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国際人権ひろば No.108(2013年03月発行号)
ヒューライツ大阪の活動
1.18トークセッション 「福島の人と神戸の人がつながる日」を開催
東日本大震災から2年が経過した。福島では今なお、地震・津波・原発事故からの復興が困難な状況に直面している。「3.11」で大切な人や土地、ものを失った人たちが抱く明日への想いは、1995年1月17日に大震災を経験した神戸の人たちがかつて抱いていた気持ちに通じるもの。そうしたなか、2013年1月18日、福島の人と神戸の人が直接会って経験を語り合うトークセッション「福島の人と神戸の人がつながる日~南相馬市のみなさんを中心に」
1を神戸市の長田で開催した。南相馬市で臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」
2の運営に携わるスタッフ、その活動を支える市役所や商店街の人たち5人、同市に事務所を設けて支援に取り組む国際協力NGOの日本国際ボランティアセンター(JVC)から3人が報告とともに想いを語った。
セッションでは臨時災害放送局の元祖で、現在はコミュニティ放送局として神戸市長田区から発信しているエフエムわいわいの代表理事の吉富志津代さんと日比野純一さんが司会・コーディネイトを務めた。南相馬からの声に焦点を絞って概要を伝えたい。参加者は80名。(敬称略)
日比野 純一(エフエムわいわい代表理事):私たち神戸の市民にとって1月17日は大切な日。会場であるこの神戸市立地域人材支援センターは18年前、神戸市立二葉小学校の校舎で、震災直後は避難所となった。あふれるばかりのたくさん人が避難してきていた。この思い出深い場所で、2011年の3.11以降、困難な状況を乗り越えようとしている福島、とりわけ今日は南相馬の人たちとざっくばらんに意見交換をしたい。
今野 聡(南相馬ひばりFMチーフディレクター):私は、原子力発電所から30km離れた地区に住んでいた。まず、原子力発電所から山側に40km離れた飯館村に避難した。しかし、放射能の汚染は南相馬より高いことが後から判明した。学校の体育館で2日間過ごした後、ガソリン不足などの理由で自宅へ戻った。市で自主避難を呼びかけていたので新潟、そして東京の親戚宅へと向かった。しかし、父が家を守るため戻りたいと言い続け、説得するのに苦労したものだ。しばらくして戻ってきたとき、市で臨時職員を募集していた。そのなかにFM放送に関する求人があったのでメディア関係は未経験だったが7月にスタッフになり、取材を担当することになった。
新妻 裕美(南相馬ひばりFM):私は3月15日に仙台市の妹宅に父母とともに避難し、3月末に帰郷し、勤めていた贈答品の会社で割れた商品などを片付けた。5月以降、仮設住宅などを訪問する移動喫茶の活動に加わって、被災者がどんなことに困っているかを聞き出すボランティアをしていた。それを経て11月からひばりFMのスタッフになった。制作担当として、原稿作成や番組収録のほか、パーソナリティに入ることもある。
今野:ひばりFMは毎日放送しており、主なプログラムは①南相馬市が市内129か所で行っている環境放射線モニタリング結果を読みあげる、②午前9時・昼12時・午後5時の一日3回の生放送番組で、生活に関する情報やイベントのお知らせ、様々な人へのインタビュー、③市内に住む20代の若者が思っていることなどを話し合う「若者たちのRADIO会議」と「移住者たちのゆるゆるいくよ~」という番組、④毎週金曜日は芥川賞作家の「柳美里のふたりとひとり」というプログラム、⑥放射線に関して、南相馬市立総合病院で内部被ばく検査を担当している東京大学医科学研究所の医師・坪倉正治先生がリスナーからのさまざまな質問に答えるという内容。市外に避難した人たちを意識して、サイマルラジオ
3を通じてインターネットでも聞けるようにしている。
伊藤 隆博(伊藤冷機工業副社長):妻と7歳の子どもを急きょ避難させたが、給排水設備業を営んでいるので、地震の被害で電話が鳴りやまなかった。父と私と2人の社員の人に残ってもらい、原発の見えない恐怖に怯え、死を覚悟しながらやってきた。しばらくして社員に戻ってきてもらったものの、人口が激減したので、この街は住めなくなってしまうのではと心配した。何とかいま賑わいを取り戻してきている。しかし妻子はまだ避難先から戻せていない。
豊田 悟志(南相馬市商業振興係):商店街の皆さんとともに街づくりの手伝いを担当している。現在の臨時災害局を、今後どのようにコミュニティ放送局へと継続していくかを検討しているところ。実は、私は東京都杉並区の職員。杉並区と南相馬市は防災協定を結んでいることから、2012年4月から13年3月まで応援のために派遣されてきた。杉並区から南相馬市へは総勢8名。13年度も8人の応援態勢が決まっている。マスコミの力は大きいと思う。毎日報道されているときは注目されていたが、最近は少なくなっている。報道されないから何も起きていないという錯覚に遠くに住む人たちは陥りがちだ。
鳥居 久生(栄町商店街振興組合事務局長):震災前は小学校16校、中学校6校に11,000人の子どもたちがいた。事故以来、全国各地に避難。昨年夏には3,300人に減ってしまった。約2年経過したいまでもかつての半数にも満たない子どもたち。外で遊ぶ時間が制限されているだけに、子どもたちの声も姿もほとんどなくなった。そうした子どもたちを長期の休みに受け入れていただく支援を全国から受けている。私たちは、住民が安心して戻ってこられるような環境をつくっていきたい。確かに復興について先が見えない疲れや絶望感が発せられることがある。それでも、諦めたら前に進めない。できることからやっていく。
日比野:南相馬からの期待を一言ずつお願いします。
今野:避難する際、故郷が遠くなっていったとき、もう二度と帰れないのではと心配した。いまFM放送に関わり街のイベントを紹介するたびに、盛り上がってほしいと思う。一方で、安全性への不安。ファミレスで隣りから聞こえてくる会話も、放射能の話が取り交わされるという日常がある。ジレンマを感じているが、悩みながら進んでいくしかない。サイマルラジオを通して「ひばりFM」を聞いてほしい。南相馬市民としてうれしいのは実際に訪問して現場をみてもらうことだ。
新妻:現地に来ていただきたい。私もそうだが、地元で暮らす女性にとって、この先子どもを生むことについて不安がある。一方でみなさんと同じ日常があることを見てほしい。
伊藤:今後、被災地同士で災害について伝えあいたい。コミュニティFMが結ぶつながりも大切にしたい。
鳥居:南相馬市を忘れないでほしい。覚えてもらっているだけで励みになる。
豊田:放射能が怖くないことは決してない。それでも、市民も行政もわからないながらそれぞれ模索している。
1. 主催:大阪大学OSIPP山内研究室、大阪大学グローバルコラボレーションセンター、ヒューライツ大阪、NPO法人エフエムわいわい。トークセッションのあとは「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」ライブを開催した。
2.南相馬ひばりエフエム http://minamisomasaigaifm.hostei.com/
3.サイマルラジオ http://www.simulradio.jp/
(構成:藤本 伸樹・ヒューライツ大阪)