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国際人権ひろば No.109(2013年05月発行号)

人権さまざま

人が大切にされる社会 ― 「なせば成な)る」

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

世界人権宣言
第28条
すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。

第29条
1 すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
2 すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
3 (省略)
 
 
 2012年もあと1ヶ月という頃、大阪で「大阪ええじゃないか?“変える”に参加する10日間」という一連の催しが開かれた。多種多様な市民グループが趣向をこらして様々の企画を出した。ヒューライツ大阪もこれに参加。その企画は題して、「桂七福の『人権高座』と笑いながら学ぼう『人権ええやんか!』」。人権と聞くと気が滅入る人にも、身構えないで考えてもらおうという企画であった。
 
 「大阪ええじゃないか」は、市民が行動を起こすことで、大阪そして日本社会の閉塞感を打ち破るきっかけを作ろうとしたものである。民主主義と言いながら誰かに変化を起こしてくれることを期待する「世間」の風潮。「今度の首相は」、「今度の知事は」、「今度の市長は」と、期待と失望の繰り返し。「公約は選挙のための嘘八百。また騙された」と文句たらだら。これでは何も変わらない。「おまかせ民主主義では社会は変わらない。それを変えることができるのは、われわれ市民」と、市民が参加し行動することで民主主義を活かそうというのが「大阪ええじゃないか」のねらいであった。ちなみに、この「大阪ええじゃないか」で中心的役割を果たした湯浅誠氏は、2012年12月に『ヒーローを待っていても世界は変わらない』という本を出している。
 
 それでは社会をどう変えるのか。どんな社会を目指すのか。一口に言えば、人が大切にされる社会、人権が尊重される社会を作ることではないか。その手がかりが、冒頭の世界人権宣言第28条、29条にあると考える。この二つの条文は、なんだかよく解らないという人が多い。私も何度も読み返し、「ものの本」をめくってもみた。そうして行きついた私なりの解釈である。解らないことをあえて解りやすくというと聞こえが良い。
 第28条にいう「この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される」とは要するに世界人権宣言がいう人権が大切にされるということ。国内的にも国際的にもそんな社会を求めることは、だれもが持つ人権である。そんな社会、国際秩序をだれかが実現してくれると傍観していて、どうせ実現しない夢だと失望しないでほしい。
 
 第29条では、自分の人権を行使しようとする人は他者の人権を自分の人権と同じように尊重しなければならないとしている。言うまでもないことであるが、これを言わなければならないのが今の社会状況である。これを守らなければ社会は成り立たない。人権の行使は、自己中心のわがままでも、「モンスター」人間の振る舞いでもない。そして人権の行使が制限されるのは、民主主義に拠(よ)って立つ社会を守るためにどうしても必要なものに限られ、法律によって具体的に示されなければならない。独裁を支えるための法律や、国家主義的な秩序を守るための憲法で、人権に制限をかけることは許されない。人権と民主主義は互いを支え、護り合うもの。根は同じ、一人ひとりの人間の尊さ、かけがえのなさに行きつく。
 
 民主主義では、国や集団の意思決定は、それを構成する人々の合意によって行われる(主権在民という)。民主主義が有効に機能するためには、自由に考え、判断できる自立した個人(市民という)を前提としている。このような自立した個人の集まりが市民社会である。市民の人権が大切にされる社会である。
 
 民主的な手続きを踏んでいるとみせかけながら、主権者である人々を煽動したり、世論を操ったりすることによって民意を作り上げようとする政治は民主主義ではない。現代社会では、あらゆる情報伝達手段を駆使して、人の理解、判断そして意見の形成に影響を及ぼそうとする勢力が複数存在する。刷り込まれる情報に、知らず知らずのうちに影響され、誘導されることが起こる。テレビのコマーシャル、どのチャンネルでも同じニュース、政府の発表をそのまま写した記事など、枚挙にいとまがない。民主主義を支える一人ひとりの市民にとって、自分で情報を取捨選択し、自分で考えるというメディア・リテラシーを持つことが、今ほど大切になったことはない。
 
 民主主義体制を実現し、護ることはいつの時代も、どの国でも易しいことではない。主権者である市民が権力を預かる者を監視し抑制する役割を果たせなければ、民主主義は機能しない。人が大切にされる社会を作るのは、主権者である一人ひとりの市民。権力を行使する機関や行政に任せっきりでできることではない。行動を起こそう。そんなことを教えてくれた「大阪ええじゃないか」であった。