してさらに言えば,国選弁護人制度がないこと
注5によって,資力のない死刑確定者にとっては,事実上,弁護士へのアクセス自体が制約される状況にあるうえ,運よく再審請求を担う弁護士と巡り会えたとしても,接見の秘密性が保障されていない。この点も,条約機関からの度重なる勧告
注6にもかかわらず,改善が進まない点である。なお,2012年1月27日,広島高裁は,特別な事情が認められない限り、立会人なしでの接見は死刑確定者の正当な利益だと判断して国に54万円の支払いを命じた。しかし国はこれを不服として上告しており,同判決後も,再審弁護人による接見への立会は,相変わらず全国で広汎に実施されている。刑事施設に関する裁判例では最高裁で国が逆転勝訴することが珍しくなく,予断を許さない。
情報発信の重要性
以上,国際人権という視点から概観しただけでも,日本の死刑制度にいかに多くの問題があるかがお分かりだと思う。そのほかにも,執行をめぐる徹底した秘密主義や残虐性の議論をはじめ,まだまだ深刻な問題が多くある。規約人権委員会による「締約国は,世論調査の結果にかかわらず,死刑の廃止を前向きに検討し,必要に応じて,国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである」との勧告を政府が公然と無視する現状においては,我々市民が,国連機関による審査の機会をはじめ,折に触れ,死刑をめぐる諸問題をたゆまず発信していくことが,極めて重要である。
注1
: 規約人権委員会は「締約国は、死刑事件においては、(上訴審における)再審査を義務的とする制度を導入し、また死刑事件の再審請求や恩赦の出願による執行停止効を確保すべきである。執行停止の濫用を防止するため、恩赦の出願の回数には制限が設けられてもよい。締約国は、また、再審に関する死刑確定者と弁護士との間のすべての面会について厳格な秘密性を確保すべきである。」としている(第5回審査総括所見17項)。拷問禁止委員会による第1回審査総括所見20項も参照。
注2
: 規約人権委員会による第5回審査総括所見16項ほか。
注3
: 再審請求及び恩赦の出願は,法的に執行停止の効力を持たず,これについて規約人権委員会からは停止効を確保すべきとされている(注1参照)。また,刑事訴訟法479条1項は,死刑確定者が心神喪失の状態に在るときは執行を停止すると定めるが,この条項が適用された例はないというのが政府の公式見解である。実際には,心神喪失状態にあると疑われる人が相当する存在し,またそうした疑いにもかかわらず実際に執行された事例も複数存在する。このため拷問禁止委員会によって「精神障害の可能性のある死刑確定者を識別するための審査の仕組みが存在しないこと」に深刻な懸念が表明されている(総括所見20項)。
注4
: 規約人権委員会による第5回日本政府報告書審査・総括所見16項,拷問禁止委員会による第1回日本政府報告書審査総括所見19項参照。
注5
: 拷問禁止委員会による第1回日本政府報告書審査総括所見20項参照。